きばやし、憂いを帯びた歌で高まる注目 分かり合えない世界でも肯定していく“心の奥底にある感情”

腹の底から出されるエネルギッシュで泥臭い歌声と、人の心の奥の奥を描くドロッとした歌詞。ギター1本、身一つでどこにでも歌いにいけるんだろうなというシンプルでタフな在り様と、四畳半ワンルームにはとても収まりきらないスケールの大きな歌。タイムラインには今日も膨大な情報が流れていて、スワイプすれば二度と同じ出会いはできないが、この歌はそう簡単に聴き流せない――多くの人にそう思わせる力が、きばやしの歌にはあるんじゃないかと思った。
きばやしは、2000年生まれ、神奈川県出身のシンガーソングライターだ。彼女の歌声はどこか憂いを帯びていて、マイナーキーがよく似合う。中には昭和歌謡/フォークの匂いを感じ取るリスナーもいるかもしれないが、きばやしは幼少期から、家族の影響で美空ひばりや天童よしみ、すぎもとまさとの楽曲をよく聴いていたらしく、「はじめておもちゃのピアノで弾いたのも『渡る世間は鬼ばかり』のテーマ曲」というエピソードからも、子どもにしては趣味が渋めだったことが窺える(※1)。また、2023年には西岡恭蔵「プカプカ」をカバーしている。
2020年春に自主制作盤をリリースし、シンガーソングライターとしてのキャリアをスタートさせたきばやしは、以降、配信シングルやEPをコンスタントにリリースしてきた。生死や愛憎、生活の風景など、曲のテーマは多岐にわたるが、基本的に「人と人とは分かり合えない」「みんな、どこまでいっても孤独である」という考え方が土台にある。その上で、気持ちがすれ違った時、なぜ自分が悲しみや寂しさ、怒りを感じるのかをきばやしは掘り下げて歌っている。あるいは、この世界の片隅で膝を抱えている誰かに向かって、自分は他人であることを承知の上で「でも、なんとかしたい」「私に何が伝えられるだろうか」ともがきながら、歌っている。
1st EP『生活』に収録されている「嘘」は浮気された人目線の曲なのだが、相手からうっすらと見下されているような描写がリアルでゾクッとした。主人公はそんな自分を卑下している……ように見せかけて、気づかぬふりしてそつなくこなす〈大人〉にも、ワガママな〈子供〉にもなれるのが〈女〉であり、許すか許さないかは私次第なのだと歌っている。なんて恐ろしい曲だろうと一瞬思ったが、人は本来、蔑ろにされたと感じたならば、このくらい怒っていいはずだ。私たちは日常生活を円滑にまわすため、会社や学校で言いたいことを我慢し、怒りや悲しみの感情に蓋をしてやり過ごすことも多い。一方きばやしは、音楽では何を歌ってもいいだろうという感じで、〈子供〉に戻って吠えたり弱音を零したりする。出発点は彼女自身の感情かもしれないが、その歌は、私たちの分の怒りや悲しみまで肯定してくれているようだ。「まあ、仕方ないよね」で済ませてきた心を抱きしめてくれるようにさえ感じる。
きばやしの曲にはどれも強い感情、念や願いのようなものが込められている。2nd EP『うつしよ』収録曲「天国より」は、自ら命を絶つことを考えたことのある人に向けられた曲だと感じた。心情的には「死んではダメだ」とか「生きてほしい」と言いたくなるところだが、〈死んでもいいけど本当に/天国なんてあるのかい〉〈病んでもいいけど君には/天国よりも確かな明日がある〉と歌っているのが誠実だ。自分以外の人が抱えている苦しみも、その選択に至った経緯もわかった気になってはいけないと心得ているからこそ、こういう伝え方になるのだろう。





















