日比谷野音、100年の歴史の中で刻まれてきた伝説 特別な会場として定着した背景

 野外イベントの開放感とホールのリラックスした空気感を共有するような野音はそれだけでも都内の会場の中で希少なものだが、これまで挙げてきた史実の存在が野音をより特別な場所にしている。今なお多くのアーティストにとって日本の音楽史と接続できる場所として、貴重な会場と言える。

 日本初の大規模なヒップホップイベントが開催されたのも野音だ。1996年のECD主催『さんぴんCAMP』はRHYMESTER、キングギドラ、BUDDHA BRANDらが出演し、日本語ラップを広くシーンに届ける契機となった。その歴史を踏襲するように2021年、そして今年の春にCreepy Nutsが『日本語ラップ紹介ライブ』を開催。その意志は脈々と受け継がれている。

2021.4.24 CreepyNutsのオールナイトニッポン0 presents「日本語ラップ紹介ライブ」in日比谷野音 digest movie for J-LODlive

 1977年、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい!」というあまりに有名な解散発表をしたのも野音である。その影響からか、アイドルシーンでもインパクトのある公演は多い。2016年にBiSHはオーケストラと共演した「オーケストラ」を披露し今なお語り継がれている。昨年にはlyrical schoolが前体制のラストライブを行ったことも記憶に新しい。様々なカルチャーに開かれた場所として、野音は今も存在し続けている。

BiSH / オーケストラ[Less Than SEX TOUR FiNAL“帝王切開”日比谷野外大音楽堂]

 現在は限定的に冬の期間もライブが可能となったが、基本的には4~10月の土日にしかライブを行えず、そのスケジュールは50~100倍の抽選(2018年当時 ※3)で決められるということでその特別さも当然ある。加えて、人気アーティストの公演には”音漏れ”を聴きに多くの人が集まったり、アルコールの持ち込みが許可されていたりと、野音の特別さは集まる観客やその場のムードによって長年かけて作られてきたものだろう。都市と人に愛された、替えの効かない会場なのだ。

 2024年度以降の大規模な改修では座席や通路をバリアフリー化し、ステージから客席前方まで新たに屋根を設ける予定だという(※4)。そうなれば、現在の野音とはかなり異なる風景をイメージしてしまう。しかし公共への配慮やより利用しやすい環境を整えることは次の100年に繋げるのに必要な施策だろう。野音という場へ注がれる、アーティストと観客の思いが消えなければ、この場所は永劫に特別な会場であり続けるはずだ。

※1:http://music-calendar.jp/2015092201
※2:http://www.tokyostationcity.com/tokyoekimachi/feature/vol21_2/2458.html
※3:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35675120S8A920C1SHJ000/
※4:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006421000.html

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