Snow Man 宮舘涼太、ステージ上での優雅な振る舞いの裏にあるもの 突き詰められた美意識の高さ
宮舘の引き出す笑いは、ロイヤルなキャラクターが崩れてしまうことで誘うものではなく、あくまでも「舘様」が維持されたままコミカルと調和することで生まれるものだ。彼がどんな時でも「舘様」であってくれるとわかっているから、観客は安心してエンターテインメントを楽しむことができる。
「優雅さ」というものは、周囲からするとえてして余裕があるもののように見えがちだ。だが、湖の上では優雅に見える白鳥が水面下では激しく足を動かしているように、ちょっとした日常的な動作の中に宿る表情が維持されるのは、全身に常に神経を張り巡らせているからこそ成り立つものだ。冒頭で「本来的にそういった素養を持つ人物」と述べたが、それは宮舘が労せずしてそのロイヤルさを手に入れたという意味ではない。どういうふうに動けば美しく優雅に見えるのか、確固たるイメージが無意識レベルで確立しているからであり、それを自分の身体をもって実行できるだけの能力を兼ね備えているためだろう。宮舘涼太という人間を分析していくと露わになるのは、どこまでも突き詰められた美意識の高さである。
Snow Manの一員の宮舘涼太としても、エンターテイナーの「舘様」としても、取って替われる人はいないだろうし、その存在の特異さは、ファンを超えて世間にも気づかれ始めている。これからも変わらず、優雅に、舘様の世界を拡張していくことに期待したい。
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