水平線が目指す場所、鳴らすべき音楽、なるべき姿 変化と決意の夏――新曲「エンドレスサマー」を語る

京都発、旅を続けるバンド・水平線にとって、2025年は飛躍の年と言っても過言ではないだろう。『SUMMER SONIC 2025』、『SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2025』と大型夏フェスへの出演を経て、さらなる成長を遂げた彼ら。この夏の経験は、バンドの意識を内から外へと変えるものだったという。そんな彼らが新曲「エンドレスサマー」をリリースした。駆け抜けていった夏を切なくも鮮やかなギターポップで表現した本作。今回は、新章に突入した水平線でソングライターを務める安東瑞登(Vo/Gt)と田嶋太一(Vo/Gt)の言葉から、水平線というロックバンドの魅力を紐解いていこうと思う。(笹谷淳介)
「自由にスタートしたんですよ」――水平線の始まり

――おふたりは、これまでどんな音楽に触れてきましたか?
安東瑞登(以下、安東):根っこにあるのは、僕はJ-POP。それこそ親が車のなかでかけていたものが、当時の流行りのJ-POPとかで。聴きやすい曲というものが好きでした。中高くらいでバンドを知り始めて、そこから自分でいろんなバンドを聴くようになって。最初は邦楽ロック、日本のバンドをずっと聴いてたんですけど、バンドを組んでから海外のアーティスト――OasisとかのUKロックをバンドを結成してから初めて聴いたり。「これがルーツ」というものはないんですけど、いろんなものをつまみ食いするみたいな感じで、音楽を聴いてきました。
――なかでも琴線に触れたバンドとかはありましたか?
安東:バンドで初めてかっこいいと思ったのは、ONE OK ROCKでしたね。そこからバンドにフォーカスして音楽を聴くようになって、「Mr.Childrenもロックなんや!」って気づくという(笑)。最初は歌モノとして聴いていただけだったんですけど、ロックバンドとしていろいろなものを聴くようになりましたね。
――田嶋さんはどんな音楽に触れてきました?
田嶋太一(以下、田嶋):最初は親の影響で音楽に触れていたと思うんですけど、自分で明確に意思を持ってロックが好きと思ったのは、中3の終わりくらいに友人から教えてもらったQUEENの影響が強いです。それまではギターもベースもドラムも誰がやっているか気にせずざっくり音楽を聴いていたんですけど、QUEENを知ってからは、各パートの音を意識するようになったというか。そこで楽器にも興味が湧いて、高校に入ってからギターを始めるんですよ。アコギを触り始めた時に出会ったのが、Oasis。UKロックの楽曲を弾きまくってましたね。
――でも、当時だとそれこそ邦楽ロックが流行していたのでは?
田嶋:たしかに流行っていたんですけど、当時の僕は洋楽かぶれ勢だったので、高校時代はJ-POPやJ-ROCKにはほぼ触れず、大学のサークルに入ってから本格的に聴き始めましたね。コピーバンドを中心に行うサークルだったこともあったし、自分が歌唱するとなると英語の曲を歌うのは苦手意識もあって。そのあたりから意識してJ-POPやJ-ROCKを聴くようになりました。
――最初に触れたのがエレキではなく、アコギだったのはなぜ?
田嶋:最初に友人の家で触らせてもらったのがアコギだったのと、初めて貰った楽器がアコギだったからですかね。だから、最初にエレキを触っていたらそのままエレキを弾いてたと思う。Extremeの「More Than Words」とか、MR. BIGの「To Be With You」とか、弾けたらかっこいいっていう曲を当時は意識して練習してました。Oasisもアコギでコピーしまくってました。振り返ると、ミーハーといえばミーハーですよね(笑)。
――なるほど。洋楽好きとして大学では邦楽ロックのコピーバンドをすることになるわけですけど、当時の心境としてはどんな感じだったんですか?
