連載「EXILE MUSIC HISTORY」第5回:PATO、SEVA

EXILE MAKIDAI連載「EXILE MUSIC HISTORY」第5回 PATO&SEVA、振り付けと演出でクリエイトする“LDHらしさ”

 EXILE MAKIDAIによる「EXILE MUSIC HISTORY」は、EXILEが2021年9月にデビュー20周年を迎えることを受けて、その音楽的な進化の軌跡を振り返る連載だ。

 最新のストリートカルチャーやダンスミュージックのエッセンスを、メロディアスで口ずさみやすいJ-POPに注入し、ダンスパフォーマンスによる視覚的な表現を掛け合わせることで、日本の音楽シーンに一時代を築いてきたEXILE。そのクリエイションには一体どんなイノベーションがあったのだろうか。日本の音楽シーンを代表するクリエイターたちの肉声に、MAKIDAIが迫る。

 第5回のゲストには、TEAM GENESISとしてLDHのクリエイティブの中核を担っているPATOとSEVAが登場。EXILEの楽曲やツアーに振り付けで貢献しつつ、ライブステージ制作全体にも携わり、昨年の「LIVE×ONLINE」の成功も二人の功績が大きい。若手のJr.EXILEメンバーにも彼らの教え子が多いということだ。今回はそんなPATO、SEVAの二人に、MAKIDAIとの出会いやダンスのルーツから、様々な振り付けの制作に至るまで、チームEXILEとともにエンタテインメントの発展に貢献したきたヒストリーを振り返ってもらった。(編集部)

【TEAM GENESIS】SEVA & PATOが語る、EXILEのステージング

PATO&SEVA兄弟との出会い

EXILE MAKIDAI(以下、MAKIDAI):僕らと初めて会ったのはいつ頃でしたかね?

PATO:記憶が合っているか分かりませんが、渋谷のクラブ・HARLEMだったと思います。そこで紹介されたのが初めてだった気がするんですよ。

MAKIDAI:HARLEMにはよく行ってましたもんね。HARLEMが初対面ということは、第一印象は相当ヤバかったんじゃ(笑)。

SEVA:自分は「すごく良い方だな」という第一印象です。全く今の人柄と変わらないニュアンスでした。

MAKIDAI:SEVAくんたちはダンスの情報も持ってるし、踊りもヒップホップルーツのイメージが強かった。MISIAさんのサポートダンサーでもありましたし。

PATO:どちらかというと、自分たちはMAKIくんたちの活躍を見ていた側だったと思います。でも、ニューヨークやLAとか、シーンとして見ているものは同じだったと思いますし、共感できるものがあったんですよ。だから、MAKIくんが務めていたMISIAさんのサポートダンサーに憧れて、オーディションを受けたんだと思います。

SEVA:僕たちは九州出身なんですが、まず学生の時に『ダンス甲子園』を観て、刺激を受けました。当時のZOOがカッコいいなと思って、ダンスをやってみたいと知り合いのダンサーを紹介してもらって、始めたという経緯なんです。

MAKIDAI:ZOOへの憧れはありましたね。今観てもダンスのみならず、色々な要素が詰まっていると思います。

SEVA:個人的にはダンサーがアーティストに変わる瞬間を客観的に感じた瞬間でした。むしろ、東京のクラブシーン自体がそのイメージだったんですよ。ひとつのライフスタイルが出来上がっている印象があったので。そんな憧れもあり、自分たちも東京に来てみようと思い立ったんです。

MAKIDAI:たしかに東京のクラブシーンにはカルチャーも含めてダンスシーンがありましたね。スタジオで学ぶこと以外の遊び心であったり、ファッションであったり。

SEVA:僕たちはもともとニューヨークのダンススタイルを追いかけていて、その後にLAスタイルも取り入れるようになって、それを経て今のクランプに行き着くんです。結局、振り返ってみるとMAKIくんたちを見ながら、自分なりにダンスのカルチャーを紐解いてきたんだなと思います。

