『ここにある光』インタビュー
番匠谷紗衣が語る、歌うことで見出した“光”「話すよりも曲のほうが気持ちを表現できる」
ドラマ木曜ミステリー『科捜研の女』(テレビ朝日系)の終わりに、さまざまな物語と涙を洗い流すかのように流れてくる話題の主題歌「ここのある光」。この曲でメジャーデビューするのが、19歳のシンガーソングライター・番匠谷紗衣だ。この曲は、大阪出身の彼女が上京してすぐに作った曲で、シングルのカップリングには尾崎豊の「Forget-me-not」のカバーなどを収録。彼女の歌では、街と孤独の対比が実に切なく、しかしどこか温かみを持って表現されている。番匠谷紗衣が弾き語りを始めた理由、収録曲に込めた気持ちなど話を聞いた。(榑林史章)
初めて信じたい人ができた
ーーテレビ朝日系ドラマ 木曜ミステリー『科捜研の女』主題歌「ここにある光」は、都会で働くすべての人への癒しのような曲だと思いました。この曲は、どんなことをイメージして作ったんでしょうか。
番匠谷:この曲、去年の11月ごろに上京してすぐにできました。そのころは、どこか急ぎすぎてしまったり、気持ちが削れていくような感覚があって。自分は、絶対そんな風に揺らがないと思って東京にきたんですけど、こんなにも簡単に揺らぐんやなと思って。側にいてくれる人や自分が大切にしようと思っていたものを、簡単に見失いかけてしまいそうになったその気持ちを残しておこうと思って作りました。ドラマ『科捜研の女』は家族でいつも観ていて、私は木山裕策さんが歌っていた「I believe」が好きだったんですけど、私の曲をドラマ主題歌に起用していただいたのは、自分でもびっくりするほどうれしかったです。
ーードラマの主題歌で曲が流れてからは、どんな反響はありましたか?
番匠谷:私が知らないところで、私の曲を知ってくださるということが、すごくうれしいです。それにおじいちゃんとおばあちゃんが、毎週放送を楽しみにしてくれていて。この間、久しぶりにおばあちゃんの家にいったら、リモコンを虫めがねで見ながら、頑張って録画しようとしてくれていて。その姿が可愛くてうれしくなりました。
ーーリモコンのボタンの下に書いてある文字が小さいですからね。
番匠谷:そうそう。それに私のツイートを見るために、スマホも使い始めてくれて、スマホも虫めがねで見ていました。
ーーこんど、文字の表示サイズを大きくするやり方を教えてあげてください(笑)。自分では、テレビで歌が流れた瞬間は何をしていましたか?
番匠谷:インストアライブで行った福岡のホテルで、ひとりで観ていたんです。実際に流れるまでは本当に実感がなくて、「ほんまに流れるんかな?」「今、沢口靖子さんが喋ってますけど?」って思いながら観ていて、流れた瞬間はすごく感動して、音量を最大にして聴きました(笑)。Twitterを観たら、みなさん「感動した」とか「やっとメジャーデビューだね」とか、「ほんまにこんな日がくるなんて」とか、以前から応援してくださっている方たちがつぶやいてくれていて。自分にとって、大事な経験になりましたね。
ーー曲は1年くらい前に作ったとのことでしたけど、アコギを弾きながら作ったんでしょうか?
番匠谷:基本的な曲の作り方は、歌詞とメロディを普段から書き溜めておいて、頭の中で歌詞とメロディが自然と組み合わさって曲になって、最後にアコギでコードをつけるというやり方です。それか、簡単なコードしか弾けないですけど、ピアノを弾きながら作ることもあります。
「ここにある光」は、高橋久美子さんとトオミヨウさんとの共作で、いつもとは違った作り方でした。昨年の12月に、まず私が最初に話したような上京したときに感じたことや、そのときに浮かんだ曲イメージを、トオミヨウさんにお伝えして、コード進行とピアノの伴奏を作っていただきました。そうやってできたピアノの伴奏に、私が歌詞とメロディを考えて付けました。それで今回ドラマの主題歌に起用していただけることが決まってから、高橋さんがドラマの内容とリンクさせながらより伝わりやすい言葉や言い回しの歌詞にブラッシュアップしてくださったんです。
ーー〈裸足の足元で星のようにきらめく〉というフレーズがありますが、夜に地元の街の上空を飛行機で飛んでいて、小さい窓から地元の街の灯りを眺めているのかなと、勝手に想像しました。裸足なのは、機内で靴を脱いでリラックスしているのか、と。番匠谷さんとしては、実際はどんなイメージを思い描いたのですか?
