細美武士、人生観の転換から芽生えた“終焉”と“輝き”への想い the HIATUS 15年の特別な歩みも振り返る

the HIATUSの15周年公演をライブアルバムにした真意
――先ほど、現場の空気は「ライブアルバムやライブ映像では体感できない」と言っていましたけど。それはすごくわかりつつも、個人的にはライブ映像よりもライブアルバムのほうが、現場の空気を感じられる気がしていて。というのも、映像も嬉しいんですけど、どうしてもテレビを観ているような距離は感じるんですよね。でも、ライブアルバムは音だけなので、逆にその場にいるような気持ちになれる。だからSNSで映像と音楽が結びついて広まっている今でも、私はライブアルバムが大好きなんですけど、今回the HIATUSがどうしてライブ映像ではなくライブアルバムを出したのかっていうところも聞きたかったんです。
細美:なるほどね。例えば、ELLEGARDENが復活したときのZOZOマリンスタジアム(2018年)の映像は何曲かYouTubeに上がってるけど、あのライブを映像作品にしなかったことには俺なりの理由があって。ライブを観たその人の記憶って、“どこで観ていたか”によって全然違うじゃないですか。2階席で観ていた人と、アリーナ前方で暴れてた人の景色はまったく違うし、スタジアムの外で音漏れ聴いてくれてた人たちともまったく違うじゃん。でも、映像作品で繰り返し観ることで、あの日のライブの景色がみんなの中でだんだん同じものになっていっちゃう。それが俺は嫌で、みんなが自分の目で観た景色を忘れないでいてほしかったから、あの日のライブだけは映像にして残したくなかったんです。ファンからですら「出たよ、細美のナゾ理論」って言われちゃうけどね(笑)。
――そんなことないですよ(笑)。
細美:まあ、そういうことにひたすらこだわってきたことが、俺がまだミュージシャンをやれてる理由だと思ってるけどね。でもthe HIATUSってそんなに頻繫にライブやるわけじゃないし、全国から野音には来れないと思うから、15周年の野音がどんな雰囲気だったんだろうっていうことを、ELLEGARDENのZOZOマリンの映像を残したくなかったのとは逆の意味で、こっちはちゃんと撮って残しておきたいと思ったんだよね。それをなるべく皆さんにお金をかけずに観てもらうには、最終的にはネットで無料公開するのがいいだろうと思っていて。ただ、それを撮影するには予算が必要だから、それを捻出するにはどうすればいいか? って考えたときに、相談に乗ってくれたのがスペースシャワー(TV)とユニバーサル(ミュージックジャパン)で。

――そういうことですか。
細美:スペースシャワーさんが番組を作ることでカメラが入って、ライブアルバムを作ることでユニバーサルから予算が出た。だから、スペースシャワーさんに番組(2024年12月放送『the HIATUS “Sunset on the Rails” SPECIAL』)を作ってもらって、ユニバーサルから今回のライブアルバムを出したことのゴールは、これから先ライブ映像をネットで無料で観られるようにすることなんですよね。だからライブアルバムを購入してくれた人は、the HIATUSが全国の皆さんにライブ映像を観てもらうための資金を提供してくれたパトロンのような存在なので、本当に感謝しています。
――それだけ記録しておきたい、届くべきところに届けたいライブだったんですね。
細美:the HIATUSを15年やってきて、いろんな場所でいろんな人生と絡んで進んできたからね。東日本大震災のときに「避難所でずっと『紺碧の夜に』を聴いてました」っていう高校生に会ったりして、俺はすごい勇気をもらったりしてた。そういう人たちにも今回のライブを共有できたらいいなと思っていたので、このやり方がベストかなって。
the HIATUSの重たさ・リアルさを生み出している“傷”
――the HIATUSって、おっしゃる通りいろんな人生に絡んできたバンドだと私も思っていて。ELLEGARDENの活動休止後に結成されて、活動開始からまもなく東日本大震災が起きて、その後細美さん自身にもMONOEYESの結成やELLEGARDENの復活があって。本当にいろいろあった中で、the HIATUSはコンスタントにライブやリリースはなかったかもしれないけど、ずっといてくれたじゃないですか。だから、ファンの方にとっても特別な想いがあるんじゃないのかなって。
細美:特殊なバンドですよね。the HIATUSをやらないで人生の最期を迎えたら、「たまに自分の中から生まれてくる奇妙な形をした音楽を、そのまま世界に叩きつけたら何が起きていたんだろう? やってみたかったな」って後悔してたような気がするんですよね。the HIATUSは、結果が見えないことに全力で立ち向かえるバンドだと思うので。セルアウトとか媚びる意味ではなくって、料理人が「これ美味いだろ?」っていう飯を作るのと一緒で、「これ、いい曲だよな」って言いながら出しているのがMONOEYESとELLEGARDENなんだけど、the HIATUSの場合は「これ俺は美味い気がするんだけど、みんなはどうなんだろう?」っていうものを提供できる。これができる音楽人生は、すごく幸せだよね。そこにチャレンジできたし、それを好きになってくれる人たちとも出会えたっていう意味で、俺のミュージシャン人生の中でも重要で特殊なバンドですね。

――メンバー個々の想いも野音の演奏から聴こえてきた気がしたんですけど、彼らとの関係性は、この15年間でどんな変遷を遂げてきたと思いますか?
細美:the HIATUSのメンバーって、みんなミュージシャンとして山あり谷ありな人生を生きてきていて。例えばELLEGARDENって、地元の幼馴染で組んだわけですよ。“10代からお互い知ってる”ってことが、バンドであることより先なんですよね。でもthe HIATUSでは、それぞれに自分の人生の中心だったバンドがある中で、引きずったり傷を負ったヤツらが集まって鳴らしていて。それがthe HIATUSの重たさ、リアルさに繋がっているんだと思う。だからthe HIATUSとして1つに合体しているというよりは、それぞれの欠損した部分を埋められないけれど、the HIATUSをやることで埋まってくれたらいいのになって思いながらそれぞれが鳴らしているところがあるような感覚です。
最近は離婚率も高いから、お父さんが何人かいたり、血が繋がっていない兄弟たちがいる、みたいなシチュエーションって結構あるじゃない? で、アメリカではクリスマスにそういう家族とかも全部集まるからごっちゃになったりするんだって。元嫁の新しい旦那とその子どもと……みたいな何家族かで集まってパーティをやったりする。そのときは一瞬欠けたものが埋まったような錯覚になるんだけど、実は、核家族だったときの完全さは二度と感じられないんだ、ってことをお父さんの一人が語ってるドキュメンタリーを観たことがあるのね。the HIATUSは、その感覚に近いんじゃないかな。今、俺はELLEGARDENがあるからその感覚はかなり薄れているけど、俺だけじゃなく、メンバーそれぞれが背負う悲哀みたいなものが、the HIATUSを美しく輝かせているとこはあると思う。だから愛情は深いし、独特なシンパシーで深いところで繋がっている……伝わるかな? この感覚。
――伝わっていますよ。だからこそ私のようなリスナーもthe HIATUSに悲しみや苦しみを投影してしまうし、それが美しい音楽に昇華されているのを聴くと救われるような感覚になるんですよね。リスナーからも、特に深く愛されているバンドのような気がします。
細美:そうかもね。メンバー全員でいても常にどこか寂しさがつきまとうから、the HIATUSには。そういう独特なバンドだと思いますね。


















