山崎まさよし「One more time, One more chance」は『秒速5センチメートル』に欠かせない――“諦めきれない”感情の普遍性

 本日10月10日から、劇場用実写映画『秒速5センチメートル』が全国の映画館で公開スタート。主題歌は米津玄師の新曲「1991」、そして劇中歌として、原作アニメーションの主題歌である山崎まさよしの「One more time, One more chance」がアップミックス版「One more time, One more chance ~劇場用実写映画『秒速5センチメートル』Remaster~」として起用されている。

劇中歌「One more time, One more chance」スペシャルリリックビデオ|劇場用実写映画『秒速5センチメートル』【10月10日(金)公開】

楽曲に宿る人間くさい感情の力強さ、『秒速5センチメートル』との親和性

 「One more time, One more chance」――その曲が脳裏によぎった瞬間から、逃げられた試しがない。あのメロディ、あの歌詞。頭の中で山崎が〈いつでも捜しているよ〉と歌い出す。特にCメロを過ぎるとサビを繰り返すせいか、私の脳内でも山崎まさよしは、捜し続けている。そして歌詞を覚えきれていない私は「どこを探すんだっけ」と、毎回その場所を探す羽目になる。「そうだ、〈路地裏の窓〉だ!」なんて思い出すのだが、いつも「そんなところにいるはずないだろ!」なんて意地悪に思ってしまう。山崎まさよしだって、そうわかっていながら探しているのに。

 そんなふうに「One more time, One more chance」という曲に翻弄されつつ、私個人としてはこの曲が主題歌となった新海誠監督の『秒速5センチメートル』にも翻弄されてきた。20代前半の頃に付き合っていた男が、元カノと2回も浮気をしたことがある。その彼が『秒速5センチメートル』に浸透していたのだ。作品は呪いとなり、曲とともに私に取り憑いた。本当に個人的な背景ではあるが、『秒速5センチメートル』そのものが普遍的な“初恋”についての物語であり、それゆえにそれぞれの個人体験に想いを馳せてしまうような、パーソナルな作品になり得る特性をはらんでいる。

「秒速5センチメートル」予告編 HD版 (5 Centimeters per Second)

 しかし、実写版をきっかけに久しぶりにアニメ版『秒速5センチメートル』に触れると、特に映像とともに流れる「One more time, One more chance」の良さが尋常ではないことを再認識した。時が経ち、解呪されたおかげでようやくしっかりと作品そのものに向き合えたのかもしれない。しかし改めて感じたのは、〈いるはずもない〉場所にいるかもしれない――。そんなありえないはずの事象に対し、「わかっているけれど、それでも願ってしまう」、非論理的で実に人間くさい感情の力強さだ。

 本作は、背景や登場する街など、徹底したロケハンぶりが窺えるほど写実的なのに、物語は登場人物の行動も含めてファンタジー的なのが面白い。中学1年生の遠野貴樹が栃木に向かう際、大雪で電車の中に閉じ込められるシーンは自身の実体験にヒントを得ていると新海監督が公言しているが、それと同時に本作が決して実話を基にしている作品ではないとも話している。同じく中学1年生の篠原明里が23時15分という時間に、親の迎えもなくひとりで駅の待合室で待っているシーンは、いつ見ても色々なことを心配してしまうのだが、その“現実でのありえなさ”のようなものが『秒速5センチメートル』の味でもある。むしろ、非現実的であればあるほど、先に述べた「One more time, One more chance」が持つ力強さは際立つのだ。

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