番匠谷:ここは、大切なものは足元にこそあるということを表現しました。裸足は、私のキャラクターグッズを描いてくださっている方から、私の「飾っていないところがいい」と言っていただいたことがあって、その“飾らない”ということを表しているんですけど……。でもおっしゃっていただいたようなイメージは、まったく想像していなかったし、初めて聞いた感想なので「そういう受け取り方もあるんだ!」と思って、ちょっと感動しました(笑)。
ーーそう改めて言っていただくと、恥ずかしいですね(笑)。
番匠谷:(笑)。でも、ストーリーや情景が浮かぶような言葉は、すごく意識しているんです。たとえば〈冷蔵庫の音だけ〉というフレーズからは、部屋が静まり返っている様子を浮かべてくれたらうれしいですし。1番の歌詞では、寂しさや孤独に気づけないくらい頑張っていて、2番では、そこから少し落ち着きを取り戻して、静かな部屋で孤独や寂しさとちゃんと向き合っている、という流れがあって。短い文章の中で、より伝わるのはどういう言葉なのかを考えて作っています。
ーー2番の歌詞で〈自分を信じれる自分になるから〉とも出てきます。この曲は、番匠谷さんにとっての決意表明のような部分もあるかもしれませんね。
番匠谷:確かにそうですね。以前は自分のことを、そんなに信じていなかったんですけど、そのときはそれでいいと思っていました。でも自分のことを信じられない人は、周りの人のことも心から信じることができないんじゃないかと思うようになって。私を支えて、一緒にやってくれているスタッフさんと出会って、初めて信じたい人ができたことで、そんな風に思えるようになりました。
ーー最後にフェイクで歌い上げているところには、感情が溢れ出しているような雰囲気が出ています。
番匠谷:「ここにある光」のレコーディングでは、引き算を意識して歌ったんです。いつもは、ライブでも感情のままに歌ってしまいがちなんですね。だけどこの曲は、聴いてくださる方により聴きやすいと思ってもらうためにも、感情にまかせて歌ってはダメだと思って、できるだけ力を抜いて、空間ができるイメージで歌いました。でも最後に、高ぶった気持ちが抑えきれなくなってしまって、それでああいうフェイクが飛び出したんです。
音楽に救われて生きてきた
ーーブログで、「歌っているときは、心はむき出しだ」と書いていましたが、本来は自分自身を表現することが苦手なんですか?
番匠谷:曲を書いたり歌ったり、自分自身と向き合っているときだけは、本当の自分がやっと思い出せるという感覚があります。……特に中学生くらいのときは、家庭環境で悩んでいて、そのことを人に知られたくなくて、自分を隠したい気持ちが強くあった。でも本来の私は目立ちたがりで、人前で歌うこともすごく好きやったんです。そういうもともとある自分と、隠したいと思う自分とのギャップがどんどん大きくなっていって。大きくなりすぎて自分ではどうしていいかわからなくなったときに、そのギャップを埋めるために、いっぱい音楽を聴いて、自分で曲を作ったり歌ったりするようになって。当時は音楽に救われて、生きていたという感じでした。それである日、路上ライブをやってみよう、と。
ーー中学2年生のときに路上ライブを始めたとのことですが、そういう状況で、路上をやろうというのは勇気がいりましたね。
番匠谷:めちゃめちゃ勇気がいりました。自分でやると決めたくせに、玄関で「やっぱり行きたくない」って駄々をこねて、泣きながら「絶対行かへん」って(笑)。誰も待ってないし、自分で勝手に行くと決めていただけなのに、そのくせ直前で怖気づいてしまって。さんざん自分の中で葛藤して、それでやっと意を決して玄関を出ました。でも最寄り駅は誰かに見られたら嫌だから、電車でわざわざひと駅隣まで行って、なるべく人気のないところを探して歌いました。路地裏だったんですけど、親子連れの方が温かい飲み物を差し入れしてくださったり、おばあちゃんはバラの花を一本くれたり。
ーー温かい環境だったんですね。
番匠谷:そうなんです。それがすごく救いになったし。ひとりでずっと聴いてくれていて、最後に拍手をしてくれた方もいました。そういうことが、今も心に残っていて忘れられないです。誰も待っていないし誰にも期待されていない、自分が勝手に歌っているだけやけど、ほんまに伝えたいと思ったら、ちゃんと届いてくれるひとがいるんやなって。そのときに感じた気持ちは、今も大切にしています。
ーーそのときは、もうオリジナル曲を作って歌っていた?
番匠谷:そのときはカバーでした。曲を作ったのは中学3年生のときで、友だちがすごく悩んでいて、言葉で励ましてあげることができなかったことがもどかしかったというか、どうしたらいいのかと悩んでいました。そんなときに、ふと寝る前に歌詞とメロディが降ってきて、それをちゃんと1曲として完成させたのが最初にできた曲です。結局友だちには、恥ずかしくて聴かせてあげることはできなかったんですけどね。でもその後に歌っている動画をあげたら見てくれて、「助けられたよ」というようなことを言ってくれて。自分の場合は言葉にして話すよりも、曲のほうが気持ちを表現できるんやと気づけた瞬間でした。
ーーデビューしたいとか音楽を仕事にしたいと思ったのは?
番匠谷:SNSを通じて「元気をもらった」とか「応援してる」という声をいただいて、それがうれしくて。自分にできることは何もないし、自分に価値なんてないと思っていたけど、もっと何かできることがあるかもしれへんと思うようになりました。それでシンガーソングライターとしてもっとステップアップするために、ワンマンライブを企画したんです。キャパ500人くらいの大阪・umeda TRAD(旧umeda AKASO)をいっぱいにすると決めて、そのために曲をいっぱい作って……自分にとっては挑戦でした。そして、そのワンマンをやり遂げたときに、もっと大きなステージで歌っている姿がイメージできたんです。そのイメージを叶えたいと思ったときに、プロになって頑張ろうと思いました。それが16歳のときでした。ワンマンに向かっていろいろやっている間は大変だったけど、すごく楽しくて。何かをやり遂げたこともなかったから、自分でワンマンを企画して成功できた体験も、自分にとっては大きかったと思います。
ーー当時はどういう曲を聴いたりカバーしたりしていたんですか?
番匠谷:それこそシングルの2曲目に入っている尾崎豊さんとか、槇原敬之さんとか。その中でもいちばん聴いたのが尾崎豊さん。男女関係なく邦楽も洋楽も、本当にいろいろ聴いていました。とにかく歌うことが好きなので、歌ってみて楽しいと素直に思える曲をカバーしていて、路上でレディー・ガガさんを弾き語りしたこともあるんです。それこそ尾崎さんの曲は、聴いてよし歌ってよしという感じで。聴くだけよりも、歌ってこそより曲の良さが分かる曲ばかりです。