MAKIDAI:ルーツに近いものを感じてきたから、共感できる部分が多いです。だから今も一緒にダンスに携わっていられるんでしょうね。当時からスタジオなどで僕らのバックアップをしてくれました。二人の振り付けには、それぞれに個性やキャッチーな部分もありつつ、しっかりEXILEのメンバーに落とし込むことも考えてくれていました。今や振り付けで僕たちを引っ張っていってくれる存在ですよね。2009年にはDJ MAKIDAI feat.青山テルマ名義の「Dreamlover」のMVにも出演してくださいました。マライア・キャリーの「Dreamlover」のカバー曲でしたが、二人ならこの曲を絶対通ってきているはずだし、この感じが好きだろうなと思いながら一緒にMV制作に参加していただいた思い出があります。ダンスを見ながら、やっぱり二人は息が合うなと思ったんです。二人で最初に踊ったのはいつなんですか?

PATO:九州で活動したときにやっていました。いわゆる当時のニューヨークスタイルでしたね。それしか知らなかったんです。

MAKIDAI:そこから今はジャンルも増えてますし。

PATO:そうですね。把握しきれないほどです。MAKIくんがDJ DARUMA氏と一緒にDJを務めているダンスのプロリーグ『D.LEAGUE』は勉強になりますよ。

MAKIDAI:『D.LEAGUE』はヤバいですよね。こんな進化してるんだっていう。どのチームも違った良さがあって。

PATO:どのチームもうまいですね。振り付けのテーマが変わったときに、「このチームはこんなにうまかったんだ」って気づくこともかなりありますし。勉強もできて、踊りのジャンルも何個かできるようなハイブリッドなダンサーが増えてますね。すごい時代だなと思います。

SEVA&PATOの振り付け

MAKIDAI:振り付けではどんなことを意識していますか?

PATO:まずMAKIくんがおっしゃったように、自分はどちらかと言うと、みんなのキャラクターに合わせて作っています。みんなが表現しやすいものとか、熱が感じられるものとか、そういうイメージです。当然、楽曲も意識するんですけど、基本的にはキャラクターを重視している方だと思います。

MAKIDAI:「24karats」の振り付けにはPATOくんパート、SEVAくんパートがそれぞれあります。三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEの10周年企画で開催した「LIVE×ONLINE」で久しぶりに踊りましたが「ここはPATOくん、ここはSEVAくん」と思い出せる。二人の生み出したものを通っていたからだと思いますが、やっぱりDNAに入っているんでしょうね。

PATO:自分たちならではの感覚はありますよね。

MAKIDAI:例えば「Rising Sun」の頃は今と作り方も違いましたね。ブロックごとに振り付けを作っていって、それぞれに振り落とししていって。

SEVA:そうですね。つなぎだけ合わせたり、時には本当にミックスで作ったときもありました。曲の特徴によって、やり方を変えないといけないんだろうなと試行錯誤していた時期だったと思います。

MAKIDAI:振り落とししつつ、メンバーが踊っているニュアンスを見て、二人がそれぞれ「こう思ったんですけど」とアドバイスを重ねながら、アイデアを膨らませていく感じでした。

SEVA:振りを付けながら、ライブの作り方も学べましたね。考える場所を与えてもらいつつ、自分たちの意見も聞いてもらえるという感じで、すごく鍛えてもらったと自分では思っています。今思えばあんなに至らない感じだったのに、ありがとうございますという感じです。

MAKIDAI:いえいえ、PATOくんとSEVAくんがずっとEXILEのストーリーに寄り添ってくれたのは、本当にありがたいです。ところで、お二人が特に印象に残っている振り付けの楽曲はなんでしょうか。

PATO:僕はSEVAより関わるのが少し早かったのですが「Lovers Again」と「24karats」は自分の得意な面を出せた瞬間でもあったので覚えていますね。

