BEGINの歌がいつも時代に求められる理由とは? 話題曲「海の声」をはじめとする25年の歩みを辿る
BEGINが、1月22日に放映される『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で、桐谷健太とともに出演する。歌うは、桐谷がauのCMで披露し、大きな話題となった「海の声」だ。「浦ちゃん」が海を眺め、遠く向こうの誰かを思う歌。三線のたおやかな音色とその歌の一節に惹きつけられた人は多く、昨年12月に「海の声」がデジタル配信されるやいなや、配信初日にデイリーチャート一位を獲得し、現在は40万ダウンロードを突破。今もチャートの上位をキープしている状態だ。
CMではクレジットされていなかったが、のちにこれがBEGINによる提供曲だとわかると、大きく納得したファンも多いのではないだろうか。聴く者の心の襞にそっと入り込む優しくも普遍的なメロディは、BEGINの歌の真髄といえるものだからだ。
実際、CM制作者側も「浦ちゃん」が歌う企画の中で最初からBEGINの曲をイメージしていたというから、BEGINの歌の中にある温もりが、いま、時代に求められていることを感じ取っていたのではないかと思う。
昨年、2015年は、BEGINにとってデビュー25周年という記念すべき年だった。石垣島出身の同級生3人で結成されたBEGINがデビューしたのは1990年のこと。いまでこそ沖縄は人気観光地のひとつで、沖縄民謡も全国で愛されているが、当時、彼らの実感としては、まだ沖縄は日本の南の遠い島として捉えられており、少し偏見も残っていたと聞く。彼らのデビュー曲「恋しくて」はブルージーで胸を焦がすような切ないラブソングだが、沖縄出身という色をまったく感じさせない歌にしたのも、「沖縄で生まれ育っても、ちゃんと標準語で歌えるんだというのを証明したかったから」というエピソードがあるほどだ。
デビュー当時、彼らの中に「沖縄と本土の架け橋になりたい」という想いは強く、BEGINはブルースを基調とする楽曲を多く発表している。しかし、ブルースをやればやるほど、故郷・沖縄の音楽のことが頭から離れなかったそうだ。それもそのはず、音楽的な要素、歌詞の構成、何よりもその土地の暮らしの中から滲み出たような歌のあり方は、ブルースと沖縄民謡の大きな共通点だった。
そのことにあらためて気づいた彼らは、デビュー10周年の2000年、自らのルーツである「沖縄」を見つめ直し、島唄のアルバム『オモトタケオ』を制作。この時、森山良子に提供し、その後夏川りみ他、多くのアーティストにカバーされている「涙そうそう」も生まれており、「島人ぬ宝」や「かりゆしの夜」など、沖縄の風景や島の暮らしが描かれた故郷のぬくもりを感じさせるBEGINの代表曲となる楽曲が次々とつくられている。
同じ時、BEGINが沖縄でスタートさせたイベントがある。今年で16年目を迎え、沖縄のみならず全国から観客が訪れる『うたの日コンサート』という野外イベントがそれだ。
開催日は、沖縄の終戦の日となった「慰霊の日」(6月23日)の後の週末と決まっている。これは、第二次世界大戦で民間の人々を巻き込んで戦場となった沖縄で、歌うことが禁止されていたにも関わらず、それでも人々は防空壕の中でひっそりと歌い、歌によって励まされ、自分たちを鼓舞したということを、オジーオバーたちの体験談として聞いたことがきっかけだった。あらためて「うた」が持つ偉大さを思い知った彼らは、戦争が終わった「慰霊の日」の翌日、6月24日を「うたが解放された日」=「うたの日」とし、うたをお祝いするイベントとして2001年に『うたの日コンサート』をスタートさせた。
戦争で多くの悲しみを残した沖縄だが、しかしオジーオバーたちは元気に笑い、戦後を生き抜いて来た。いまの沖縄があるのは、悲しみや憎しみではなく、その次に向かう逞しい力があったからだ。
そんな想いからはじまった「うたの日」だからこそ、参加アーティストもその想いを共鳴できるミュージシャンたちが数多く参加してきた。沖縄民謡の唄者、沖縄の若いバンドはもちろん、忌野清志郎はいち早く「うたの日」に共鳴した一人。また、2009年は「笑顔のまんま」をともに共作した明石家さんまの参加も話題となった。さらには日本のアーティストだけでなく、ハワイからはケアリイ・レイシェルが、また台湾のバンドやブラジルからも有名なミュージシャンたちが来日し、「うたの日」をお祝いしている。
また、この「うたの日」、15周年となった2015年から、唄や踊りに携わる人たちが音楽を続けるための「場所」にしたいという想いのもと、「観客も出演者」というテーマを打ち出しての参加型イベントの様相を強くした。沖縄でエイサーやフラをやっている子どもたちや中高生によるブラスバンドなどもBEGINと同じステージに立つ。沖縄が「うたの島」として次世代に繋がるよう、「うたの日」は年に一度の沖縄にとって大切な「祭り」となっていくだろうと予感させる。