「救いのための毒を共有できたら」 声優・佐倉綾音が語るラジオ論、“足枷”のない生放送でしか届けられないもの

不登校時期の防衛本能から生まれた佐倉綾音の“論理的思考”
――番組コンセプトの“論理的思考”について伺います。この考え方を佐倉さんが自覚したのはいつ頃でしょうか? 子供の頃に理屈っぽいと自覚したエピソードがあれば教えていただきたいです。
佐倉:私は小学生の時、明確に人生につまずいているので、その時かな(笑)。それまではもっと能天気で、明るいクラスの人気者としてすごく純風満帆な人生が待っていると思いながら過ごしていたんです。「将来のビジョンを書いてみよう」といった展示授業では、「当時憧れていた私立の高校に入り、憧れの制服を着て、推薦入試で憧れの大学に入り、その後、本業はシステムエンジニアをやりつつイラストレーターとして二足の草鞋で生活する」みたいなビジョンを書いて、その通りになると信じて疑わなかったんです。習い事もたくさんして、塾にも通って成績もオール5の優等生でした。
でも、その後で人生において初めての経験をしました。決していじめられていた、といった話ではないのですが、他人に悪意をまき散らす存在に初めて出会い、人のことを信用できなくなって。体調も崩し、学校にも行かず勉強にもついていけなくなり、びっくりするぐらい道を踏み外し、急に全部が崩れてしまったんです。その時、「どうしてこうなったのか」を深く突き詰めて考えるようになりました。理屈ではないものに理屈をつけて、自分を安心させようとしたのだと思います。それは防衛本能だったのではないか、と今にしてみれば感じるんですけど。

――不登校のエピソードはTBSラジオ『荻上チキ・Session』に出演された際にもお話されていましたね。
佐倉:はい。私はいろんなことに、いっぱいいっぱい保険をかけているし、最悪の事態を想定しながら生きていて、とにかくこれから起こる衝撃に備えようとしている。全部防衛本能なんですよ。実はとんでもなくコンプレックスだらけで、自分でもめちゃくちゃ弱い人間だと思うのですが、四六時中頭を働かせて、思考を巡らせることが嫌ではなかったこと、そこに関しての努力の才能があったことだけが私にとって命綱でした。思考することや分析することは無料でどの瞬間でもできるので、ずっと何かしら考えている……という感じですね。
――思考を巡らせるのが難しい人にとってはおっしゃるように“才能”に映るでしょうね。
佐倉:“才能”というのはあくまで自分を救い上げる言い方で、それは″足枷″でもあるんです。それによって損をしてきたこともあるし、自分を追い詰めるクセもあるので、だから学校にも戻れなかったんだと思います。いろんなことを考えたら、自分にとっての学校への意味を見出せなくなってしまったりして。そこは善し悪しですが、ボーっとするのが好きで、色々と考えずに過ごせる人のことを私は羨ましいと思うし、そのほうが主観的にも豊かな可能性が高いので。私はたまたまそういう才能があって、今この仕事に就けているから楽ですが、これが活かせない仕事だったら地獄みたいな毎日だったかもしれない。そこは自分が抱えているものを、どのように活かしながら生きていくか次第。それを見つけられた私は運がよかっただけだと思います。

――放送開始後のお話を伺います。毎回のようにパワーワードが登場し、その時のリスナーの反応を含めての醍醐味が生放送にはあるかと思うのですが、ご自身としてはどのように受け止めていますか?
佐倉:パワーワードと言われるのは嬉しくてありがたいのですが、実際“パワーワード”という存在のことをぜんぜん信用していなくて(笑)。私はパワーワードだと思って発していなかったりするので受け取り方だと思いますし、このラジオが放送している現時点でそれが響く人が多かったというだけで。ワード自体は次の瞬間から誰でも真似できるので、そのワードにいかに意味と説得力を持たせられるかがパーソナリティの真価なんじゃないかと思っています。だから、まだ3回しか放送していない段階で(※取材時)、皆さんが私のことを信頼して、私が吐いた言葉を「パワーワードだ!」と言ってくれることへの恐ろしさを感じています。
――(笑)。
佐倉:放送第1回目でも言ったのですが、「追いかけるコンテンツを自分の宗教にすることはとても怖い」ので、そこはしっかりと気をつけていきたいと思っています。
――第3回放送の最後に「来週も“集団ごっこ”しようや」で締め括ったので、“集団ごっこ”は番組を象徴する言葉になっていくことになるのか、それもリスナーのリアクション次第ですか。
佐倉:それこそパワーワードですよね(笑)。“集団ごっこ”は、絶望であり希望である、私の人生の中で大切にしている言葉の1つです。結局、人間関係って全部、仲良しごっこだったりするので、そうやって思っておくことによって非常に前向きな諦念の境地に立つことができるんですよね。これもまた先ほどのような保険スキルの1つだったりします。そういうライフハックみたいなものをもし必要としている人がいるのであれば、その人に参考資料として届いたらいいなとは思いながら喋っています。

