B.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」でさくらももこが果たしたこと 歌詞に込められた奥深いメッセージ

なぜ最後は〈ピーヒャラ ピ お腹がへったよ〉という歌詞なのか

 『ちびまる子ちゃん』は、その多くのエピソードがさくらももこの実体験がベースになっていると言われている。「……15年後 その夢をすてずに作った歌が」というエンディングを見ても同回は、さくらももこが少女時代に考えていたこと、経験があらわれたものであることは間違いないだろう。

 つまり〈いつだって わすれない エジソンは えらい人 そんなの常識〉という歌詞は、なんでもないような当たり前のことを言った一節のように感じるが、さくらももこが少女時代に思い描いていたいろんな憧れ、そしてちょっと苦笑いしてしまうような思い出がギュッと凝縮されているのだ。

 しかもそのあとに続く〈ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ〉はまさに、〈ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ〉と歌われる「スーダラ節」、そして植木等の言う「そんなこたどうでもいいじゃねえか」というお気楽な人生観へのオマージュである。

 「どうせなら偉くなりたい」という人は、今も昔も数多いはず。偉くなってお金を儲けたり、チヤホヤされたり。たしかにそれができれば経済的に人生は豊かさになる。特に、原作漫画の連載やアニメ放送が始まった当初の1990年代は歌詞の通り、好景気に浮かれて、夜な夜な、年齢問わず誰もが文字通り踊りまくっていた時代である。たださくらももこは、そんな時代の風潮とは一歩距離を置いて、「そんなことどうでもいいじゃん」という風に眺めていたのではないか(ちなみに「おどるポンポコリン」の歌に出てくる〈インチキおじさん 登場〉という歌詞も、まさに当時の人間模様に対するブラックジョークにも受け取れる)。

 ただ、どれだけ偉くなっても、お金をたくさん持っても、結局人間は「お腹が減る」ものである。空腹には耐えられない。それは〈エジソンは えらい人〉ほど常識的なことなのだ。それが曲の最後、踊りを途中でストップさせて「お腹が減った」と言う理由である。人間の根源的な部分が歌われた曲なのだ。さくらももこが書いた詞は、ナンセンスでシュールに映るが実はとても奥が深いメッセージが流れていることに気づかされる。

 両親に「何考えてんだあいつ」と呆れられたその曲。しかし何度もカバーされるなど歌い継がれ、『ちびまる子ちゃん』と聞けば反射的に同曲が思い浮かぶほどになった。さくらももこは2018年に53歳の若さでこの世を去ったが、『ちびまる子ちゃん』という作品、そして「おどるポンポコリン」という曲はこれからもずっと多くの人の記憶に残り続けるだろう。それは、彼女が憧れた「伝記に残るほど偉いこと」ではないだろうか。

ちびまる子ちゃん 第二期OP 「おどるポンポコリン」

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