安東:たしかに! それは気になるな。
田嶋:今思えば、誰しも洋楽から影響を受けているということが理解できるんですけど、当時は自分が思い描く洋楽っぽさをそのまま投影したような、オルタナ系のバンドならコピーしやすいかなとは思ってました。それこそ、最初にコピーしたのはくるりだったんですよ。でも、やっぱりサークルに入りたての頃はポップスに拒否反応というか、洋楽かぶれが残ってる状態ではありました。そこから徐々に音楽の幅を広げていった感じですね。
安東:そんな感じでサークルに入ってきたんやな(笑)。
田嶋:正直、舐めてましたね。
安東:それで、ようアコースティックサウンドクラブに入ったな(笑)。
――たしかに(笑)。
安東:軽音部とアコースティックサウンドクラブのふたつがあって。水平線は全員がアコースティックサウンドクラブ出身なんですよ。でも、今の話を聞くと結構感覚が離れている気がするんやけど……。
田嶋:入った当初は、実は本気でやろうと思ってなかったんですよ。メンバー探しじゃないですけど、当時からオリジナルバンドをやりたいって気持ちはあったから、舐めた感じで入部したのが近いかも。上手いヤツがおったら、引き抜いてやろうかなという感じで……(笑)。
安東:めっちゃ嫌なヤツやん!
田嶋:でも、入ったら入ったでいい人ばかりだったので、楽しんでました(笑)。
――そんな背景がありつつ、水平線のメンバーは出会ったわけですね。
安東:そうですね(笑)。最初はコピーバンドを一緒にやったりとか。
田嶋:1年生の頃は、無限くん(Dr)も一緒にビッケブランカの「Slave of Love」とかを一緒にやりましたよ。僕がギターで、安東くんがボーカル。誘われて嬉しかったです。「めっちゃQUEENやん!」って思いながらやってました(笑)。
安東:当時は全然洋楽を聴いてなかったから、QUEENとかわからずに僕はやってたけど、そんなことを思いながらやってたんやな。だから受けてくれたのか!
田嶋:普通にかっこいい!
――そこからどういう変遷を経て、水平線は結成されるんですか?
田嶋:僕とベースの水野くんと安東くんとその他友人たちと、プププランドという神戸のバンドのライブを観に行って。そのライブを観て、インディーズバンドってカッコいいなって思ったんですよね。そのあとに、水野(龍之介/Ba)くんと「オリジナルをやりたいね」と話し合って、ええ感じにオリジナル志向があったヤツを誘うということで、安東くんと(川島)無限(Dr)くんに声を掛けました。サークルでも仲の良かった4人で。
――田嶋さんが思い描いていたバンド像って、どんな音楽性だったんですか?
安東:いまと違う感じだったらなんとも言えん気持ちになるな(笑)。
田嶋:あはは(笑)。結局、洋楽かぶれみたいなテンションはいまだに拭えてなくて。それこそ歌詞は日本語ですけど、自分がかっこいいと思っていたサウンドをやっているバンドは結構いるなと思っていて。ユニコーン、くるり、スピッツ、挙げ出したらキリがないですけど、あの年代のバンドたちはかっこいいというか、洋楽と邦楽のバランスが絶妙。そういうバンドをやりたいというのはありました。日本語やけど、海外に負けないサウンドがやりたいなという感じ。
――なるほど。
田嶋:アコースティックサウンドクラブということもあって、歌心という部分も4人とも好きだったので、QUEENにも通ずるけど、和声を大事にしたいとも思ってました。それを前面に押し出したバンドも多くなかったので、武器にできたら面白そうやな、って。水平線は僕と安東くんでソングライティングしてますけど、QUEENもThe Beatlesも人によって書く曲の色が違う。それがオムニバスっぽい感じで面白い。めちゃくちゃ意識していたわけではないけど、そういうことを思っていたかもしれない。
――明確なバンド像があったんですね。
田嶋:たしかに。でも、始めた当初は、「こういうバンドをやろう」とみんなに共有したことはなく、自由にスタートしたんですよ。


