――あと、番組中には役者であるからこそ出てきたと思われる言葉もありました。「論理的な分析を礎にして感情で動いていきたい。それが私は役者だと思っているので、そういう原動力で私はこのラジオをお送りできたら」という言葉が印象的でした。この言葉の背景を教えていただけますか?
佐倉:これは私がとても大事にしていることです。感覚派/理論派みたいな感じで二分化されることも多いのですが、私は基本的に理屈っぽいので、今まで理論派と自称していたんですけど、本当は決してそんな単純なものではないんです。役者が携える台本には、誰かが表現したいと思っているものや、役自体が生きていたりして、それを表現して皆さんに届けるのが役者の使命。ただ、台本がある以上、私たちは基本的に先の展開や、そのキャラクターを秘めているものや背景、これから先に起こる事象の知識を入れた上で芝居をすることになります。
――たしかに、アフレコ現場に臨んで初見で言葉を発するということはありえませんね。
佐倉:つまり、頭から演じるときには全部その記憶をリセットし、その役の人生として初めていろんなものに出会っていくという過程を表現することになるわけです。例えば、私の役の「おはよう」というセリフを受ける人物の次のセリフが「わ! そんな大きい声出さないでよ!」であれば、私は大きな声で「おはよう」と言う必要がある。でも、役を生きる上ではそういう展開を知らずに演じる必要がありますよね。ただ、次の人のセリフはわかっていないと、前の芝居が出てこないというジレンマがあります。ある音響監督さんには「台本は後ろから読め」というディレクションをされることもあり、「この人たちの人生の辻褄を、お前たちが合わせていかなきゃダメだろう」と言われます。その意味において、このキャラクターの感情は理屈として理解しているのですが、演じる時になったらそれらをすべて忘れ、全部その役が“人生で初めて出会うもの”として演じなければならないわけですから。そこは感覚になるんですよね。これは最近になってようやく自分の中で言語化できるようになりました。
――そんな深い言葉が番組の随所に登場することも魅力です。まだ番組はスタートしたばかりですが、今後の方向性はどのように考えていますか?
佐倉:一体どこへ向かって行くのか、私にもよくわからないんです(笑)。初回放送を迎える前の打ち合わせでも、スタッフさんと、「誰が聞いてくれて、どんな反応が返ってきて、それに対して、私がどうしゃべっていくのかは、走り出してみないと本当にわからないですね」と話していました。今もまだまだ探っています。現在のところまだ真新しさがあり、期待やワクワクなど注目してもらえている気がしますが、番組が長く続くとリスナーさんの接し方も変わってくることでしょう。私自身も、調子が悪い日はすごく腑抜けた放送をするかもしれない。この番組のことを“生き様メディア”と番組内で表現したのですが、水曜日の22時が毎週否応なく訪れる恐怖に私自身がどう立ち回っていくのか、自分でも見ものだと思っています。しばらくは、そういう自分とリスナーに向き合う時間にしたいです。今は私が1から10まで全部説明していますが、ラジオは想像力のメディアですから、もう少しリスナーの想像力に頼った企画を投げたら皆さんはどういう反応するか、そういうところもちょっと気になりますね(笑)。

※1:https://x.com/SpotifyJP/status/1912091028934496308
■ラジオ情報
TBSラジオ『佐倉綾音 論理×ロンリー』
放送時間:毎週水曜22:00~22:55(生放送)
公式 TBS Podcast:https://www.youtube.com/playlist?list=PLdDrTl31O6BOTKdEKeaZc31BZuIcQOd5T





















