斉藤由貴×武部聡志が語る、35年を経て辿り着いた“結論”「余計なものを削ぎ落として、本当の自分だけで表現する」

斉藤由貴× 武部聡志、二人の音楽の世界観

 斉藤由貴の歌手デビュー35周年記念アルバム『水響曲』がリリースされる。この節目のアルバムには、1985年のデビュー曲「卒業」を皮切りに1987年までに彼女が発表したシングル曲を中心に、思い入れの深い楽曲10曲のセルフカバーが収録されている(初回限定盤はオリジナルバージョン10曲のボーナスディスクを加えた2枚組)。

 数多くの女性アイドル歌手がヒットを出していた80年代、斉藤由貴は独特の淡さと文学的ともいえるムードで、他とは一線を画していた。音楽面でその世界観を担ったのは、「卒業」を皮切りに約4年間にわたって、シングル、アルバムでほぼすべての編曲を担当した武部聡志だったことは間違いない。筒美京平、松本隆、森雪之丞、玉置浩二らをはじめとした一流の作詞家、作曲家たちと、斉藤由貴という得難い歌い手の個性を融合させ、今聴いても古びたところのない確かなクオリティの楽曲を送り出した。

 当時の常識でも、ひとりのアイドル歌手の曲をたったひとりのアレンジャーが編曲し続けることは異例だったという。今回『水響曲』で、その二人が再び一枚のアルバムで向かい合った。歌手とアレンジャーという関係性以上に、音楽を通じて深く結びついていた二人が、35年の時を超えて感じている「あのとき」と「今」。アルバム収録曲をたどりながらじっくりと対談してもらった。(松永良平)

ありのままの自分の生き様みたいなものを歌を通して楽しめた

ーーまずは、今回のアルバム制作の経緯についてお聞きします。

武部聡志(以下、武部):最初に僕が提案したというか、まず由貴ちゃんに「35周年のお祝いの作品を作りたい」という思いを投げたんです。由貴ちゃんが「やってみようかな」という気持ちになったのはなぜ?

斉藤由貴(以下、斉藤):正直に申し上げると、最初はちょっと及び腰なところがあったんです。だけど、武部さんから「35周年で何かやるんだったら僕がやらないで誰がやる? 何でも助ける」って言われたときに、「あ、これはやらなければ」という気持ちになりました。私のなかでは、自分から前のめりになって始めたプロジェクトではなかったかもしれない。ですけど、35年前にアイドルとして始まった自分がそのとき何を考えていたのか、そこから35年を経て良くも悪くも自分がどんなふうに変わったかを振り返るだけじゃなくて、いわゆるアイドル歌手の歌謡曲だった曲がどんなふうに変容してゆくのか、その可能性を再確認できた素晴らしいひとときでした。

武部:僕もキャリアを積んで、今の自分だったらどんなふうに解釈できるだろうかというのは自分自身にとっての挑戦でもあった。変な話だけど、今回のアルバムは僕だから許されると思った。オリジナルのアレンジを作ったのが僕だからこそ、それをどう活かしても、壊しても、きっと許されるんじゃないかなと思った。それに、2020年って特別な年だったじゃない?

斉藤:そうですね。

武部:そんな特別な年にこんな特別な作品が作れたんだから。だって、次の40周年の頃は僕はもう生きてないかもしれないじゃない(笑)? やれるうちにやっておかないと。

斉藤:私は最初から歌がそんなに上手じゃなかったし、今も「ほら、35年前よりうまくなったのよ」というわけでもない。だけど、ありのままの自分の生き様みたいなものを、こうやって昔の曲をもう一回作り直して歌を通して楽しみ、それをみなさんに聴いていただくことってすごく必要だし素敵な体験でした。

武部:僕も、仕事だということを忘れるくらいの楽しさだった。由貴ちゃんは僕に「作ってくれてありがとう」って言うかもしれないけど、僕は逆に「作らせてくれてありがとう」という感じ。

斉藤:ここ今、泣くところですよね(笑)?

ーーでは、今回収録された全10曲について順にお聞きしていきます。

●「卒業」1985年2月21日リリース(1stシングル) 作詞:松本隆 作曲:筒美京平

武部:やっぱりアルバムの1曲目は「卒業」しかないよね。当時、「これがデビュー曲ですよ」と初めて聴かされたときの話を聞きたい。どう思った?

