Mrs. GREEN APPLEが示す、報われない世界でも“帰れる場所” 新章告げる「lulu.」の音と言葉に宿る希望
“耳を疑う”転調が意味する内的な変化
実際、「lulu.」は“楽しい”曲だ。イントロで登場し、その後もシンボルとして鳴り続けるストリングスのリフと、楽曲中盤から加わる副旋律的なコーラスは非常にリズミカル。イントロは倍テン、Aメロは半テン、Bメロは再び倍テン(母音を強調するボーカルのロングトーンがビートをより明確にする)、サビは3連符と、テンポは一定のまま、セクションごとにビートを変える構造も面白い。ドラムとベースを中心としたデスクトップミュージック的なAメロから段階的に変化し、サビでは金管楽器のファンファーレが壮大に響く。このサウンドのコントラストにもワクワクさせられた。クライマックスには、若井滉斗(Gt)による最高のギターソロもある。
〈いつかのあなたの言葉が/酷く刺さってる/温かく残ってる〉〈瞳の裏にいつも君は居る/今も ずっとそう〉〈約束はね/大事にね/温かく残ってる〉と、主人公は大切な人からもらった温もりを胸に人生を歩んでいる。人は最期は一人であり、誰と暮らしていても、一人で頑張らなければいけない瞬間が訪れる。しかし、そういう時にこそ、大切な人との温かな思い出が自分を励ましてくれるものだ。その瞬間だけは「誰かとともに生きている」と言えるのではないだろうか。
帰れる場所・人の存在を胸に、これからも生きていこうという決意。その想いが一際美しく表現されているのが、ラスサビ前の間奏だ。〈いつかね/もう少しね/私が優しく在れたら/何かが変わるのでしょうか〉と問うた主人公は、きっと気づいている。すべての物事はいつか終わるという世界の理や、人の抱える孤独はずっと“変わらない”と。しかしその直後、転調という変化が訪れる。Gメジャー→A♭メジャー→Aメジャー→B♭メジャーと短いスパンで半音ずつ上昇したのち、最終的にはA♭メジャーに着地する、説明を拒むほどの力を持った、“耳を疑う”転調だ。クロマティックなベース音に導かれ、聴き手はドラマティックな上昇の感覚を体感する。だが実際には、最初のキーから半音しか上がっていない。「帰りたい場所がある」という気づきがもたらす外的には微細な、しかし内的には劇的な変化を、この転調は表現しているのかもしれない。
では、私たちはどのように帰れる場所・人を見つければよいのだろうか。「lulu.」が描くのは、まさにその問いと向き合う人の姿である。壮大な物語を紡ぎながら、大森は常に、日々を生きるいち個人としての内面を楽曲に綴っている。生きていると、人との出会いや別れがあり、個人の生活や価値観は否応なく変化させられる。住む場所や自分を取り巻く環境だって変化を逃れられないだろう。絶えず変化させられる私たちは、絶えざる“追放”の中にいるとも言える。自分の意思とは関係なく、様々な人や物が次々と現れ、やがて薄れていく。哀しい世界の中で魂を病むことなく、惑わされずに生きるには、自分自身の言葉を探しながら、考え、語ることが必要――その所作自体が“帰れる場所”になり得るのではないだろうか。Mrs. GREEN APPLEの楽曲は、現代を生きる私たちにそうした在り方を提示している。
「lulu.」は、TVアニメ『葬送のフリーレン』第2期のオープニングテーマとして書き下ろされた。本作の主人公・フリーレンは長命のエルフであり、かつてともに旅した人間の仲間は先に死んだ。現在は、死者の魂と対話できる伝説の地・オレオールを目指して旅している。作中では、オレオールが実在するかは「どっちでもいい」「あった方が都合がいい」「必死で生きてきた人の行きつく先が無であっていいはずがない」と語られている(※2)。ミセスは『BABEL no TOH』で塔が崩れたあとの人々の生活を描き、音楽で讃えた。『葬送のフリーレン』もまた、“遺された者がどう生きるか”の物語である。「幸せとは」「愛とは」「限りとは」といった哲学的な問いが作品の根底に横たわっていること。報われないことばかりの世界を憂いつつ、現実的な視点から希望を見出そうとする姿勢。それらが『葬送のフリーレン』とミセスの楽曲の共通点かもしれない。だからこそ「lulu.」は『葬送のフリーレン』の世界でも美しく響いたのだろう。
「lulu.」とともに幕を開けたMrs. GREEN APPLEのフェーズ3。新章へと進んだ彼らの紡ぐ物語は、今日もどこかで、誰かの“帰れる場所”になっている。
※1 https://x.com/MotokiOhmoriMGA/status/2010300395684606179
※2 山田鐘人、アベツカサ『葬送のフリーレン』第1巻(小学館)























