ライブバンド・THE YELLOW MONKEYの魅力(後編)
THE YELLOW MONKEYのライブはなぜ魅力的なのか 現場スタッフが振り返る、再集結から新ドームツアーに至る激動の日々
全国3会場4公演にわたる全国ドームツアー『THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR』を、2019年12月28日にナゴヤドームからスタートさせるTHE YELLOW MONKEY。リアルサウンドではこのツアーを目前に、90年代から現在に至るまでバンドを内側から支えてきたスタッフ、全国各地でツアーをサポートしてきたイベンタースタッフの証言を交えつつ、「ライブバンドTHE YELLOW MONKEY」の魅力に迫るコラムを計2回にわたり掲載する。
90年代から2001年1月8日の東京ドーム公演までを振り返る第1回に続く今回は、2016年の“再集結”以降にスポットを当て、解散前と比較しながらTHE YELLOW MONKEYが再び最強のライブバンドへと進化していった過程に迫る。(前編:THE YELLOW MONKEYがライブバンドとして成し遂げた偉業 現場スタッフが明かす、90年代の最盛期~解散までの舞台裏)(トップ写真=2017年 東京ドーム/撮影:田辺 佳子)
2016年、奇跡の“再集結”〜16年ぶりのツアー
解散前のラストライブとなった2001年1月8日の東京ドーム公演から15年後の2016年1月8日、吉井和哉(Vo/Gt)、菊地英昭(Gt/以下、エマ)、廣瀬洋一(Ba/以下、ヒーセ)、菊地英二(Dr/以下、アニー)の4人はTHE YELLOW MONKEYとして“再集結”することをアナウンス。同年5月11日の国立代々木競技場第一体育館公演を皮切りに、全20公演におよぶアリーナツアー『THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016』を開催した。このツアーはのちに、横浜アリーナ2DAYSの追加公演『YOKOHAMA SPECIAL』や、福島県営あづま総合体育館でのスペシャル公演『ARE YOU A BELIEVER?』および熊本B.9 V1でのスペシャルライブハウス公演『KUMAMOTO SPECIAL』まで拡大し、『ROCK IN JAPAN FES』や『SUMMER SONIC』などのフェス出演を含めると約4カ月間に30本近くものライブを行ったことになる。
ツアーとしては2000年春の『SPRING TOUR』以来16年ぶり、20本以上の長期ツアーとなると1998〜1999年のロングツアー『PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99』以来17年ぶりとあって、バンドとしての勘を取り戻すためには非常に重要な期間となるはずだった。
90年代からTHE YELLOW MONKEYを見守ってきた株式会社BAJの大森常正氏、株式会社ソーゴー東京の倉茂得光氏、株式会社TYMS PROJECTの青木しん氏はこのツアーをそれぞれの視点で感慨深げに語る。
「メンバーとも吉井のソロとかで会っていたりもしたけど、そこまで頻繁には会っていたわけではなくて。でも、久しぶりに会っても何も変わってなかったですよ。初日の代々木は言うまでもなく、バンドとしてのブランクがあったし、リハーサルもしっかりやったんだけど、紗幕に隠れたまま1曲目の『プライマル。』が始まったとき、またここから始まるのか……と胸が熱くなりましたね。
正直、年齢は関係ないと思っているところが僕にもメンバーにもあって。50代過ぎのアーティストは当然、食も気にしながら最高な状況でステージに立たないといけないから、メンテも必要になる。それは当たり前のことだから……当たり前と言ったって、それを実践するのはメンバーなので、僕が口にするのは簡単ですよね(笑)。特にTHE YELLOW MONKEYはいつも葛藤しながらいろいろやり続けてきたバンドだから、プレッシャーも楽しみながら活動していくといったら変だけど、別に焦る必要もないし、ここからまたマイペースにやっていけばいいんじゃないかなと。実際、ツアーの序盤で『もう解散しません』と宣言もしましたしね(笑)」(倉茂氏)
「そもそも15年空いたので、時代的にも同期やイヤモニ、それこそLEDビジョンだとかいろいろな事情が変わっているので、根本的には2001年までとはまったく別モノだとは思いますし、僕は吉井のソロもやっていたので、それともバンドは全然違うんだなというのもありました」(青木氏)
「一番違うのは……“雰囲気がいい”と言ったら変ですけど、メンバーみんな仲良しだし、そういう楽しい雰囲気になっているのが解散前とは全然違いますよね。ハイエースで日本全国をぐるぐる回っていた頃の雰囲気のまま、今はアリーナを回っている感じとでもいいましょうか。バンドが大きくなると若干“お仕事”っぽくなってしまって、『ちゃんとしなくちゃ』と考えるようになる。特に吉井は周りに気を遣う人間なので、取材の人が来ているとかテレビ中継が入っているとなると、そちらに気を回すんですよ。そうすると、それにばかり気を取られて疲れ果ててしまう。でも、最近は良い意味で『そういう人たちなんか関係ないや』とシフトできるようになって、ライブにだけ集中できるようになったんじゃないかな。
つまり、“ロックスターを演じる”というか……いや、4人で仲良しなままドーンと出て行ったほうが“らしい”し、お客さんが喜ぶよね、みたいなことをやれるようになったんじゃないですかね。今はそういう“遊んでいる”まんま出て行けるのがTHE YELLOW MONKEYの強みなんじゃないですかね」(大森氏)
4人がそれぞれ現役のミュージシャン/アーティストとして、活動休止〜解散後も第一線で活動してきたからこそ、この15年で身に付けた“筋肉”が良い方向に作用した。結果、バンドとしのブランクを取り戻すにはそう時間はかからなかったのかもしれない。と同時に、我々の予想を上回るほどTHE YELLOW MONKEYがTHE YELLOW MONKEYらしく、かつ“2001年からの続き”を成長した姿で見せてくれた。だからこそ、観た者誰もが同窓会的なノスタルジーに浸ることなく、現在進行形のバンドの姿に魅せられたのだ。
福島県営あづま総合体育館での『THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 SPECIAL -ARE YOU A BELIEVER?-』にて一緒に仕事をした株式会社ジー・アイ・ピーの菅氏は、当時を以下のように振り返ってくれた。
「再集結後の彼らからはバンドとスタッフ全員で良いものを作ろう、一生やりきろうというポジティブな印象を受けました。東北で震災があったあとの数年、吉井さんともいろんな話をする機会が増えて、少しずつ、メンバーや今までのスタッフはもちろん、これから出会う若いスタッフも含めて『新しいTHE YELLOW MONKEYをやろう』と思われていたのではないかという印象がありました。個人的には特に、あづま総合体育館での震災チャリティを兼ねた公演で『JAM』を演奏した夜、曲頭のアニーさんのハイハットを懐かしんでいらっしゃったことをとてもよく覚えています」(菅氏)