大比良瑞希×butaji、曲作りを通して知る新しい自分 生活や社会と向き合うことで音楽に落とし込まれる“希望”とは?
シンガーソングライターの大比良瑞希が『Love On A Two-Way Street』と題して、3カ月連続でツーマン弾き語りイベントを開催中だ。対バン相手は、カーネーション 直枝政広、butaji、スカート 澤部渡の3名で、大比良とのコラボ楽曲も制作されていく。5月には第1弾となる直枝とのコラボ曲「Jam」がリリースされたが、7月5日にはbutajiとのコラボ曲「いとしさ」のリリースが控えている。
今回は、そんな大比良とbutajiによる対談が実現。6月29日に迫る代官山・晴れたら空に豆まいてでの対バンライブ、そして新曲「いとしさ」の制作についてはもちろん、互いの曲作りのスタンスやシンガーソングライターとして目指す在り方に至るまで、じっくり語り合ってもらった。(編集部)
「butajiさんの曲って、子供の頃の忘れた記憶を思い出す」(大比良)
――大比良さんが3人のソロシンガーと弾き語りで共演する、開催中のシリーズイベント『Love On A Two-Way Street』を始めるきっかけはどんなものだったんですか?
大比良瑞希(以下、大比良):新しいアルバムを作るにあたって、いろんな方とのコラボでやってみようという話が出たんです。そのなかで、カーネーションの直枝政広さん、butajiさん、スカートの澤部渡さんの3人は、ただ一緒に曲を作るだけじゃなく、イベントも一緒にやって、より濃い時間を過ごしたい方々でした。皆さん、バンドでのライブや音源も好きなんですけど、弾き語りされるときに、より「個」の魅力が出てくる。そういう人たちと弾き語りでツーマンライブをしてみたいと思ったのがきっかけとなりました。私もコロナ禍を経て自分に向き合う時間が多くなり、弾き語りが楽しくなってきたこのタイミングで、お互いに引き出し合えるようなツーマン、体当たりに行けるようなイベントをしたいなと思ったんです。
――3人とも個性が違うし、世代も違います。また、いわゆるJ-POPのメインストリームとは違う活動スタンスが見える人たちでもある。そういうところにも惹かれる部分はあったんでしょうか?
大比良:今までの私の活動からしたら、今回のコラボが新鮮に見えるかもしれません。でも、純粋に3人とも曲が好きだったんです。誰の日常にも響く言葉を歌いながら独特な世界観を持っている。唯一無二の自分のワールドを信じて貫いている、その姿勢にも才能にも惚れてしまいました。今の私がご一緒したら、自分がどう変わるのかも見てみたかったですし。
――3人とも歌声に独自の魅力がありますよね。
大比良:弾き語りだと声や歌い方の個性がより前面に出てくるので、それも楽しみですね。
――3人それぞれへの思い入れを聞いてみたいです。まずは先日共演した直枝さん。
大比良:最初に直枝さんを知った曲はカーネーションの「やるせなく果てしなく」(『LIVING/LOVING』収録/2003年)でした。言葉選びも印象的なんです。例えば、おしゃれでアーバンソウルな曲に突然〈彼女の親父に合わす顔がない〉(2000年の「MOTORCYCLE & PSYCHOLOGY」)みたいな日常の言葉が入ってくると、そこだけ抜けて聞こえてきて、歌詞カード全体を読み返したくなるんです。あと、やっぱりあの独特の歌い方。童謡の「かえるの合唱」みたいにすごく簡単な歌でも、直枝さんが歌ったらめちゃくちゃかっこよくなるはず。そういう歌の魔法があると思います。
――スカートの澤部さんは?
大比良:澤部さんは、まずあのギターのカッティングがかっこいいですね。それから、どの曲もコード進行が好きです。「まだ知らないコードがあったんだ」と発見するし、カバーしたくなる面白さがあります。映画の主題歌や他のアーティストへの提供曲もいいんですよ。adieuさん(上白石萌歌)への提供曲(2022年の「景色 / 欄干」)もすごくよかった。ストーリーがはっきり見える曲ばかりなので、他の人が歌ったときも曲としての面白さが出てくるんだなと思いました。
――そして、今日の対談のお相手であるbutajiさん。
大比良:butajiさんの曲って、理由なく涙が出てきちゃうんですよね。えぐられてしまうし、打ちのめされる感じもある。自分のなかで蓋をしている、子供の頃の忘れちゃってる記憶を急に思い出させられるみたいな感覚になるんです。特に「someday」(『告白』収録/2018年)という曲にはカーテンのベールから差し込む光が線になって見えるような、音楽を超えた魅力があります。
butaji:ありがとうございます。
大比良:SoundCloudにある「抱きしめて」とか、弾き語りもすごく好きなんですけど、やっぱり音源アレンジが独特で。歪さがあるし、スケールの大きさもある。歌とアレンジの独特のバランスにも惚れてます。
――butajiさんは、大比良さんからのオファーをどう受け止めたんでしょうか?
