バンドシーン注目の606号室 ライブハウスのスケールを超えていく新曲と活動の変遷

 リードピアノの存在が特徴的な大阪発の4ピースバンド、606号室。1作目にリリースした「君のことは」がインディーズアーティストの活動を支援するプラットフォームEggsで注目を集め、2作目の「未恋」はサブスクリプションで急激に再生回数を伸ばし、現在200万回再生を突破するバンドシーン注目の存在だ。

 初登場の今回は結成の経緯やメンバー各々のバックボーン、曲作りについて、また6月12日リリースの新曲「君との日々は退屈だ」についてインタビュー。Eggsに楽曲を公開した経緯や、その後、実感したバンド活動にもたらした変化についても語ってもらった。(石角友香)

ONE OK ROCKのライブを観に行って、「音楽したい」と思った

――まず、バンド結成の経緯を教えてください。

昇栄(Vo/Gt):僕がバンドをしたいがために大阪芸大に入って、メンバーは変わっちゃったんですけど、円花や当時のメンバーと結成したのが始まりです。元々リードギターのいる4ピースのギターロックバンドに憧れてたんですけど、最初に入ったサークルでオーディションみたいなのがあって、急いで曲作って出せって言われて、ギターで作って出したら、上の人に「こんなゴミみたいな曲、ええわ」ってすごいバカにされたんですよ(苦笑)。僕は音楽をしに大学入って、オリジナル曲を頑張って出したのにそんな言われ方をして。その時に、(円花から)バンドに入りたいって言われたので、「それならもうキーボード入れるか」ぐらいの感じで、「いいよ」って入ってもらいました。

昇栄

円花(Key/Cho):私は軽音部に入りたかったんですけど、タイミングを逃しちゃって、それで、声をかけたんです。私がキーボードだったんで、昇栄が最初に思ってたバンドのイメージとは違ってしまったと思うんですけど、音楽性は柔らかくなったと思います(笑)。

円花

――くわさんとゆうあさんはどんなタイミングで加わったんですか?

くわ(Dr):自分はもう社会人だったんですけど、バンドやりたいなと思ってネットで調べていたら一番上に(606号室が)出てきて「おっ、いいな」と思って。ほかの人たちと違ってMVも上げてて音楽性もわかりやすくて。その時のMVの曲が「君のことは」で、「あ、売れるやん」と思って(笑)、オーディションを受けました。

くわ

ゆうあ(Ba):僕は別のバンドをやってて606号室とはお互いの初ライブが一緒のイベントで、知り合い同士だったんです。それから1年ぐらい経って前のバンドを辞めようかなっていう時に元々606号室はベースがいなかったので、サポートに誘われて気軽な気持ちでやってたら楽しいし、曲もメンバーの人間性も好きになったので、本気で一緒にやりたいなと思って加入を決めました。加入前から曲は聴いてたんですけど、同年代なんで、どうしてEggsで曲がバズってるんだろうと、それに少し腹も立ってたんですけど(笑)、「もう絶対話さない」と思っていました(笑)。

ゆうあ

――すでにオリジナリティがあったと。

ゆうあ:そうですね。ピアノがリードする曲が主体なので珍しいなと思って、当時衝撃を受けました。

――皆さんそれぞれの音楽的なルーツはどんな感じですか?

円花:私は元々父親がピアノをやっていたこともあり、実家にピアノがあったので興味本位に弾き始めたのがきっかけです。小さい頃からエレクトーンを習う中でアンサンブル(合奏)をしたり、中学では吹奏楽、高校ではチアリーディング、軽音とずっと音楽と一緒に育ってきた感じですね。

――606号室でのピアノアレンジは誰の影響が大きいですか?

円花:中学生の頃からRADWIMPSさんとか緑黄色社会さんを聴くようになりました。自分の曲をアレンジする立場になってからはよく聴き込んだりしてましたね。SEKAI NO OWARIさんとかピアノのあるアーティストも聴いてました。

昇栄:僕は真逆で特に楽器に触れるわけでもなく、ただずっと音楽が好きで聴いてました。小中はずっと野球をやってたんですが、中学3年生の時初めてONE OK ROCKのライブを観に行って、「音楽したい」と思ったんですけど、音楽って才能ある人がやるものだし、別にいいやってごまかし続けてたんです。で、高2の時に同じ気持ちを持っている友達がいて、「遊びでもいいからちょっとやってみるか」と思って初めてアコギを買って。コロナ禍だったのでやることもなくなったし、練習してみたぐらいでしたけど。

――なるほど。どんなバンドを聴いていたんですか。

昇栄:影響を受けたアーティストはRADWIMPSで、インディーズにハマるきっかけになったのはMr.ふぉるてですね。そこからたどっていって楽曲が聴けるEggsにたどり着いたところもあります。

ゆうあ:僕は姉がピアノを習ってたんで家にピアノがあって、僕も小1から6年間ピアノ習ってて。ピアノは辞めちゃったんですけど、中学校に入ったタイミングでたまたま軽音部があったので、モテたいしギターを始めました(笑)。高校1年生までは没頭してやってたんですけど、高2のタイミングで軽音部にベースの人が一人もいなくなって。

――一人も?

