きゃりーぱみゅぱみゅ×アソビシステム代表 中川悠介 対談 “今”の礎を築いた二人三脚での挑戦の日々を語る

きゃりー×アソビシステム代表 中川 対談

海外進出のロールモデルに 実感した“言葉の壁”を越える音楽の力

きゃりーぱみゅぱみゅ×アソビシステム代表 中川悠介 対談

――2011年8月にメジャーデビュー作となるミニアルバム『もしもし原宿』がリリースされました。そこに収録されていたリード曲「PONPONPON」は先行配信され、国内外で大きな注目を集めましたね。

中川:ミニアルバムに関しては、原宿という街が持っているパワーを表現しようと思い、最初は『原宿の元気玉』というタイトルも案にあったんですよ(笑)。ただ、それは商標的に使えなかったので『もしもし原宿』になったんですけど、あの作品は音楽もアートワークも映像も含め、きゃりーの好きな世界観がすべて詰め込まれた仕上がりになったと思っていて。当時、今ほど認知度のなかったYouTubeに「PONPONPON」のMVを上げた結果、それが日本のみならず世界にも広まっていった。本当にいい作品を作れば世界にも響くんだなと知れたことは、すごくワクワクしたし、おもしろかったですね。

きゃりー:「PONPONPON」のMVをフル尺でYouTubeにアップしたときはビックリしましたけどね。「え、そんなことしたらCDが売れなくなるんじゃないの!?」みたいな(笑)。そういう部分でアーミーさんは先見性があるし、常に思い切ったことをするんです。でもね、そこでMVを全編公開したおかげで、私が大好きだったケイティ・ペリーがMVをポストしてくれたり、LINKIN PARKのメンバーも反応してくれたりしたんですよ。思わぬところから反響がたくさん届いたことが、後のワールドツアーにも繋がっていったんですよね。デビュー早々、私としては信じられない展開すぎて、本当にビックリしました。

きゃりーぱみゅぱみゅ - PONPONPON , Kyary Pamyu Pamyu - PONPONPON

中川:そういう展開になるであろうという確信があったわけではもちろんないんですけど、いいものを作ればちゃんと評価されるだろうなという思いはずっとあって。僕らは大手の事務所ではないので、とにかく自分たちでアイデアを出し、いろんなことを仕掛けていくことも大事でしたね。MV撮影に関しては、たくさんのクリエイターが意見を出し合い、それを掛け算し、混ぜ合わせながらひとつの作品にしていくので、とにかく大変でした。ある意味、いろんな知識がなかったからこそできたことなのかもしれないです。

きゃりー:うんうん。「ファッションモンスター」(2012年リリースの3rdシングル)くらいまではMV撮影の次の日に毎回、知恵熱出してましたもん(笑)。それくらい頑張りすぎちゃって。でも、そうやってみんなで一生懸命作った作品に対して、たくさんの反響をいただけたことが本当に嬉しかったです。

きゃりーぱみゅぱみゅ - ファッションモンスター,Kyary Pamyu Pamyu Fashion Monster

――海外進出については、当初から明確に狙っていたところだったんですか?

中川:やっぱり「PONPONPON」のMV再生数が大きく回って、世界各国のiTunesでチャートインしたことがひとつのきっかけではありましたよね。日本のアーティストが海外で活動することは大事だと思っていたし、海外でも活躍している18歳の女の子がいれば日本のみなさんもさらに応援してくれるんじゃないかなという思いもあって。だからこそ、海外には積極的に攻めていくべきだなと。

きゃりー:当時の日本では、国内で成功された方が次のステージとして海外に進出するというイメージがあったんですよね。それなのに私はデビューした年に初めての海外ライブを経験させてもらえたし、初めてのワールドツアーの一発目がベルギーだったりして。とにかくもう「お客さん、来てくれるのかな?」ていう不安があったし、ホテルでもずっと緊張している感じで。スタッフのみんなが観光している間も、私だけ1人、部屋にこもってドキドキしてるっていう(笑)。でも、いざステージに立ってみたら信じられないぐらいのお客さんが来てくれていたし、日本語が通じない状況にもかかわらず、みんな大盛り上がりしてくれていたんですよ。そのときに言葉の壁を越える音楽の力、素晴らしさを目の当たりにして。不安に思う必要なんて1ミリもなかったって思いました。そういう状況もアーミーさんは見抜いてくれてたのかなって。

きゃりーぱみゅぱみゅ×アソビシステム代表 中川悠介 対談

――海外でも積極的に活動していく中で芽生えた変化ってありましたか?

きゃりー:初めてのワールドツアーを経たことで、「ライブってめっちゃ楽しいんだな!」と思えるようになったんですよ。それが大きな変化だと思います。ツアーを周れば周るほど自信がどんどんついていくんですよ。日本でのライブももちろんすごく盛り上がるんですけど、海外のライブだとお客さんの反応がすごく大きいじゃないですか。「フー!!」とか叫んで、みんな楽しく踊り狂ってるみたいな世界なので、そこでの一体感が本当にすごいんですよね。ワールドツアーを経て、久しぶりに国内でライブすると、「パフォーマンスがめっちゃ良くなったね」って言われることがすごく多くて。それはやっぱり世界中のファンのみなさんの声援をエネルギーにして、きゃりーぱみゅぱみゅが成長していったということなんだろうなって。

中川:初のワールドツアーの頃は、僕らスタッフも知識がまったくなかったんで、とにかく大変で。ベルギーでは着いた瞬間にカメラを盗まれたりとか、ライブハウスでリハーサルしようと思った瞬間にヒューズが飛んで、近くの電気屋さんに走ったりとか。

きゃりー:あったあった(笑)。バスでの長時間移動もありましたよね。車内がめちゃくちゃ寒くて死にそうになりました(笑)。

中川:そんな珍道中ばかりだったので、きゃりーは不安な部分もたくさんあったと思うんです。でも、ライブをやってみれば普通の10代の子が味わえないような、信じられない景色をたくさん見れたと思うんですよね。それによって僕らの絆も深まって強固なワンチームになれたところもあったし、引いてはきゃりーのおかげで日本のアーティストが海外に出ていきやすくなったところはあるんじゃないかなと思います。

きゃりーぱみゅぱみゅ×アソビシステム代表 中川悠介 対談

――海外進出のひとつのロールモデルになったきゃりーさんの存在が、アソビシステムという事務所の運営に影響を及ぼしたところもありましたか?

中川:それはめちゃくちゃあると思います。きゃりーを筆頭に、(新しい学校の)リーダーズやAMIAYAなんかが海外にもどんどん行ってますからね。日本と海外を行き来することが当たり前、いろんな人が海外に出ていきやすい雰囲気の事務所になったとは思いますね。

きゃりー:「自分が先駆者だ」みたいな気持ちは全然ないんですけど(笑)。でもたとえばリーダーズと会えば“ワールドツアーあるある”を話せたりできる状況はすごくいいなって思うんですよね。海外での活動はすごく楽しいものではあるけど、けっこうハードな側面もあったりするので、そういう話をできるのが楽しくて。この間、BABYMETALのラジオに出演させていただいたときも、ワールドツアーの話ですごく盛り上がりました。ライブ本番の2時間前に取材があるって聞いていたのに、本番10分前にニコニコしながら記者の方が来たりとか、普通にあるんですよ。そういうのってちょっと戸惑っちゃうよね、みたいな話をしたりとか(笑)。

中川:日本での扱いとは全然違う部分がありますからね。そういうところもちゃんと耐えてくれているのはすごいなって思いますよ(笑)。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる