成底ゆう子「島で生まれたからこそ私は歌うようになった」 沖縄の島で育った誇りを胸に恩返し
石垣島出身のシンガーソングライター 成底ゆう子が、約4年半ぶりの新作『島心~しまぐくる~』をリリースする。収録されている曲たちは、歌い続ける中で出会った人々への温かな気持ちで満ちている。音楽大学で声楽を学び、イタリアの歌劇団で研修生として過ごした時期を経ながら育んできたオリジナリティが一際鮮やかに開花しているのも、大きな聴きどころだ。西洋音楽と沖縄民謡の要素を融合させた歌声は、優美であると同時に力強い。今作に込めた想いを彼女に語ってもらった。(田中大)
故郷を離れて気づいたいちばんの財産「育った島は私の核」
ーー約4年半ぶりの新作ですね。
成底ゆう子(以下、成底):はい。前作はメジャーデビュー10周年記念で、初のオリジナルベストアルバム(『ダイナリズム~琉球の風~』)でした。あのアルバムのリリース後は新たなスタートだと思って、全国の皆さんに歌を届けようと思っていたのが、コロナの影響でできなくなってしまって。それでも沖縄にいるみなさんや、いつも応援していただいている方々は、“成底ゆう子”を待っていてくださったんですよね。
ーー『島心~しまぐくる~』という今作のタイトルには、応援してくださるみなさんへの想いが込められているんですね?
成底:そうなんです。「島で生まれた私だからこそできる恩返しをしたい」という想いが込められていて、収録したすべての曲のテーマも“恩返し”です。
ーー「ぐくる」は、沖縄の言葉で「心」という意味ですね。
成底:島で生まれたからこそ私は歌うようになって、歌うことによって大切な出会い、ご縁が巡ってきて、応援してくださるみなさんがいてくださるんです。歌うことを支えて、導いてくださる方々がいるので、このタイトル(島+ぐくる)にしました。
ーー生まれ育った場所は、やはり人格形成を左右する大きな要素ですよね。
成底:とても大きい要素だと思います。育った島は、私の核ですから。でも、そういうことに気づくのは、大人になってからなのかもしれないですね。私自身、「島に生まれなかったらこういう歌は作らなかっただろうな」と感じることが増えて。自分のなかに流れているDNAみたいなものなのかも。音大生だった頃もそういうことを感じました。声楽の勉強でイタリアに行った時期も、所作一つとっても西洋の人と日本人とでは違うのを実感しましたから。例えば飲み物を手にとっても、ワインではなくてお茶に見えてしまうんですよ。
ーー西洋の音楽を勉強した経験は、ご自身の核に気づくことにも繋がったんですね。
成底:そうなんだと思います。私は音大でコロラトゥーラという声を転がすように歌う歌唱法の勉強をしたんですけど、それが“節”っぽいと先生に言われて取り払うように指導されたんです。でも、イタリアの先生に教えていただいた時、「あなたの持ち味はその節です。あなたは取り払いたいと言っているけど、それが武器なんだよ」と言われました。「日本の先生とイタリアの先生のおっしゃること、どっちが正しいんだろう?」となりましたが(笑)。今思うと「他の人が持っていないものは、一番の武器になるんだよ」とイタリアの先生は伝えてくださったんだと思います。
ーークラシックの世界では、その人特有の癖みたいなものは取り払う方向の指導が多いですよね?
成底:そうですね。声楽、オペラ歌手をやっていくには周りに合わせなきゃいけないというのもあるので、日本の先生のご指導も正しいんです。でも、様々な経験をするなかで、「私はやっぱり島人(しまんちゅ)なんだな」と思うようになりました。
ーーそう思えるようになるまでには、たくさんの葛藤があったんじゃないですか?
