古市コータロー 4th ALBUM『東京』特別対談
古市コータロー(THE COLLECTORS)×曽我部恵一が語り合う、東京の街から生まれる音楽
音楽を通して再確認した“東京”の姿
曽我部:『東京』もアナログ盤が出るんですよね?
古市:うん。家ではアナログ盤で聴きたいから。
曽我部:いいですね。……そうか、78年から82年のイメージだから「1979」(インベーダー・ゲームの音が入っているインタールード)という曲があるんですね。インベーダー・ゲームって、79年ですか?
古市:登場したのは78年で、ブレイクしたのが79年の夏だね。俺は78年からビシビシやってたけどね(笑)。
曽我部:僕もやってました。田舎だったんだけど、近所のお米屋さんの前にインベーダー・ゲームのアーケードがあって。8歳くらいかな。
古市:俺は14歳くらい。あの頃は超上手かったよ。その前にブロック崩しが流行ったんだけど、神だったから(笑)。ウチ、目白で喫茶店やってたから、やり放題だったんだよね。
ーーアルバムのタイトルを『東京』にしたのはどうしてですか?
古市:さっき言ったように78年から82年くらいのイメージで作っているうちに、“東京”という気分になってきたんですよ。日本の音楽にこだわったところもあるし、東京オリンピックもあって、「東京って、自分にとって何だろう?」と再認識したくなったというか。ミュージシャンだから、音楽を通してそれをやってみたくなったんだよね。作業中、そういう気分がマックスになって、『東京』以外のタイトルは考えられなくなって。
曽我部:じゃあ、アイデアは最初からあったんですね。
古市:うん。横浜でそれをやってる人はいると思うんですよ、エディ藩さんとか。「横浜ホンキ—トンク・ブルース」を、俺は東京でやらなくちゃダメだなって。
ーー実際、アルバムの制作を通して“東京”を再確認できたんですか?
古市:いちばん大きく思ったのは、「ただの故郷なんだな」ということかな。特殊なことをやる場所ではないんだよね、俺にとっては。それが生まれ故郷ってことなんだろうけど。この年齢になって、『東京』というアルバムを出せたことも非常に嬉しかったしね。
ーー曽我部さんもソロの新作に「There is no place like Tokyo today!」というタイトルを付けていて。やはり東京を意識していたんですか?
曽我部:あれはカーティス・メイフィールドのアルバム『There’s No Place Like America Today』の“文字り”なんですよ。そこまで東京にこだわりがあったわけではなくて、現代の街を象徴というか。“日本”でもよかったんだけど、まあ、日本は東京じゃないですか。
古市:そうだね、役割としては。
曽我部:そうそう。コータローさんはずっとこのあたり(池袋)なんですか?
古市:うん。豊島区だね。
曽我部:他の街に住みたいと思ったことは?
古市:ないね。
曽我部:地元がいいんだ?
古市:そう。東京っ子はみんなそうだと思うけど、地元でぜんぶ済んじゃうんだよね。買い物するにしても、渋谷とか行かないもん。せいぜい新宿、ほとんどは池袋だから。
曽我部:やっぱり馴染みにあるんでしょうね。俺は下北沢が長いけど、たまに高円寺とか阿佐ヶ谷に行くと、「このあたりもいいな」と思うんですよ。
古市:それもわかるけど、住みたくはないね。ほかの場所で飲んでも、池袋で飲み直したいから(笑)。
曽我部:活動的なんだ?
古市:ずっと外にいるね。家では寝てるか、レコード聴いてるか。1日まったり過ごすってことないんだよ、俺は。武道館(2017年3月1日に開催された日本武道館公演)の前の日はオフで、「1日、家にいよう」と思ってたんだけど、午後1時くらいに「無理だ」と思って、ひとりでスタジオ行っちゃったから。
曽我部:スタジオ以外だと、何をやってるんですか?
古市:飲んでるよ(笑)。何もないときは16時くらいから飲んでる。それもさ、ミュージシャンの特権じゃない?
ーー曽我部さんは飲まないんですよね。
曽我部:そうですね。
古市:え、やめたの?
曽我部:もう7年くらい飲んでないですね。つまらないですよ、人生が(笑)。飲むと仕事ができないから、それはいいんだけど。
古市:すげえな。俺、酒やめたら、何やっていいかわかんないよ。
曽我部:”セックス・ドラッグ・ロックンロール”だから、あとはセックスとロックンロールだけですね、俺は(笑)。