171のオルタナロックが2025年に鳴る意味――ライブハウス発の“リアル”が響く理由を『HELLO!』から読む

ライブハウス特有の匂い、というものがある。汗と煙草(かつては)とアルコールが混ざった空気と床、あるいは謎の柄があしらわれた楽屋の絨毯。アンプがまだ熱を持っている感触。客電がついて、さっきまでの爆音が嘘のように静まり返ったフロアに、自分の足音だけが響くような感覚。
寡聞にして171(イナイチ)というバンドの音源を初めて聴いた。しかし、あの時間、空間、匂いを知っている人間にとって、この音は最初の数秒で“わかる”類のものだった。
171『HELLO!』に滲む田村晴信・カナが生むコントラスト
京都、大阪、兵庫を貫く国道171号を名前に冠した3ピース。ギターをかき鳴らしながら歌う田村晴信(Vo/Gt)の喉は、あらかじめブルースの芯を孕んだ魅力がある。どこか、サンボマスターの山口隆や竹原ピストルの系譜を感じる。カナ(Vo/Ba)のベースは低音で床を揺らしながら、ボーカルに回ると一転、抜けのいいハイトーンで楽曲の色を塗り替えていく。その落差が面白い。モリモリ(Dr)のドラムは、叩くというより殴っている。3人の音がぶつかり合って生まれる摩擦熱が、このバンドの推進力になっているのだろう。
メジャーデビューアルバム『HELLO!』を聴いて気づくのは、田村とカナという二人のソングライターの資質の違いが、アルバム全体に絶妙なコントラストを生んでいることだ。
田村の曲は、地に足がついている。「LOST IN THE ライブハウス」「グレモンハンドル」「壊れたギター」「快速急行」「My First Car」。ライブハウス、ギター、車、電車、松屋。国道沿いの生活圏がそのまま歌になっている。エンジンを吹かすようなガレージロックから、十三駅の夕暮れを描くミッドソングまで。機材の固有名詞が頻出するのも田村曲の特徴で、SM58、マーシャル、真空管といった言葉が、ロックの生命力を支える“物質”への敬意として機能している。「グレモンハンドル」で列挙される、初心者が最初に手にする、あるいは金のないバンドマンが必死で買う楽器――そう、171が歌っているのは、恵まれた環境で音楽を始めた人間の物語ではない。
一方、カナの曲はより内省的で、抽象度が高い。「SUPERSONIC」のMVでカナがNirvanaの「In Utero」のTシャツを着て、グリーンバック撮影でデジタルの羽根を付けているのは偶然ではないだろう。気だるいボーカルの奥に、90年代グランジ/オルタナのメランコリーが滲んでいる。倦怠への苛立ちと、それでも飛び出そうとする衝動。未完成なまま加速することへの肯定。田村の楽曲が“場所”を歌うなら、カナ曲は“状態”を歌っている。
「plastic world」では、2000年代後半にニューウェイヴリバイバルから派生したニューレイヴ的なサウンドが顔を出す。羽根、獣、回路、エンジン、境界線といったメタファーが、偽装された自分を壊して本質に触れたいという欲望を描く。田村曲がストレートなガレージロック/ロックンロールの文脈にあるとすれば、カナ曲はよりオルタナティブで、時に実験的。この二つの資質が一枚のアルバムの中で交差することで、『HELLO!』は単なるライブハウスロックのアルバムに留まらない奥行きを獲得している。
アルバムには、喪失の影が常に寄り添っている。「壊れたギター」は田村曲の中でも特に私的な手触りを持つ。失くしたものと壊したものの列挙から始まり、新しい町での新しい生活と、過去の記憶が二重露光のように重なっていく。壊れたギターは部屋の中で、何度見ても壊れたままだ。修復ではなく、喪失を抱えたまま生きていく現在のリアル。やり直さない物語。
ラストの「LOOP」は、その喪失がさらに深い場所へ沈む。後悔の反復、記憶の劣化、自責のループ。同じ言葉が何度も繰り返される構造自体が、抜け出せない思考を体現している。最後まで何も解決しないのだ。その“未解決さ”が、喪失の真実に最も近い。






















