PANTA、頭脳警察の裏にあるポップメイカーとしての素顔 盟友・鈴木慶一との歩みで開花した“音楽への無邪気さ”

 昨年12月下旬、都内某所でPANTAと鈴木慶一に会った。二人によるユニット P.K.O(Panta Keiichi Organization)として初めての作品を制作している中で、暮れの忙しい最中、取材のために集まってくれたのだ。実はその時に、すでにPANTAの具合が良くない、という話は聞いていた。けれど、実際に会ったPANTAはすこぶる元気そうで、弁舌も豊か。横にいる鈴木慶一が口を挟む間もなく、二人が知り合った頃の話、長い付き合いなのに今回が初めての制作となった理由、そのいきさつ、エピソード……こちらが求めていることの何倍も詳しく語ってくれた。それも、心から楽しそうに、都度都度、鈴木慶一にも「ねえ!」「そうだよね?」「慶一はどうだったの?」などと笑顔を向けながら。その横顔は、とうてい体調が悪いようには見えなかった。「P.K.Oでライブをやる時にはぜひ観にきてくださいよ!」。そう言って握手をした時のあの、ゴツくて温かい感触は今もこの手に残っている(取材記事は『MUSIC MAGAZINE』2023年2月号に掲載)。

 まさかそこから半年ほどで、もう二度と会えなくなってしまうとは……と、今でも信じられない。7月7日、肺がんによる呼吸不全と心不全のため死去。73歳だった。2021年秋、肺疾患のため長期療養が必要とされるとして活動を停止していたが、2022年には積極的にライブ活動も再開させており、前述のように筆者が取材で会った時も、制作に、ライブにとやる気をみなぎらせていた。予定されていたシーナ&ザ・ロケッツとの対バンライブも、鮎川誠が先に逝ってしまったあとの今年2月、頭脳警察のワンマンで“弔い”として実施する予定で調整していたというから、ギリギリまで音楽家として前向きだったということなのだろう。

 そう、1950年、埼玉県所沢市生まれのPANTAを紹介する上で必ずついてまわるのは、1969年に結成されたロックバンド 頭脳警察がキャリアの本格的な出発点であるということ。そして、それゆえに何やら強面でポリティカルで、旧態依然としたロッカーという一般的なイメージだ。確かに1969年に石塚俊明(TOSHI)らと共に結成した頭脳警察は、全共闘の時代にラディカルな思想と過激なパフォーマンスで知られた、パンクの源流とも言えるバンドだった。1972年発表の1stアルバム『頭脳警察1』のジャケットには当時一世を風靡した3億円事件の犯人のモンタージュ写真があしらわれ、放送禁止になる曲も含まれていた。PANTA自身、物腰は柔らかでも硬派な人物として知られ、最後の最後まで、政治、社会に対して徹底して反体制の立場をとり、己の生き方、思想、信条などに一切のブレがなかったと言っていい。かつて日本赤軍の元最高幹部として知られた重信房子とも交流があったという。

 だが、当の本人はゴリゴリのロッカー風情というよりも、とても柔軟で周囲からの信頼も厚く、誰からも愛されるような朗らかなキャラクターだったという。それこそプロデュースを通じて知り合った鈴木慶一とは親友と言えるほど仲が良く、また桑田佳祐がメガホンをとった映画『稲村ジェーン』(1990年)への出演を皮切りに、役者としての活動でヒューマンな横顔を伝えてもいた。俳優としては、足立正生監督作品で大友良英が音楽を担当した『幽閉者 テロリスト』(2007年)、遠藤周作の小説を原作とするマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』(2017年)といった“頭脳警察のPANTA”というイメージを裏切らないハードな作品への出演も目立ったが、一方で、小泉今日子や沢尻エリカが出演する群像ドラマ映画『食べる女』(2018年)のような作品でも存在感を見せている。

映画『食べる女』 本予告

 それに何より、ソロになってからのPANTAが洗練されたシンガーソングライターとして幅広い音楽性を湛えていたこと。個人的には、PANTAの死を機に改めて伝えたいのは過激なロッカーとしての生き様よりも、むしろそうした音楽家としての側面だ。

 とりわけ知られているのは、PANTAが無類のフレンチポップ好きだったということだろう。PANTAは亡くなるまで、ソロはもちろんのこと、主に2000年代以降は頭脳警察名義でも断続的に活動していたが、かたや、ネオフレンチポップ・ユニット=PANTA et KeiOkuboなどでも積極的に作品を発表していた。昨年暮れにはEP『Promenade de Chat』をリリース。可愛い女の子とネコのイラストのジャケットからはとてもあの頭脳警察のPANTAのユニットとは思えないが、実際に作詞作曲、サウンドプロデュースを自ら担当した「届けたいの」「涙のメロディー」はPANTAのポップ愛好家としての横顔が感じられる重要作と言える。

「Promenade de Chat」 PANTA et KeiOkubo REIKA FUJISAWA

 PANTAに言わせると、こうしたフレンチポップ、オールディーズへの愛着は、頭脳警察を始めるもっと前、それこそティーンエイジャーの頃からだそうで、自然と耳に入ってきて体の一部になっていったのだという(※1)。

 そんなフレンチポップ好きのPANTAにはちょっと面白いエピソードがある。頭脳警察を1975年に解散させたあと、PANTAはソロとしての1stアルバムの制作に入ったが、その最中に石川セリへの楽曲依頼があった。映画『八月の濡れた砂』の主題歌で知られた石川セリは、この当時、レコード会社をフィリップス(日本フォノグラム)に移籍させていたのだが、その時のディレクターがフランス・ギャルを担当していた人でとても嬉しかったのだという(※2)。その時にPANTAが書いたのが「ムーンライト・サーファー」(1979年)。フレンチポップというより、夏の夜の海を連想させるシティポップ調で、石川のベストアルバムにもよく収録される人気ナンバー。PANTAではなく本名の「中村治雄」で書かれた曲の中でも群を抜いて洒落た一曲である(渡辺美里、桑名晴子らもカバーしている)。

石川セリ「ムーンライト・サーファー」

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