hide、自由な発想で追い求めた“ロックからの逸脱” 現行ポップスにも通ずる音作り&自己プロデュースの斬新さ

 なぜそれほどまでに自由であれたのか。それは、一リスナーであった頃の自分を脳内の箱庭に住まわせ続け、その子を驚かせたいーー自分さえも驚くような音楽を作りたいという思いが通底していたからだと思う。『兄弟 追憶のhide』で実弟である松本裕士が「“少年・松本秀人”への問いかけがある」と振り返っていること、先述のインタビュー記事での山崎洋一郎の「ヒデをちゃんと聴いてるリスナーってみんなマツモトヒデト少年だと思うけどね」という切り込みを笑って肯定していることからもそれが窺える。ソロデビューシングルの1枚『50%&50%』のカップリング曲「DOUBT」のアウトロで、フェードアウトしたかと思いきや歪んだギターが爆音でUターンしてくるという仕掛けをしたいがために本編の音量を下げてしまったエピソードは、リスナーの脳天に雷を落とすことを最優先にしているといった感じだ。音楽オタクを通り越して「音オタク」と化していながら、常に耳が肥えているわけではない、非音楽家の「普通の人間」を意識しており、リスナーには知識を求めず、必要なのは普遍的な衝撃だけ。少年時代に感じた、これまでの自分をロックに破壊されるような感覚。それを追体験させるには、hide自身が再び崩れるような衝撃が不可欠になる。初期衝動とかたく手をつないだまま、しかし、それゆえに自分の聴いてきたものや体験してきたことから逸脱し続けたのだ。

hide「DOUBT」

 「松本少年」と共に彼の音楽家と並走してきたのが、他ならぬスターとしてのHIDE/hideである。家を出るなり素の自分を締め出し、常にファンの目を意識していたという。1993年のある日、いつまでその芸風を続けるのかと問われ「CGで作った完璧なアーティストとすりかわり自らは影のプロデューサーになる」と答えた逸話は(※1)、すでに語り手のI.N.A.が初音ミクと紐づけているが、令和J-POPシーンのアバター化していくアーティストともシンクロしているのが恐ろしい。ソロとしての出発で身につけた「楽曲ごとにキャラクターを変えて歌う」手法は、プロデューサーの楽曲に合わせて変幻自在に応える現行の歌手たちと一致する。自身で作り、自身が演奏するのに、プロデューサーとしての眼を小脇に抱えたまま。芸風としてではなく、独立した「キャラ」としての自己プロデュースもまた、奇妙なほど新しい。

 と、これだけ語っても挙げきれなかったhideの試みのなかに、この先デジャヴを連れて立ちのぼってくるギミックがどれほどあるだろう。彼が彩度を落とすのは、デジタルのその先の時代だろうか。別の衝撃、さらなる驚きまで、hideの落としていった目印のパンくずは続いていくに違いない。

※1:https://www.oricon.co.jp/news/2061167/full/

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