成底:はい。「悩む」を通り越して、「どうしたらいいのかわからない」という状態が続きましたから。イタリアに行って歌劇団の研修生になったんですけど、「どうしたらいいのかわからない」というのが積み重なって、声がまったく出なくなったんです。でも、挫折して日本に帰ってきてから、「“成底ゆう子”を作ったのは、ふるさとへの想いなんだ」と思うようになったので、私の進む道はこれだったんでしょうね。やはり私は島人。「島で生まれた」というのが、私のいちばんの財産なんです。
初めて作詞を依頼した「生きている歓び」
ーー今作に収録されている曲たちも、成底さんならではの音楽だと思います。西洋の音楽と沖縄の音楽が絶妙に融合していますから。
成底:“ケルティック島人=成底ゆう子”にしようと思ったんです。民謡に昔から親しんでいて、三線も弾けるけど、それとは真逆の声楽もやっていた成底ゆう子をぎゅっと凝縮したくて。三線を弾いて歌うアーティストはたくさんいらっしゃいますし、素晴らしい方々ばかりじゃないですか? 「では、成底ゆう子ができることってなんだろう?」って考えた時、私を凝縮した曲を作りたいと思って生まれたのが「生きている歓び」です。私にしか唄えない最高の曲ができたと思っています。
ーー歌う歓びもまざまざと伝わってくる曲です。
成底:ありがとうございます。メロディを先に作ったんですけど、「風を感じさせたい」という構想がありました。島の風であると同時に、どこか神々しい風というか。沖縄にはユタ(民間霊媒師)がいて、その上にはノロ(女性の祭司)がいるんです。ノロは神様と対話をする人で、八重山ではツカサと呼ばれているんですけど、私の祖母はツカサをやっていて、私はそれを継ぐはずだったんです。でも、「歌をやりたい」と言ってその道に進むのを断ったんですよね。「神様の道を断って行くのならば、すごく険しい道になるよ」と言われて、実際そうでした。メジャーデビューできなくて落ち込んでいた時、祖母と三線奏者だった母の兄に「あなたは神様の言葉ではなくて自分の言葉として伝えるんだよ。それはツカサと同じことなんだよ」と言われたのも思い出しますね。それを聞いて「なるほどな」と思いました。
ーーそういう体験も「生きている歓び」に反映されているんですね。
成底:はい。いつもなら歌詞を書いて、歌詞がメロディを歌ってくれるんですけど、この曲の作詞は鮎川めぐみさんにお願いしました。曲が先だったんです。曲を作るのは得意なんですけど、これは難しくて。「こういうことじゃないな」というのがずっとあったんです。
ーーイメージが掴めたきっかけは、どのようなものでしたか?
成底:ある時、換気扇を回すのを忘れたままシャワーを浴びて、途中で換気扇のスイッチを入れたらほわあ~と風が吹いて、私の中で音が鳴ったんです。「これだ!」と思って書き上げることができました。
ーーどのようなイメージが浮かぶメロディでした?
成底:歌詞がない状態で「ラララ」で歌ったイメージは、祖母がツカサの白い服を着て祭祀をやっている後ろ姿みたいな神々しい感じでした。歌詞を鮎川さんに書いていただいて、歌ってみたらメロディにぴったりハマりましたね。自分の中のあらゆる力、あらゆる声が湧き出て、奇跡のような曲だと思っています。作詞家さんに歌詞を書いていただくのは新しい挑戦だったんですけど、「こういう世界観が私にもあるんだ」という発見もできました。
ーー「生きている」ということの歓びをリスナーにも噛み締めてもらえる曲だと思います。
成底:生きる力になってほしいです。震災があったり、戦争をしている国があったりしますし、自分で命を絶つ人も増えている中、大人たちは「今はつらいかもしれないけど、あと何年か経ったら大丈夫だよ」と言ったりしますよね。でも、今まさにつらい状況にある人は、それがなかなかわからないと思うんです。だからこの曲を聴いて「生きているってすごいんだよ。いろんな人との出会いに繋がるから。今は苦しいかもしれないけど、生きていればそれは勝ちだよ」という勇気、力を感じてもらいたいです。人はたくさんの命が繋がって生まれてきているのだから、生きているのは奇跡。「生きている」って「勝ち」なんですよ。「あなたはあなたしかいないんだよ」ということを届けたいです。
ーー歌詞とメロディが一体となって躍動しているのも感じます。
成底:鮎川さんは本当に素晴らしいです。心から感謝しています。ケルティック島人を目指している私にとって、これこそ「私にしか歌えない」という感覚があります。自分で作っておいてあれなんですけど、レンジの幅がものすごくて(笑)。島っぽく歌うところも声楽のところもあるこういう曲は、私にしかできないと思います。
ーーケルティックミュージックがお好きなんですね。
成底:はい。心の癒しが欲しい時にそういう音楽を聴いています。なんか郷愁を誘われるというか。ヨーロッパで育ってはいないのに(笑)。温かさを感じますし、家族や大切な人のことが浮かぶんですよね。
ーー例えば「埴生の宿」はイングランド民謡ですし、ヨーロッパの土着の音楽にも日本人の心に響く普遍的な何かがあるんでしょうね。
成底:そうだと思います。「ダニー・ボーイ」とかも好きですし、日本に通ずる何かがあるんだと思います。家族がいて、大切な人たちがいて、優しい場所があるというのはどこの地域にも共通することで、普遍的なんでしょうね。