「マンガとゴシック」第12回:チャールズ・バーンズ『ブラックホール』とタラッサ的退行——シアトル、グランジとの同時代的共振
タラッサ的退行——ニルヴァーナへの回帰
最後にこの作品をハンガリーの精神分析医サンドール・フィレンツィの提唱した「タラッサ的退行」という概念で読み解いていきたい。タラッサとはギリシア語で「大海」を意味する語で、人間に備わった母胎(羊水)回帰願望とは、系統発生を遡って海生生物へと退化したいという古代的欲望のあらわれだとした。そしてその欲望は性交と睡眠のかたちで反復されるのだという(澁澤龍彥が編集した『全集・現代世界文学の発見7 性の深淵』に「タラッサ」の題で訳出されているので興味のある向きは覗いてみて欲しい)。
『ブラックホール』では、主人公クリスが行き着いた最終到達地点としてタラッサ(大海)が象徴的に出てくる【図3】。「できることなら ずっとこうしていたい。このまま永遠に」という物語を締めくくるクリスの台詞は、このまま羊水に浸かっていたい、出生というトラウマを経験する以前の胎児に戻りたい願望を思わせる。海のみならず、クリスは沼で泳ぎもするし、湯舟に浸かるシーンもあり、明らかに水の中にたゆたうことに安らぎを求めていることは明白である。
『ブラックホール』は隠喩が夥しく出てくるが、とりわけ目を惹くのが女性器状の穴や裂け目の数々である。第一ページは女性器のような裂け目から始まり、そこから解剖されたカエルの腹の裂け目へ、そしてクリスの背中と足の裏の裂け目、最終的にヴァギナの裂け目にまで「かたち」の類似で繋がっていく【図4】。これらはすべてカエルの解剖実験の際に、キースのセックスへのオブセッションがもたらした妄想である。これらの裂け目はすべて女性器の象徴であり、海に繋がっているのだろう。ロブという青年の喉に生じた裂け目=ヴァギナ・デンタータ(歯のある膣)を舐めたクリスが、「温かくて、塩の味がした。まるで海水みたい」と言うのは偶然ではないのである。
解剖実験のカエルの絵で始まった本作には、その前駆形態であるオタマジャクシも何度か出てくる(卵に着床する精子のイメージと明らかにダブらせている)。キースのあばらにできた瘤がオタマジャクシ状に奇形化したことから、幼年期にオタマジャクシを飼育しようとした記憶を思い出す。しかしバケツをほったらかした結果、腐って異臭を放ちだしてしまい、父親に捨てるよう命じられる。キース少年は腐ったオタマジャクシを原っぱに捨てに行き、ぴちゃぴちゃと跳ねてるグロテスクな描写がある【図5】。私は水を奪われ、陸地に打ち捨てられたオタマジャクシの寄る辺なさに、この作品のエッセンスを感じた。
かつて水生生物だったものは、陸地か海かの二者択一を迫られ、陸を選んだほうは鰓呼吸から肺呼吸へ、つまり両棲類、爬虫類、そして哺乳類へと進化していき最終的に人間にまで至った。この系統発生を、人間の胎児が個体発生の段階で反復するということはよく知られている(最初、胎児に鰓があるのはその証左である)。そして先述したように、人間個体が逆にどんどん系統発生を遡って水生生物の時代にまで戻りたくなる願望こそがタラッサ的退行なのであった。明らかにオタマジャクシとはキースの精子であり、思春期に達したこの青年の羊水回帰願望を物語っている。それゆえ大海の安らぎを奪われ、陸地で生きるしかない人間の苦しみ、そしてセックスにおいて射出された精子がその人間存在の苦しみを反復しているというフィレンツィの奇説を、原っぱに打ち捨てられたオタマジャクシは体現しているのだ。
では、『ブラックホール』においてティーンエイジャーたちがタラッサ的退行に憑りつかれたとするならば、なぜセックスによって肉体が奇形化するのか? 三木茂夫の解剖学的エッセイ『海・呼吸・古代形象』から説明できるだろう。三木によれば海への郷愁、生命的遡行本能の呼びかけがなされたとき奇形を生みだすというのだ。ヒトの胎児が進化論的系統発生を辿る中で上陸を拒絶し、降海(海へとどまること)へ立ち戻ろうとする衝動がありうる。三木いわく、「ヒトの胎児は、受胎一ヵ月後の数日の間に、古生代の上陸誌をひとつの象徴劇として自ら演じて見せるだろう。これに対し奇形児の多くは、そのからだの一部をはって、上陸ならぬ降海の見果てぬ夢をなぞりながら、その奇なる発生をとげ終えたごとくである」。つまり『ブラックホール』において、性交とはタラッサへの通過儀礼であり、奇形化はタラッサ的古代からの呼びかけに応じた結果としての聖痕(スティグマ)なのである。
以上から、この作品を包み込む60、70年代ガロ漫画のような漆黒の表現は、子宮内のダーク・アンビエントを呼び起こすためのものではないかと考えられる。ただ単に恐怖を煽る「黒」ではなく、どことなく母胎における暗黒のなかジメっとした安らぎも感じるのだ。チャールズ・バーンズがイラストを提供したサブ・ポップに所属したニルヴァーナは、いみじくもフロイトの「涅槃」原則と名を同じくしている。ジェネレーションXの魂を代弁したとされるこのバンドは、一枚目のメジャーデビュー作のジャケットに水中を泳ぐ赤ん坊を配し(「カム・アス・ユー・アー」のギターのフランジャーエフェクトは水中の反響を思わせる)、二枚目のアルバムを『イン・ユーテロ(子宮の中)』と名付けた。カート・コバーンは子宮という涅槃(無の安らぎ)に、つまり系統発生を遡り水生生物に還ることを夢見ていた。『ブラックホール』に顕著に見られるタラッサ的退行もまた、時代(X世代)そのものが欲した退行現象だったのかもしれない。
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