斉藤:私自身、アイドル歌手になるという気持ちは一切なかったんです。だから「歌を出してみたい?」と言われたとき、最初にあったのは拒否反応でした。だけど「卒業」をいただいて、松本(隆)さんの歌詞を読んだとき、素人なりにほんの少しだけ「この世界観なら私自身を委ねられる」と感じたことは覚えてます。自分の殻が硬くて、少しひんやりしてるんだけど、心のなかにすごく熱い思いを持ってる、その感じ。松本さんは私と話したこともないのに、渋谷駅に貼られていたポスターで私の写真を見ただけで、どうしてこの歌詞にしようって思ったんだろうって、ちょっと運命的なものを感じました。

武部:僕はね、由貴ちゃんの当時の担当ディレクターだった長岡(和弘)さんから「今度こういう女性をデビューさせようと思う。これから何年間か一緒に作っていきませんか?」と言われたときに、とにかくうれしかった。だから、80年代中盤からの数年間で一番思い入れを持って作れたのが由貴ちゃんの作品なんだよね。

斉藤:泣くところですよね、ここ(笑)?

武部:そして今回は、僕のピアノを核としてシンプルな編成で温かいサウンドにしようというアイデアがアルバムのコンセプトとしてあった。「リズムは入れない」というコンセプトを最初に考えていたし、1曲ずつクラシックで使う楽器をフィーチャリングして、あの当時とは違った色合いにしたいなと思ったんだよね。

斉藤:でも、リズムが無いという印象は私には無かったです。武部さんのピアノが入ってるからかもしれないけど、リズムの正確さみたいなものは歌いながら十分感じてました。ただ、私にリズム感がないだけで(笑)。私の微妙にリズムがずれる感じって、一生あのままなんですかね?

武部:そこが由貴ちゃんの歌の良さなんだから(笑)。今回は作品を甦らせるだけでなく、斉藤由貴にしか出せない世界観を色濃く出したいと思ったんだ。

斉藤:できあがった曲を聴いたら、武部さんはちゃんと私のエッセンスを全部拾ってらっしゃるんですよ。私からどうしてもこぼれて出てきてしまう表情みたいなものをすごく俯瞰して見てる。

武部:俯瞰なのかどうかは自分でもわからないんだ。ただ斉藤由貴のファンなだけかもしれないな(笑)。でも、本当に「卒業」という曲は僕らにとっての宝物だよね。

斉藤:間違いないです。

●「白い炎」1985年5月21日リリース(2ndシングル) 作詞:森雪之丞 作曲:玉置浩二

武部:今回アルバムに収録するときに一番アレンジを苦労して考えたのはあの曲かもしれない。あれをリズム無しでやるというのはチャレンジだった。マイナー調だし、もともとちょっとロックっぽい曲じゃない? それで、ピアノとチェロ4本がかっこいいんじゃないかなとある日思いついた。

斉藤:重厚でした。私、今回のチェロのアレンジを聴いたとき、脳味噌を殴られるような感動を覚えたんですよ。なぜなら、イントロから歌に乗るときのチェロの演奏は、私がもっとも好きな音運びのうちのひとつだったんです。あれはバッハがベースにありますよね。ある意味、今回のアルバムのなかでこのアレンジが一番好きです。潔くて、水墨画みたいなテイストでした。

武部:由貴ちゃんってそういうところをキャッチするのがすごく上手だよね。僕もこのアレンジはモノトーンにしたいと思ってたから。水墨画っていうのは鋭い指摘ですよ。

斉藤:やっぱり35年の付き合いですから(笑)。

ーー3曲目の「AXIA~かなしいことり〜」は、今回唯一シングルではない曲です。

●「AXIA~かなしいことり〜」1985年6月21日リリース(1stアルバム『AXIA』収録曲) 作詞・作曲:銀色夏生

武部:アルバムに収録するのは全部シングル曲縛りにしようとしてたんだけど、なぜか「この曲は外せない」と思ったんだよ。

斉藤:縛りを乗り越えて入ってきた(笑)。

武部:この曲が好きだっていう人は多いよね。

斉藤:そうですよね。いろんな人がカバーしてくれていると聞きました。

武部:当時は、スティーヴィー・ワンダーみたいにしようと思ってアレンジしたんだよね。シンセベースで、打ち込みのアルペジオが鳴ってて、そこに歌が入ってきて浮遊感があるというのが狙い通りにできた。

