植田真梨恵がライブで示した次作への意思表示 『LIVE of LAZWARD PIANO』を振り返る
キャリア初期のハイティーンから今年30歳を迎える直近の楽曲までをフラットに見渡して、今のセットリストを組めることも植田の強みだ。昨年リリースのミニアルバム『F.A.R.』は“大人の成長”をテーマにしていたが、その収録曲「苺の実」は音像としてはファンタジック。それを繊細なタッチのピアノとダイナミックに転調する歌メロだけで立ち上げる。美しく実った果実を擬人化し、それを愛しつつも摘み取ってしまうであろう主人公の苦しさが心に迫る。続く「変革の気、蜂蜜の夕陽」は、キャリアを10年近く遡る楽曲。戦争の悲しい歴史の影で世界を変えようとする少年の視点が登場することで、植田が描き続けてきた男の子の一人称の世界観に一つの筋道を見ることになる。純粋さとエゴが不可分であることを表現する手腕が光る流れだった。
オリジナル音源ではヒップホップに近いサウンドプロダクションの最新曲「Stranger」は、アコギの乾いたカッティングとピアノリフでレアグルーヴに近い印象へ。何より珍しいAメロでの低めの声もしっかりホールの隅々に届いていたのは新たな発見だ。音源以上に速いBPMで、しかも曲が進行するにつれ加速し言葉数も多い「未完成品」は西村のピアノもハードコア。ロック狂詩曲と形容したくなるエクストリームな音の塊が鳴らし切られたとき、万雷の拍手が起こった。さらには10年以上前に作り、ライブでは一度しか披露していないというレア曲「スルー」の演奏にも感嘆の声が上がった。
個人的にこの日の白眉だったのは、音量的には小さく繊細なタームだった。独り言のようなパーソナルな歌の表現、英国的なトラディショナルなコード感とメロディの「I was Dreamin’ C U Darlin’」。「ダイニング」も静かな表現であり、俯き加減で途中からはステージに座り込んで、まるでテーブルの下で子ども同士が会話しているようなムードに。子どもの頃に感じていた未来への怖さを思い出してしまう。
終盤はユーモラスな「中華街へ行きましょう」や「犬は犬小屋に帰る」で、着席スタイルでも盛り上がりが感じられる流れに。本編ラストには幻覚を意味する「ハルシネーション」が演奏され、パラノイアックな歌とピアノのリフレインで再びテンションを上昇させてエンディング。時間軸を飛び越えるように、インディーズ1stミニアルバム『退屈なコッペリア』収録曲で本編は幕を閉じた。
最初に見た時は、このシンプルで緊張感のあるセットの迫力に気圧されたが、今回は内面に立ち上がる映像の鮮明さに驚いた。歌が植田真梨恵の音楽の核心を伝えることは十分に理解した上で、今年は様々な音楽的な実験にアプローチしたアルバムを作るという意思表明にもワクワクした。「Stranger」で予兆を見た気になっているが、全編ヒップホップ的な手法をとるわけでもないだろう。ジャンルに拘泥せず、されど時代を無視しない。過去から現在までの音源もサブスクリプション解禁になった今、キャリアを一望しながら新曲群を待ちたい。
■石角友香
フリーの音楽ライター、編集者。ぴあ関西版・音楽担当を経てフリーに。現在は「Qetic」「SPiCE」「Skream!」「PMC」などで執筆。音楽以外にカルチャー系やライフスタイル系の取材・執筆も行う。