椎名林檎、全楽曲に一貫した“らしさ”とは何なのか 歌謡曲的メロディとボーカルに効いたコンプ感を分析
歌謡曲的な椎名林檎のメロディ
作曲法の独自性についても少し触れておくと、前述した通りオルタナティブロックの音世界に歌謡曲的なメロディラインを持ち込んだことが初期の最大の衝撃ポイントだった。それまで誰もそれらがマッチすることなど想像もしていなかったという点で、スパゲティに納豆をトッピングするくらいの意外性があったのである。ご存じのように、今となってはどちらも定番すぎるほど定番の組み合わせだ。
ちなみに椎名メロディのどのあたりが歌謡曲的なのかを見ていくと、まずメジャースケールよりもマイナースケールを好む傾向が挙げられる。一般的にマイナーのほうがより叙情的で感情的な旋律になりやすいとされ、日本人の血が好むメロディはマイナーであるとの言説も珍しくない。また、メロディに起伏が多いのも非常に特徴的で、椎名の曲には同音程が連続する平板なラインはめったに出てこない。「自由へ道連れ」(2012年)などに見られる同音連続にしても、まるで「上昇あるいは下降のバリエーションとして、たまたま次の音が同じ音程になっているだけ」という印象が強い。これも、リズムやハーモニーよりもメロディを最優先する歌謡曲を彷彿とさせる1つの要因だろう。
さらに言えば、ダイアトニックスケール外の音程(譜面に書くときにシャープやフラットの臨時記号がつけられる音。雑に言えば半音)を多用する傾向もある。一般的には半音の乱用は難解さを生みやすく、作為的に聴こえてしまう危険性も大なのだが、椎名のそれは不自然なまでに自然で、ただただ耽美性や不穏さを醸し出す必然的な音として淡々と使われている。半音階を巧みに織り交ぜることで情緒を増し、歌メロとしての完成度を補強しているという点では、やはり歌謡曲との一致が感じられる。
アーティスト表現としての純度の高さ
そのほか、作詞における高度に音楽的な哲学なども含め、椎名の独自性は枚挙にいとまがない。しかし実際のところ、理屈では説明しきれないところにこそ彼女の本質的な魅力は存在するのではないだろうか。時期ごとの音楽性の変化にしても、戦略性はほとんど感じられず必然的な変化に見える。あらゆる表現が彼女自身の人間力に基づいているという意味で、それはつまりアーティスト表現としての純度が高いということだ。それがこれだけ長きにわたってメジャーというフィールドで聴衆から愛され続けている事実は、極めて幸福な異常事態であると言っていいだろう。
■ナカニシキュウ
ライター/カメラマン/ギタリスト/作曲家。2007年よりポップカルチャーのニュースサイト「ナタリー」でデザイナー兼カメラマンとして約10年間勤務したのち、フリーランスに。座右の銘は「そのうちなんとかなるだろう」。