AKB48の軌跡を辿る 第1回:結成から初の『紅白』出場まで、秋葉原で生まれたアイドルの黎明期

秋元康が「劇場満席は誤算」と語ったワケ

 2006年に入り、劇場併設のカフェで人気スタッフだった篠田麻里子がチームA入りしたことも大きかった。秋元康から「4日間で11曲を覚えられるなら」との課題をクリアして、デビューを果たした。篠田を加えた21人のメンバーは2月4日、初めて満員の客席を見ることになる。

 しかし秋元は、このタイミングで満席を達成したことについて「誤算」「早すぎる」と表現。秋元は対談本『AKB48の戦略!秋元康の仕事術』で、「1年か2年雌伏のときを経て、『あの子たちも、ようやくなんとかなってきた』と、AKBがそれこそ刺さった人たちの応援団ができたところで、テレビなりなんなりにドーンといきたかった」と話している。

 秋元の「誤算」は続いていく。2月には、週刊誌『週刊プレイボーイ』のグラビアに大島麻衣、渡邊志穂、浦野一美が初登場。同月、ニュース番組『NEWS23』(TBS系)でAKB48劇場が紹介されるなど、メディアでも取り上げられるようになる。

 デビューから3カ月後にはチームKを構成する2期生オーディションがはじまる。ここで合格を決めたのが大島優子だ。小学1年生から子役として芸能活動をおこなっていた大島は、チームKの最初の公演からセンターをつとめるなど鳴り物入りだった。しかし大島は『Quick Japan Vol.87』のインタビューのなかで、当時のスタッフから「芸能活動が長いから実力は伸びないだろう」と言われていたと明かしている。その悔しさが原動力となり、さらに夏まゆみから「いつか本物になってください」とのメッセージを受け取ったことで、「大島優子というポジションを確立しなきゃいけないって強く思うようになりました」と決意を固めた。

 チームKの出現は、前田敦子、高橋みなみ、峯岸みなみ、小嶋陽菜、板野友美、大島麻衣らチームAの面々を刺激した。チームKは大島優子ほか、秋元才加、宮澤佐江、梅田彩佳、小野恵令奈、河西智美、野呂佳代ら、いま考えるとかなり濃い。そして、ここからはじまった内部競争はそのあとのAKB48の地盤となった。

 アンダー制導入もメンバー間のライバル意識を高めた。公演時にメンバーが個別仕事などで欠けた際、別のチームからアンダー(代役)が立つというこのシステム。4月のチームAによる2nd Stage『会いたかった』公演で初めてアンダーが入った。高橋は『AKB48ヒストリー 研究生公式教本』で、自分が休んだら代わりに誰かがそのポジションに立つことで、居場所がなくなるのではないかと不安を口にしていた。そういった緊張感や対抗心がファンにも伝わり、AKB48劇場内はますます熱気が立ち込めていった。

AKB48『スカート、ひらり』

 6月9日には、インディーズ2作目のシングル『スカート、ひらり』を引っさげて音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)、『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』(日本テレビ系)に出演。この日、公式ホームページが一時ダウンする事態に。そして10月25日にメジャーデビューが決定。第1弾シングルは、チームAの楽曲「会いたかった」。しかし同曲は、チームAとチームKのなかから選抜されたメンバーで歌うことが発表され、騒ぎとなった。これがのちに社会現象を巻き起こすCD選抜の総選挙のきっかけとなる。

 11月3日、4日には初めての劇場外公演となる東京・日本青年館でのコンサート『会いたかった 〜柱はないぜ!〜』を成功させる。グループを取り巻く状況が一変したなか、チームBのメンバーを決める第3期オーディションが11月下旬におこなわれ、柏木由紀、渡辺麻友ら20人が加入。だが厳しいレッスンもあって脱落者が続出。チームAの浦野一美、平嶋夏海、渡邊志穂が移籍するなどして翌年4月8日のデビューにこぎつけた。しかしトラブルは続く。センターの渡辺麻友が足を負傷して長期離脱。非常に険しい船出となった。

「アキバ枠」で紅白初出演

 2007年、前田敦子が4月公開の映画『あしたの私のつくり方』で見事な演技をみせた。今や若手トップの名優となった前田だが、同作ではその才能が感じ取れる。8月にはAKB48のメンバーが多数出演した映画『伝染歌』が公開。また、野呂佳代と佐藤夏希はお笑いコンビ「なちのん」を結成して『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)にエントリーし、2回戦まで進出した。

 そういった外部仕事が増え、なかでも前田、大島らチームA・Kの中心メンバーが撮影やキャンペーンで引っ張りだことなったことで、劇場公演がままならなくる。そんなとき、出だしでつまづいたチームBが大奮闘。劇場公演を守り抜き、その頑張りにたくさんのファンが心を打たれた。AKB48の初海外公演を達成させたのは、そんなチームBだった(9月『中日文化人懇談会2007~オープンカレッジin北京~』)。

 2006年から2007年にかけて飛躍したAKB48は、なんと『第58回NHK紅白歌合戦』(NHK総合)にも出場。ただこのときは「アキバ枠」という括りのなかでの扱いだった。AKB48、中川翔子、リア・ディゾンが連続してステージで演奏するというものだ。披露した曲も2006年リリースの「会いたかった」。書籍『僕たちとアイドルの時代』(星海社/2015年)で著者・さやわかは、「出演後にこの曲のCDはリバイバルされてそれなりに売れたが、新譜の売り上げ増には結びついていない」と記している。アイドルシーンでは急成長を遂げた注目株だったが、全国的な認知は今ほど高くなかった。「秋葉原でアイドルがどうやら賑わっているらしいぞ」くらいの雰囲気だった。AKB48はまだまだ、「自分たちは何者であるか」をアピールする新人タレントの1組でしかなかった。

 一方で2007年10月、もうひとつトピックスがあった。4月の4期生メンバー(第1回研究生)オーディションに続き、5期生メンバー(第2回研究生)オーディションがおこなわれた。そこで合格し、翌年から活動をはじめることになるのが指原莉乃だった。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter:https://twitter.com/tanabe_yuuki/

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