藤田麻衣子が「きみのあした」で届ける歌という名のファンタジー 佐野勇斗も出演、一人ひとりの主役を応援するMVにも注目

藤田麻衣子「きみのあした」レビュー

 冒頭、ブレス音で始まる〈フレー フレー きみのあした〉というアカペラに近いサビ頭。訥々としたピアノとともに言葉を慈しむように奏でられるその歌声には、思いと裏腹の微かな心もとなさも見え隠れする。そこに「いくぞー!」とばかりにこだますファンファーレ。ギターが入り、ベースが入り、リズムが入りと曲が進むにつれて、歌声は音を味方につけてどんどん力強くなっていく。さらにストリングス、ホーンと味方は増え、ラストのサビに至る頃には、今にも大空に羽ばたくかのようなパワーを宿した歌声が、感動のフィナーレへと聴き手をいざなっていく。ダイナミクスにあふれたこの音と歌声のストーリーに耳を傾けていたら、なぜかふと、冒険旅行のさなかにカカシやブリキの木こりや臆病なライオンと出会って、優しく勇敢になっていく『オズの魔法使い』のドロシーが浮かび、気づけばスーッと心が晴れやかになっていた。

 1月20日に配信された藤田麻衣子の「きみのあした」。名古屋市文化振興事業団×愛知芸術文化協会(ANET)×藤田麻衣子による「きみのあした♪プロジェクト」から生まれた曲だ。コロナ禍で文化芸術に触れる機会を失くしてしまった人々と、大きなダメージを受けている実演家や舞台業者にエールを贈ろうというのがプロジェクトの目的。名古屋市緑区出身のシンガーソングライターである藤田が、そのテーマ曲を託された。藤田もまた、楽しみだった名古屋フィルハーモニー交響楽団とのコンサートが中止となったり、ニューアルバム『necessary』のインストアイベントができなくなったり、ツアーも通常の半分以下の配席を余儀なくされたりと、大きな影響を受けている。昨年10月、有観客&生配信で行われたツアーファイナルでは、MCの途中、不安な日々と支えてくれた人々を思って涙する場面もあった。厳しい状況のなか、藤田自身も多くの人からエールを受け取っていた。「一人でも多くの人が笑顔になりますように」と心から願ってこの曲と向き合えたのは、その切実な経験と実感があったからだろう。

 それにしても、〈フレー フレー きみのあした〉とは、なんとストレートな言葉だろう。真っ直ぐすぎてちょっと気後れしてしまう。でも、それを正面きって歌えるのが、そして、こちらも爽やかに素直に受け取れてしまうのが、藤田麻衣子マジック。歌という名のファンタジーだ。といっても、この歌は優しいだけじゃない。誰かが直面する悩み、痛み、葛藤を「ぼくは知ってる」と言ってはくれても、けっして「それを分かち合おう」とか「きみならできる」とか「頑張って」とは言ってくれない。〈それぞれに抱えて それでも どこかで 未来を信じたくて がんばってるんだ〉と世の人々の在りようを独り言のようにつぶやき、聴き手をそれぞれの戦いのリングへと送り出す歌だ。そこではきみはひとりだよ、と、あらためて教えてくれる歌でもある。

 〈きみ〉はすべてを委ねられた主役。主役ならば孤独で当たり前。だからこそ、「フレー フレー」と遠くから声を限りに応援するのだ、と。そんな「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」的厳しさも厭わない優しさが、「きみのあした」にはある。誰もが大変なコロナ禍、言われなくてもみんなが必死で頑張っている。だからウェットな寄り添い方などいらない。どこかで誰かが知ってくれている、応援してくれていると思えるだけで十分だ。そう、あえて距離をとってほっといてくれる応援が、今は必要だし、うれしいんじゃないだろうか。「フレー フレー」が、「きみ」や「ぼく」の「あした」だけではなく、「だれか」や「みんな」の「あした」にまで連鎖していく歌の構成も、個人的にとても心打たれた。

 後半、山あり谷ありの人生を象徴するような管弦のドラマチックな間奏がある。その頂点でブレイクとなり、QUEENの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」のオマージュと思しき「♪ドンドンパン」というリズムが鳴り、生命力にあふれた分厚い「フレーフレー」のコーラスが聞こえてくる。使われているのは、頑張っている一人ひとりの思いが込められるようにと広く公募(スマホ動画投稿)して集められた「みんなの歌声」だ。ままならない現状への人々の苛立ちが募り、ともするとSNSのマイナスなトピックに目が向きがちだが、実は気づかないところで誰かが誰かを応援し、誰かが誰かに応援されている。そんなプラスのエネルギー交換がこんな時代にもあることを、この名も知らぬ「みんなの歌声」が思い出させてくれる。

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