ゆうあ:その軽音部がちょっと体育会系っていうか厳しいから辞める人が多くて。僕も遅刻とか欠席が多い方だったんで、先生から「ベースやらへんかったら辞めさせる」って言われて仕方なくベース始めたんです。でも始めたらハマっちゃって。高3から今もなんですけど大阪にセッションできる場所があって、そこに入り浸るようになってから遊びで曲を作ったりしてましたね。

――セッションにはどういう人が集まってたんですか?

ゆうあ:30代の方とか40代の人とか、みんな趣味で。若い子は僕ぐらいやったかもしれないです。そこでジャコ・パストリアスの「The Chicken」とかハービー・ハンコックの「Chameleon」とかそっち系のブラックミュージックのセッションをよくやってた感じですね。

くわ:自分は初めて打楽器を触ったのは年少の頃なんですけど、マーチング・バンドをしてて。小学校の時はアメフト、中学校もサッカー部でスポーツ系だったんですけど、たまたま中3の時にドラムを叩く授業があって、初めて叩いたら楽しくて。その時の彼女が吹奏楽部のドラムで、その人の気を引きたいがためにドラムを叩けたらカッコいいかなと思って(笑)。

――(笑)。

くわ:高1の頃に軽音部に入ったんですけどすぐ高校辞めちゃって、通信制高校に行って。コロナ禍のときに、マキシマム ザ ホルモンが2号店を作る新しい挑戦をしてて、ホルモンにハマってました。でも社会人を3年間やっていたし、もう自分がバンドをやるとは思ってなかったんですけど、たまたま以前一緒にバンド組んでた人のライブを観に行ったらカッコよくてその日に仕事辞めて。やっぱりバンドやりたいと思ってサイトを検索してたらたまたま606号室に出会ったんです(笑)。

――偶然の積み重ねというか引きが強い(笑)。

くわ:ちなみに僕が影響を受けたというかずっと聴いてるのはDREAMS COME TRUEとサザンオールスターズとJITTERIN’ JINNの3バンドです。

――ところで606号室というバンドネームの由来は?

昇栄:これは当初バンドを組んだメンバーでよく集まってた部屋が606号室だったんです。バンド名は英語じゃなくて数字とか入れたいなと思ってたんで、「606号室いいやん」で決まりました。

――主に昇栄さんと円花さんで作曲していますが、楽曲制作はどういうやり方ですか?

昇栄:僕が楽曲制作を始めたのはバンドを始めてからで、曲のコードの付け方も知らなくて。初期の「君のことは」「未恋」あたりの曲は僕がアカペラで「Aメロこれ、Bメロこれ、サビこれ」って円花に投げてコードを付けてもらって、「こういう曲にしたい」っていう雰囲気を伝えて一緒に考えながら肉付けしていく感じでしたね。

――その方法が結果、面白いコード感に?

円花:アカペラで送ってくれるから、コードつけ放題みたいなところはあります。自分の手グセもあったりするんですけど、そこでギターではあんまり思いつかない、鍵盤で押すからこその良さだったりとか……出せてるかはわからないんですけど(笑)。デモの段階でドラムもベースもアレンジして、みんなに渡しています。楽譜は書けないんですけどね。

――ここからはEggsを用いた活動についてお聞きしたいのですが、最初にEggsで楽曲を公開したきっかけは?

昇栄:インディーズにハマるきっかけのバンドがMr.ふぉるてとかリュックと添い寝ごはんで、そのバンドを辿ってたらEggsってアプリでも聴けるっていうのがわかったんです。自分の好きなバンドのデモや初期の音源が聴けるので、Eggsですごく聴いていました。

――リスナーとして利用してたんですね。

昇栄:最初は本当に音源を聴きたいがためにアプリを入れていました。自分がバンドを始めてからは、Eggs主催のオーディションがいっぱいあるのを知って、まだライブをほとんどしてないのにオーディションを受けたりしました。

円花:Eggsのランキングに入ってから、知ってもらえるようになって、最初のファンができたり、ライブに呼んでいただいたりしましたね。

――昨年秋にはEggs主催のライブツアー『高鳴漫遊』にも出演されていましたね。

昇栄:東名阪を回るのは初めてやったよな?

ゆうあ:このツアーで初めて名古屋でライブをして、そこから名古屋のライブに呼ばれるようになって、月一本ぐらいはやるようになりましたね。

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