氣志團 綾小路 翔、ロックスターであり続けるBUCK-TICKへの憧れ 青春を捧げた思い出から交流秘話まで明かす

綾小路 翔、BUCK-TICKへの憧れ

BUCK-TICKと飲みに行った感想は「噂以上の静かさ」

ーーお付き合いしてる時は2人でBUCK-TICK愛を深め合ったり?

綾小路:のちに氣志團も、ファンの方々の彼氏さんたちにすごく嫌われるっていうのを経験することになるのですが、ご多分に漏れず、僕もその子と付き合ってる時だけBUCK-TICKが少し嫌いになりました(笑)。己の歴史の中でいうと、BUCK-TICKが最初で、次にBLANKEY JET CITY、それと斉藤和義とレッチリ(Red Hot Chili Peppers)が嫌いだった時期もあります。「彼女を取られた!」とヤキモチを焼いたんでしょうね。お恥ずかしい限りです(笑)。でも『ドラゴンボール』でいうところのセルみたいに、何でも相手を食べて自分の力にしていくっていう、そういうタイプでもありますね。恋をした女の子と仲良くなりたくて、その子が好きなアーティストをとことん深掘りしていくうちに、気がついたら自分の方が詳しくなっていた、というパターンは綾小路あるあるです。ちなみに、もっとも彼女を思い出すBUCK-TICKの曲は「ORIENTAL LOVE STORY」です。いつ聴いても泣ける自信があります(笑)。

ーーその彼女さんと別れた後は、BUCK-TICKへの想いはどう変わっていったんでしょう?

綾小路:ウチのドラムの白鳥雪之丞とは中学から同級生なんですけど、彼もBUCK-TICK大好き素人で、さらに彼の妹は関東のライブには欠かさず足を運ぶほどの熱烈なファンでしたから、僕らが高校生ぐらいになって、サイコビリーだとかガレージ、エモやメロコアなど、これまでと全然違うものを聴き出すようになっても、その妹がBUCK-TICKの新譜は絶対に買って来てくれるので、結局みんなで聴いていましたね。常にBUCK-TICKは僕らの青春にいてくれました。

ーーその当時は、バンドを組んでコピーしようとか?

綾小路:隣町の千葉県富津市に存在していたんですよ、BUCK-TICKのコピーに命を賭けている「導火線」というバンドが。何せ導火線ですよ。どうにもできませんよね(笑)。しかも先輩ですからね。先に取られちゃったらやれない、みたいな暗黙のルールがあったもので、僕らはオイ!とかハードコアみたいなのをやるようになっていくんですけど、そもそもBUCK-TICKは本当に難しくて僕らのレベルでは演奏できなかったですね。そういえばあの頃、僕ら世代が開局したばかりのWOWOWに加入したきっかけはBUCK-TICKなんですよ。まだ中学生だったからコンサートに行くという発想がない人も多く、BUCK-TICKのライブが生放送されると聞いて、みんな親に頼み込んでWOWOWに入ってもらってました。

ーーそうだったんですか。

綾小路:2時間のライブを観られるなんて、普段のTV番組ではなかなかないですし、あっちゃんがカメラに向かって(ちょっと声を低くしながら)「今宵、セックスしましょう……」って言ったのを聞いて、僕はもう「ヒャ〜〜!」とかなっちゃって(笑)。親と観てた人は気まずいみたいな。当時、周囲でそのセリフが流行りましたし、僕は何度か氣志團のGIGでも言ってますからね。氣志團で初めて生中継があった時、「これは言わなきゃ」と思って言って、そこからエスカレートしてさらに卑猥なことまで間違えて言っちゃったので、放送事故みたいになってあとで怒られましたけど(笑)。

ーーBUCK-TICKから影響を受けているのは楽曲や作品だけじゃない、と。

綾小路:そうですね。僕の周囲は圧倒的にBOØWYが流行っていたんですよ。解散してもう2年も経っているのにも関わらず。それがバンドブームを迎え、BOØWYかTHE BLUE HEARTSかX(X JAPAN)か、みたいな感じになってきて、それぞれ追随するバンドも増えてきました。だけどBUCK-TICKだけは常に異彩を放っていて、独特だったんですよ。曲もファッションも好きでした。BUCK-TICKってメンバーそれぞれに個性がありながらもカラーが揃っていて、ロックでありアートを感じるバンド。パッションで表現することこそ美しいとされていた時代に一切寄せない、そして寄せつけない強さがあった。昨年末にホールでBUCK-TICKを観た時も、この5人のシンメトリーは圧巻でした。今井さんはこの画を見せたくてレフティでギターを始めたんでしょ?

