【漫画】焼き肉が怖い……超ビビりな女子がとった行動とは? Twitterで話題『大東京ビビり飯』
ーー本作はふたりで制作した作品だと伺いました。
ふぢの:最初に僕が物語のあらすじとなるものをつくり、あらすじを元に井戸畑さんと物語の細かい部分を考えながらネーム(コマ割りなどを記した漫画の設計図)をつくっています。作画作業に関しては井戸畑さんにお任せしています。
井戸畑机:1ページごとに完成したネームや原稿をふぢのさんに共有し、違和感があるところは都度修正しながら描いていますね。
ーー物語をつくる段階からふたりで制作しているのですね。
ふぢの:例えば吹き出しに書かれた台詞の文字が多くなってしまったり、原作と作画で分けた際に作品のバランスが崩れてしまうことがあるかと思い、物語をつくる段階からふたりで話し合っています。作品のクレジットを「不死デスク」としているのも、なるべく原作と作画を分けずに作品を読んでほしいといった思いもあります。
ーー創作のきっかけを教えてください。
ふぢの:みんなが平然とこなしていることが怖いって、なんだかおもしろいと思っていて。みんなが火におびえることなく肉を上手に焼いたりとか、人の顔のかたちをしたパンを食べていたり。ありふれた行為だけど、それに不気味さを感じたり立ち止まって考える人がいてもいいんじゃないかと思い、本作を創作しました。
恐怖を感じつつも平然とした素振りで行っていることへの欺瞞があり、そんな思いを抱く人に手を差し伸べたいという思いがずっとありますね。
ーーありふれた行為に恐怖を抱く人物として滝本さんが描かれていたかと思います。
ふぢの:地位も立場もぜんぜんちがうと思っていた人が「私も同じだったんだよ」「私もビビっていたんだよね」と打ち明けてくれるとうれしいというか、キュンとするなと思っていて。そんな救いを滝本が受ける場面を描きたかったですね。
物語の終盤で焼き肉をしている人たちが子どもの姿で映されますが、この場面では火に対してビビらないことがマジョリティなのではなく、「ビビっている」と言ってしまうことがマイノリティになってしまっていることに気づいていく様子を表現したいと思っていました。滝本もベランダで不格好な姿をしながら焼き肉の練習をしますが、実はみんなもやっているかもしれないよね? というようなことを描ければと思っていました。
ーー滝本さんや西尾さんを描くなかで意識したことは?
井戸畑机:ひとつひとつの表情やしぐさを愛らしく、暗い印象にならないように意識して描いていました。
ーー1ページ目でなにかをしている滝本さんの様子が非常に愛らしかったです。
ふぢの:この場面は2、3回ほど書き直した部分であり、最初にアクションのあるシーンを物語の導入にしたいと思い描きました。
井戸畑机:どこか持て余している感じが出たらいいなと思っていましたね。
ふぢの:これはどっちのアイデアでしたっけ?
井戸畑机:わかんないです。
ーーふたりで創作活動をはじめたきっかけを教えてください。
ふぢの:それぞれで創作活動をしていたのですが、たまたま仲良くなり自分がファンタジー色のつよい、スケールの大きな作品を描きたいと話すと井戸畑さんがのってくださって、作品を共同でつくるようになりました。
ーーひとりで創作するときとのちがいは?
井戸畑机:ふぢのさんのつくる物語は自分が絶対に思いつかないようなものばかりで。ふぢのさんはよく「わかりやすい作品ではなく、遠くにボールを投げるような作品を描きたい」と話していて、ふぢのさんの意図をくみ取りながら作品をつくることが楽しいです。
ふぢの:こういうのはよくある話だと思うんですが、自分一人で考えていると、誰にもわからなくてもいいやという思いが先行した“閉じた”作品になってしまいがちなので、井戸畑さんのマインドや工夫によって作品が“開かれた”ものになり、本当に感謝しています。
ーー今後の目標を教えてください。
ふぢの:本作のなかですごろくのような画となるシーンがありますが、日本で最初の野球漫画といわれている『バット君』という漫画の最後の方の回で、それまでやっていた野球を全くせず家族でお楽しみ会を延々行い、見開き2ページですごろくがそのまま出てくるシーンがあるんです。それがなんだかとても過激に思えてこれに似た試みをやりたい! と思ったのも、この作品を始めた動機として大きかったです。そんな風に先人の方々にリスペクトを込めた作品をふたりで描いていけたらと思います。