King Gnuは、なぜブレイク果たした? 「白日」ヒットからメディア露出までを追う
今年はKing Gnuの年だったと言っても過言ではないだろう。人気の上昇具合、そして現状の知名度の高さがそれを物語っている。もちろん、今年の頭から、多くのバンド好きがKing Gnuのブレイクは予測していたと思う。が、YouTubeの楽曲が1億再生を突破したり、紅白初出場を果たすような飛躍をするとまでは、きっと誰も想像していなかったのではないだろうか。
なぜ、彼らはここまでのブレイクを果たしたのだろうか。
改めて振り返ってみると、「白日」という歌が彼らの知名度を大きく上昇させたことは間違いない。この歌は、彼らにとって初のドラマ主題歌(『イノセンス 冤罪弁護士』)であり、おそらく今まで彼らの音楽に触れてこなかった多数の人たちにも認知されたきっかけとなったのだろう。とはいえ、ドラマ主題歌に抜擢されるバンド自体は、必ずしも珍しいわけではない。今年だって何組ものバンドがドラマ主題歌を担当してきた。が、King Gnuの曲の広がり方は明らかにすば抜けていた。
端的に言ってしまえば、それは楽曲が魅力的だったから、という話になるとは思う。King Gnuの場合、「曲が良い」と思えるフックの数が多いところがポイントだ。King Gnuの楽曲は、対称的なふたつの要素を内在させるところに魅力がある。
例えば、歌謡曲的なメロディラインでありながら、サウンドはミクスチャー的であるということ。メロディ=大衆的で、サウンド=コア、という対比がそこにある。これにより、コテコテのポップス好きにも、泥臭いロック好き人にも、彼らの音楽が「刺さる」状態が生まれる。また、甘くハイトーンな歌声が魅了の井口理と、しゃがれたアウトローな歌声が魅了の常田大希といった二人のボーカルの対比も、同じ構図として語ることができる。もちろん、これは独立した別個の魅力があるというよりも、要素違いの魅力が巧みに混ざっているところがポイントではあるのだろうけども。例えるならば、カフェオレのようである。コーヒーと牛乳。どちらも特徴的で、それそのものの魅力も大きい。しかし、それが混ざりあったとき、つまりカフェオレになったときにこそ、その真価がより発揮される。
「白日」以前は、このバランスがまだ少し偏っていたように思う。カフェオレというより、コーヒー牛乳みたいなものだったとでも言えばいいだろうか。しかし、「白日」はこのバランスを絶妙なところに着地させた。だからこそ、より幅広い人の耳に残る歌になったのだろうし、末永く愛される作品になったのだろう。
「白日」以降は、より歌謡曲としての側面、要は歌モノとして精度を上げていった印象がある。そのため、いわゆるバンドは聴かないような層にも、明らかに彼らの音楽が届くようになっていた。TikTokやYouTubeなどの「歌ってみた」でKing Gnuの歌を披露する率が上がっていったのは、その現れであろう。また、TikTokのようなティーン御用達のメディアでKing Gnuの音楽がシェアされる一方、「飛行艇」や「傘」など複数楽曲がCMで使われたことで、より幅広い年齢層が対象になるテレビというメディアでも、手堅くその存在感を示していたことも重要だ。もちろん、サブスクでも存在感を強めているため、音楽好きにも当然のように彼らの音楽はすぐに耳に入る。こういう状態を作り出すことで、コアな層にもライトな層にも、若者にも年配層にも同時的にその認知を強めることになったのだろうし、MV1億再生突破という桁違いな数字を生み出す結果に繋がったのだろう。