斉藤:私のなかでは、もっと人間の生身的な温度感を排除した、無機的な手の届かないアレンジという印象がありました。今回のバージョンで使われてるハープも、人の手の温かさみたいなところからちょっと離れた音色ですよね。

武部:原曲のアルペジオがハープっぽいということもあるし、新しいアレンジはそうしようと最初から思ったんだよ。プロローグ、エピローグ的なフレーズも曲の前後に付け足した。

斉藤:素敵です。あの付け足されたパートが、武部さんの核にあるクラシカルな部分を本当に具現化してると思います。短いフレーズなのにすべてを伝えるエッセンスがぎゅっと詰まってる。

武部:僕としては、そのちょっとした付け足しが「35年」なんだよ。35年後の自分の主張が「白い炎」のチェロであったり、「AXIA」のイントロ、アウトロだったりする。すごく自己満足なのかもしれないけどね。

斉藤:でもね、武部さんの付け足したものは潔くて、決してベタベタしないんですよ。だけど、一番そこにあったらうれしいものを濃縮して置くことができるんです。美しいアペリティフとか、最後のデザートみたいにね。そのほんの少しのところを何べんも聴いて見たくなる。

●「初戀」1985年8月21日リリース(3rdシングル) 作詞:松本隆 作曲:筒美京平

武部:「初戀」は筒美京平さんと松本隆さんの“漢字二文字三部作”の2曲目。

斉藤:松本さんから詞をいただいたとき、あまりに歌詞が素敵だったんで、歌詞カードを抱きしめて「ありがとうございます」って言ったらしいんです。そのことを松本さんはすごく印象的に覚えてくださってて。

武部:その頃、僕は最先端のデジタルなものとアナログなものをうまく調和できたらいいなといつも考えていた。「初戀」はそれがすごくうまくいった曲だった。

斉藤:打ち込みなのに冷ややかな感じがあんまりしないんですよね。もっと温かみというか切なさというか、青春のキラキラした感じがあるんです。

武部:この曲でフルートを使うというのは初期の段階からイメージできていたかもしれない。フルートって風を感じるから、それが軽やかな感じになってる。オリジナルよりも、もっと爽やかな「初戀」になったかな。

斉藤:でも、爽やかさだけじゃなくて、素直な柔らかさみたいなものを感じました。ある意味、オリジナルよりも強くそれを感じたかもしれない。オリジナルはキラキラしたソーダ水みたいにふわっとしてて、本当に最初の初恋って感じ。だけど、今回のはもっと素直で肩の力が抜けていて、初恋を歌っているのにも関わらず初恋を回想しているような柔らかい甘さを私は感じました。

武部:今回は、それぞれのサウンドに触発された歌い方をしてくれたよね。そんなふうに音で会話できたのが今回一番うれしかったことかもしれない。

斉藤:武部さんのアレンジはね、そうせざるを得なくなるんですよ。音叉みたいに共鳴する感じ。それこそ、35年の月日がなければできなかったことなのかなと思ったりします。

●「情熱」1985年11月15日リリース(4thシングル/映画『雪の断章 -情熱-』主題歌) 作詞:松本隆 作曲:筒美京平

武部:“漢字二文字三部作”の最後、「情熱」ですね。この曲は由貴ちゃんの曲のなかでは珍しいタイプじゃない? 松本さんの歌詞も凄みを増してきた。

斉藤:すごい曲だと思います。もともと『雪の断章 -情熱-』(相米慎二監督)という映画の主題歌で、その映画がすごく重い内容だったことにも合わせて歌詞は書かれたはずです。

武部:でも好きな人多いんですよ。今回は、より情感に訴える方向でアレンジしたかもしれないな。ストリングスのフレーズも、ちょっとウエットでエモーショナルな方向に振れた作りになってる。

斉藤:イントロの数秒で「情熱」の世界観をダイジェストしてますよね。私はそう感じました。

武部:僕なりの楽曲の解釈を、そういう新しいパーツに注ぎ込んだのは確かだね。由貴ちゃんも、この年齢になってあらためてこの曲を歌うと、逆に「演じている」という感覚がもっと真に迫ってくる感じ?

斉藤:そうですね。たぶん、当時の私は19歳か20歳くらいでしたけど、その頃の私にはこの曲の世界はフィクションに映っていたかもしれない。だけど、今はこの曲を歌うときは、どこかでこの世界を受け入れてますね。

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