ーー有名な話ですね。左利きじゃないけど、左利き用のギターを使っているという。

綾小路:すごいよなあ。今年1月3日に氣志團の武道館公演があって、いつもはドラムとベースのライザー(高さ調節の舞台装置)、ベースの方が少し低いんですけど、12月のホールライブを観てすぐ「BUCK-TICKみたいに両方の高さを揃えて!」って伝えました。もう武道館との打ち合わせも終わった後だったから再申請しなきゃいけなかったんですけど、やってよかった。ついでにギターのランマ(星グランマニエ)に「レフティで弾いて」って言ったけど、「それはさすがにムズイねー」って(笑)。あれはいくら模倣したくても、どうにもなりませんよね。

ーー対バンもされていますけど、氣志團とBUCK-TICKの交流はいつ頃から始まったんですか。

綾小路:氣志團で一番行動も思考も謎な人物・ヒカル(早乙女 光)くんと、BUCK-TICKで一番謎の多い今井さんが、共通の飲み屋で知り合ったのが最初だと思います。あとヒカルくんとユータさん(樋口豊)なんて誕生日が同じ1月24日で、毎年「おめでとう」ってメッセージを送り合ってるらしいです。ある日、恵比寿でヒカルくんと飲んでいたら「ヒカルちゃん」って呼ぶ声がしたんで、振り返ったらユータさんで、その背後にBUCK-TICK様御一行が普通に歩いていて驚愕。図々しくも、そこで一緒に飲ませてもらったりとかもしました。

 それから対バンに誘っていただいたり、フェスに呼んでいただいたりして、メンバーの皆さんと打ち上げで飲ませてもらったりしましたけど、リアルにみんな喋らずしっぽり飲んでいて、「なんだこの空間?」みたいな(笑)。2次会に行っても変わらないで、ずっと一緒に、静かに飲んでるんですよ。騒いでるのは僕とイベンターさんぐらいで(笑)。噂には聞いてましたけど、噂以上の静かさでした。これを何十年もやってるんだと思うと、すごいなと。

ーーBUCK-TICKのトリビュートアルバム『PARADE II 〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜』(2012年)に参加した際、氣志團は「MACHINE」をカバーしていますね。

綾小路:悩んだんですよ。そりゃあやりたい曲はいっぱいあって、好きな1曲なんて決められなくて。悩んで最終的に絞り込んだのは3曲で、「MY EYES & YOUR EYES」「M・A・D」「MACHINE」でした。

ーーそこから「MACHINE」に絞った理由は?

綾小路:トリビュートは並み居る猛者たちとの共演なわけですよ。その中で僕は何ができるかと試行錯誤した結果、「MACHINE」の低音ボイスに挑戦してみたいと思って。BUCK-TICKが他のバンドや歌手たちと圧倒的に違うと最初に思った部分は、あそこまで低い声でメロディを歌うことで。あれだけは本当に真似できない。低いところから一気にハイトーンまで駆け上がるあっちゃんの声が、やっぱりねえ、もはや失禁する感じっていうか、「うわ〜〜! ゾクゾクゾクッ!」ってなる。本当に唯一無二だなと思っていて。僕は喉がちぎれそうなとてつもないハイトーンとかは出ないけど、音域はそこそこ広い方だと思っていて、むしろどちらかといえば低い声の方が自信があると思っていたので、これは真っ向から挑戦してみようという気持ちになったんです。BUCK-TICKの大きな一面でもあるゴシックな曲は、氣志團でやるとどこまで雰囲気が出せるかなっていうのもあったけど、高速道路をどうにかなってしまうほどにアクセルを踏み込んで突っ走ってるあの感じは我々とも繋がる世界観かなと思って、「MACHINE」をやらせてくださいって言いました。事実、あの頃バイクに乗っている時のBGMだったし。

ーーローボイスで聴かせる歌い回しも櫻井さんに似ていてかっこいいです。実際にカバーしてみてどうでしたか?

綾小路:カバーしてわかることってあるんですよね。ウチの楽器隊はみんな、ああ見えて音楽にはめちゃくちゃ真面目なんで、曲をコピーしてみることで、「これはこういう風にでき上がってるんだ、すごいね!」「この感じを出すにはどうしたらいいんだ?」「BUCK-TICKヤバい!」みたいになってて。対バンした時も演奏に圧倒されて、みんな感動していました。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる