Dannie May、“着飾ること”をやめて掴んだ自信 満員の観客に示した音楽への純粋な愛情

 Dannie Mayが、バンド初の東名阪ワンマンライブツアー『Dannie May ONE MAN TOUR「フライド・エッグ・バケーション」』を開催した。

 不思議なバンドだと思う。ドラムもベースもいない、ボーカルは3人、特定のジャンルに縛られない多彩な楽曲性ーーそんな自分たちを、公演中にYuno(Vo/Kantoku)は「俺たち歌いたくて、音楽やりたくて始めたから」と説明していた。音楽が好きだという純粋な気持ちを抱いた3人が、自分たちが良いと思ったものを信じて歩んできたバンド。それがDannie Mayなのだと思わせてくれたライブだった。本稿では、7月18日に行われた東京・渋谷WWW公演の模様をレポートする。

 YUIの「SUMMER SONG」、ORANGE RANGEの「ロコローション」といったサマーソングが会場BGMとして流れる中、定刻を迎え、ステージにマサ(Vo/Gt)、田中タリラ(Vo/Key)、Yunoとサポートドラマーの成瀬太智が登場。「ツアーファイナル東京、始めようか!」とYunoが叫び、この日のオープニングを飾ったのは「東京シンドローム」だった。公演後にバンドの公式Xで公開されていたセットリストを見たところ、本ツアーは会場ごとに曲順が入れ替えられていたようだ。

 そんな東京らしい幕開けを告げた後、「待ツ宵」ではYunoがハンドマイクでステージ前方に歩み出てフロアを盛り上げていく。「玄ノ歌」「黄ノ歌」とアップテンポなナンバーで熱気を高めると、一転、「灰々」からは会場をダークな雰囲気に包んだ。「異形」では、今度はタリラがハンドマイクで客席を指さしながら歌う。こうして楽曲ごとに主役が変わる楽しみがあるのも、ボーカルが3人いるからこそ。

 MCでは、「初の先行ソールドアウトということで、ありがとうございます」と感謝を告げたマサ。2019年に結成した彼らだが、少しずつファンが増えてきたところでコロナ禍に突入してしまった。当時の歓声のないライブを振り返りながら、タリラは「この歓声が聴けるようになって、本当に感慨深い日だなって思います」としみじみ語る。

 Yunoも結成当時を思い返しながら「何かのカテゴリーに入る必要があると思っていて。……邦ロックとか、シティポップとか、ファンクとか。で、俺達が最初に行きついたのが“神南系コーラスバンド”なんですよ」と話す。そんな当時の自分たちを「何かを着飾ることでしか表現できなかった」とやや自虐的に称しつつ、満員のフロアに向かって「でも今は、“Dannie Mayが俺たちだ”っていうのを、何のカテゴライズもすることなく言えるようになった気がします」と感謝を口にした。

 渋谷WWWは、2021年にDannie Mayが初めてワンマンライブを開催した場所でもある。「先行ソールドアウトするまで約3年かかった。俺たちは諦めなかったぞ、東京!」というYunoの叫びに続いて始まった「3分半の反撃」。これからというタイミングでコロナ禍に入り、思うように活動できない中でも諦めなかった、彼らの反撃の始まりだ。〈はみ出してもいいさ/僕たちこそが生きれるなら〉ーーそう、はみ出したっていい。カテゴライズできなかったからこそ、その個性に惹かれた人たちが目の前に大勢いるのだから。

 本ツアーのテーマは“Dannie Mayフェス”だといい、それを表すように、後半はキラーチューンのオンパレード。「KAMIKAZE」で踊り、「OFFSIDE」でクラップが鳴り響き、「アストロビート」でサイドステップを踏むフロア。まさにお祭り騒ぎだ。

 ドラムソロを経て、「ええじゃないか」ではタオルが回され、マサがハンドマイクで届けた「ぐーぐーぐー」の後、「カオカオ」では観客が跳びはねる。「ただのワンマンライブじゃなくて特別な1日になるように、僕ら120パーセントでいきます。皆も120%で返してください!」と呼びかけて始まった「コレクション」では、フロアからのシンガロングが響く。それに応えるように、3人は夢へのストレートなメッセージを熱く歌い上げた。

 最後の曲に向かう前に、マサはライブが終わった後にファンからDMをもらうことがあると語った。“学校に行くのが辛かったけれど、外に出れるようになった” “音楽を聴いて前を向いていこうと思えた”ーーそんな内容が届いたとき、「音楽をやってよかった」と思うのだという。

 「だってさ、すごいことだと思うんだよね」と、自身も心の調子を崩してしまった時期があったことを振り返りながら、「……時間が解決するとは言わないんだけど、生きてれば治ると思います」と語りかける。「また次もきっとライブやります。その時まで、生きてみようって思ってください」という言葉に続けて送られたのは、「ただ生きる」。〈僕は死ぬまであなたと生きたい〉というフレーズの重みが心に沁みわたった。

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