MAKIDAI:今ではバラードでエモーショナルに激しく踊るのはスタイルとしてスタンダードになりつつありますが、当時のEXILEにとってはあの振り付けが新鮮でした。

PATO:特に「Lovers Again」は当時、レイラ・ハサウェイの「Baby Don't Cry」を雰囲気や時代を変えて邦楽にしたような曲だと思ったんです。それが素敵だなと。

MAKIDAI:たしかにバラードでダンスが映えるという意味でもそうですね。結果的に「Lovers Again」は第2章のターニングポイントにもなったのが嬉しいです。SEVAくんはどうですか?

SEVA:2007年の「Touch The Sky」から「SUPER SHINE」と関わっていきましたが、一番印象的なのはEXILE10周年記念の「Rising Sun」です。2008年に「PERFECT YEAR」があって、2011年は国民に知ってもらえた感覚を共に味わえたというか。それによって自分の心持ちの変化もありましたね。もちろん手を抜いていたわけではありませんが、もっと頑張らなきゃいけないなと思いました。

MAKIDAI:どの楽曲の振り付けにも、ちゃんとストリートで吸収したことが反映されているんですよね。PATOくんもSEVAくんもクランプをいち早くやっていたイメージですが、その振りが「24karats」などの楽曲でEXILEの表現に上手く取り入れられていて。アンダーグラウンドのシーンや数々のエンタテインメントから得たものを、それぞれのアーティストにアジャストするのは本当にすごいと思います。

TEAM GENESISとしてのライブステージ制作

MAKIDAI:お二人は現在、TEAM GENESISとして、振り付けだけではなくライブステージの全体像の制作もされています。

PATO:昔から変わらず、EXILE HIROさんからコンセプトやきっかけをいただきつつ、二人で手分けしながらやっている感じですね。最近はこれまで以上に自分たちがインプットしたものをどう変化させてアウトプットしていくか、というチャレンジもさせてもらっていて。

MAKIDAI:お互いに仕事の割り振りはあるんですか?

PATO:例えばJr.EXILE世代のプロジェクト「BATTLE OF TOKYO」だったら「立ち上げは自分やるわ」みたいな、ざっくりしたノリで分けています。でも、お互いに得意な部分が違うので、有利なパートで切り分ける場合もあります。

MAKIDAI:スタジオで一緒に振り落とししていただくと、いきなり「PATOくん、そこやっといて」みたいな場面がありますよね。あれも距離感が近いからやりやすいんだろうな。

PATO:二人で話すと主語がなくなるんです。

SEVA:それで周りが「何言っているのこいつら?」って雰囲気になるときもありました(笑)。詰めて話しちゃって、気がついたら場が「あれ?」みたいな。

MAKIDAI:(笑)。お二人のそんなやり取りがありながらも、『EXILE PRIDE』のツアーでは皆の方向性がひとつになってましたね。久しぶりに最終日の「24karats」を観ましたが、どでかいGENESISが出てきたりして。今思うと、あの時からTEAM GENESISは始まっていたのかなと。

SEVA:過去一で無茶してますよね(笑)。それまで舞台裏スタッフの皆さんの顔が見えづらかった部分があったんですけど、あの時は皆の顔が見えて、ONE TEAMになった瞬間だった気がします。あそこから皆が同じ方角を向いて良いライブにしようという感じになっていった。そういう意味でとても印象的です。

MAKIDAI:今でもメモリアルライブですよね。LEDを身に纏ったダンスパフォーマンスを行う「SAMURIZE from EXILE TRIBE」が始まる大きなポイントでもありました。

SEVA:SAMURIZEのパフォーマンスを担当したダンサーの中には、現在Jr.EXILEのメンバーとして活躍している子もいますね。だから、EXPGの生徒たちの間では、SAMURIZEをやるとデビューできるというジンクスみたいなものがあるらしいです。

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