butaji:音源は以前から聴いていましたが、最初にお会いしたのは確か池袋の自由学園明日館で寺尾紗穂さんと共演したときでしたよね? そのとき、大比良さんにお願いされるとしたらこういう曲が書けるだろうなというイメージがすぐに湧きました。
大比良:へえ!
butaji:大比良さんの声の雰囲気とかでイメージが浮かびやすかった。今回の「いとしさ」みたいなアップテンポな曲というか、「はい、次!」って展開のある曲が合うだろうなと。そういうのをやってみてほしかったし、ぜひ、やらせてくださいという感じでした。
「とことんやってると自分の底がわかってくる」(butaji)
――butajiさんは印象的なコラボが多いですけど、いつもそうやってイメージがありありと浮かぶんですか?
butaji:いいえ。毎回すごく悩んでますよ(笑)。自分の持ち味を自分で全部掌握してるわけじゃないし、もちろん自分の手札だけじゃ全部言い切れるわけないと思ってるので、相手の反応をちゃんと見ながら作っています。だから、独特で面白いと言われても自分ではピンとこないというか。相手の個性をお借りして、そのなかに自分のやりたいことを忍び込ませる感じかな。毎回、最初は手札ゼロです。「このアイデアって使えるのかな?」みたいにずっと考えてます。
――では、大比良さんですぐに曲が浮んだのは異例?
butaji:わりと稀有だったかもしれないです。
大比良:そうだったんですね。「いとしさ」は自分が歌うのとは違う感覚で書いたんですか? 誰かに提供するとき、自分の曲とはちょっと違う回路で曲ができるということはあるじゃないですか。
butaji:そうですね、全部違います。人に渡す曲を自分で歌うことは想定はしないので。自分の曲は「自分で歌うことにどういう意味があるんだろう」と考えて作る。自分が置かれている立場とか、自分が何を代表しているんだろうとか、社会における役割とかを考えて、そこにハマる曲を書いている感じです。
大比良:butajiさんが言ってることも共感できるんですけど、いい曲ばっかりだから「そんなに悩むんだ?」みたいに思うところもあります。
butaji:「“いい”って何?」と、いつも考えてます。じゃあ「“悪い”って何だろう?」とも考えるし。
大比良:好き嫌いというのもありますからね。
――「こういうことはしないだろう」という方向性を、あえてチョイスしているという見方もできます。
butaji:そうですね。「butajiっていう人はこれはやらないよね」みたいな。それを僕自身のキャラクターに求めているというところですかね。僕のパーソナリティとは別のところにあるペルソナ的なものを設けて考えていく。
大比良:本名ではなく「butaji」というキャラクターを設けていることで、そこの距離を作れてると思ったりはしますか?
butaji:とはいえ、そこまで意識はしていないですね。結局、自分自身とbutajiはつながっているから、無理矢理に切り離しているのかもしれないです。音楽をやっている人格と生活している人格を切り離しては考えられないのかもしれないけど、「butajiというものを通して何をやりたいの?」と考えて、作るもの/作らないものを決めている感じですかね。でもそれは結局、僕自身がやりたいこと/やらないことなんですけどね。なんか回りくどい言い方ですけど(笑)。大比良:私は本名でやってることもあって、パーソナリティが出てきすぎちゃうんですよ。社会的な役割を持つ自分も成り立たせていきたいけど、そこでどこまでパーソナリティを出すか。でも絶対に切り離せない。しかも自分のことも、こんなに生きてきてもまだわからない状態で、自分に音楽で何ができるかを考えるのって難しいなと思うときがある。音楽をすること自体が、自分をずっと晒し続けることじゃないですか。自分がすごい好きなわけじゃないんですけど、それでしか生きられないからそうしている。そういう意味では、必要なパズルのピースが常に目の前にはなくて、それを探すことが辛いんだけど楽しいみたいな。
butaji:そう、辛いんだけど楽しい。楽しいんだけど辛い(笑)。わからないからこそ本当にとことんやっているだけで。でも、とことんやってると自分の底がわかってくる。最大限やって毎回ここなんだというのがわかってくると、自分の通奏低音というか、butajiってこういう人なんだとわかってくるものなのかもしれないですね。そこまでとことんやるという感じ。
大比良:だからこそbutajiさんの曲って、どこかでいい意味でのあきらめみたいなところがあるんですよ。あきらめることで世界に対しても自分に対しても、受け入れられる優しさみたいなものが初めて見えてくる。今回の「いとしさ」もそうでした。