Aqoursと“あなた”が交わした「忘れない」という約束 あの日証明した永久の形、こころに刻まれた輝き

 2025年6月21日、22日に、Aqoursキャスト9人での“最後のワンマンライブ”と称した『ラブライブ!サンシャイン!! Aqours Finale LoveLive! ~永久stage~』が開催された。“最後”と謳いながらもどこか希望すら感じさせたステージは、最後に「忘れない」という約束を結び、その幕を閉じた。私は、この「忘れない」という約束こそ、これからのAqoursとファンが“永久”を創り上げていく鍵だと感じている。

 「忘れたくない」とは、誰もが抱く可能性を秘めた根源的な欲求だ。寿命があるだけでなく、知性を持つからこそ、瞬間も記憶も永遠でないと人は知っている。ゆえに、目の前の瞬間が儚く愛おしいほど“それ”を望むのだろう。

 こと、『ラブライブ!シリーズ』のスクールアイドルにおいては、その傾向はより顕著だと感じる。もともとスクールアイドルは学校の部活動の一環として、アイドル活動を行う少女たちに与えられる肩書だ。3年間という限られた時間の中で、仲間たちと苦しみ、焦燥、喜び、さまざまな感情を共有していく。そして、その過程で生まれたかけがえのない瞬間、輝き、気づき、ときめきを青春の宝物として、「忘れない」と誓い合う。だからこそ、μ'sから現在に至るまで「忘れない」という概念を歌わなかったスクールアイドルを探す方が難しいだろう。「忘れない」という誓いは、スクールアイドルにとって、刹那的な瞬間を生きた証なのだ。

 そして、誓いは時に「忘れないで」という願いにも変わる。だが、自分が誓うことと、他人に求めることの難しさの違いは、言わずともわかるだろう。ゆえに、その願いは切実で、いじらしい。私はそんなスクールアイドルの姿を「愛おしい」と思うのだが、フィナーレライブでAqoursが見せた姿は、たくましさを感じさせるものだった。

 私は「忘れない」「忘れないで」という言葉を、誓いや願いとして理解しているのだが、Aqoursはそれを純粋な欲求として、実直にこちらへ向けてきた。たとえば、「Deep Blue」という楽曲では、〈忘れない忘れられたくない〉と歌っている。そして、ステージ上で披露された際には力強いパフォーマンスも相まって、閉ざされた扉をこじ開けていくような、忘却に抗おうとする精神を感じさせられた。

 人は、忘却は抗いようがないことであると知っているからこそ、「忘れない」という誓いや願いとして昇華するのだろう。だが、Aqoursにとって、忘却は抗いようのないものではない。そして、「忘れない」とは誰に祈るものではなく、自分たちで叶えていくものなのだと示してきた。

 思い出や輝きを”永遠”にしようとする姿勢は今に始まったことではない。むしろ、それは何年も前から変わらない、Aqoursの本質ど真ん中であると言いたい。フィナーレライブの幕間映像でも流れていたが、アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』において、Aqoursは自らとともに廃校してしまう浦の星女学院の名前を、永遠に残すために足掻き続けた。Aqoursにとって永遠とは現象的に発生するものではなく、自らの足掻きと軌跡をもって創り上げるものだったのだ。

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