岸田繁、「交響曲第二番」に表れた“音楽に対する問い” くるり『ソングライン』との関係性から読む
くるりの最新作『ソングライン』はくるりらしく、様々なジャンルの要素が溶け込んだハイブリッドなサウンドが、歌もののロックとして自然に聴こえてくる作品だった。そして、音楽の作り方が、前作『THE PIER』と少し違う。くるりらしさはそのまま聴こえてくるので、今まで通り楽しめるが、実はその音楽の中の曲の作り方や、音の組み合わせ方がこれまでとはかなり違うものになっている、とでも言えばいいか。
そのことを知るにはここ数年に岸田繁が作曲家として関わったクラシック音楽のフィールドでの活動を追うと見えてくるものがあると僕は思っている。
近年、岸田繁はクラシック音楽に取り組み、2016年に「交響曲第一番」を発表した。とはいえ、くるりといえば、ウィーン・アンバサーデ・オーケストラと共演し、クラシックの都ウィーンで録音した『ワルツを踊れ Tanz Waizer』だったり、『Philharmonic or die』のように過去にもクラシックに接近した時期はあることはよく知られている。そもそも岸田本人もインタビュー等で、クラシックのことは度々語っていた。
ただ、「交響曲第一番」はそういった過去のくるりの作品とは別物だ。これまでの作品をロックバンドがクラシックに接近したり、その要素を取り入れたりしたものだとすれば、「交響曲第一番」は新曲としてクラシック音楽そのものを書き下ろしたもの。つまり、ロックバンドのソングライターという立ち位置ではなく、新人のクラシック作曲家として曲を書くようなものだ。
「岸田繁 交響曲第一番」は、岸田繁が2014年冬に京都市交響楽団からの依頼を受け、およそ1年半をかけて完成させたもので、2016年12月4日に、ロームシアター京都コンサートホールで初演されている。
その詳細は僕が担当した公式サイトのインタビューに詳しいが、ここで岸田はいちリスナーとして慣れ親しんだクラシック音楽について、その作曲法などを改めて学び直し、そこにこれまで自身が音楽家として得てきた様々な知識と経験を照らし合わせながら、現代音楽でも前衛音楽でもなく、クラシック音楽として「交響曲第一番」を書き上げたことを語っている。
岸田が書いた「交響曲第一番」のようなオーケストラは、何十人もの奏者たちの全てがフロントで、全てがバックであり、メロディのようなものを奏でる役割は次々に入れ替わるし、複数の楽器が組み合わさることでそれが表現されることもあれば、メロディのようなものが同時並行で複数流れていたりもする。それら全ての楽器は等価で、それらがパズルのように組み合わさりながら、的確に噛み合うことでひとつの楽曲が構成されている。それぞれの楽器がそれぞれの音を鳴らし、それらが並行しながら重なり合ったり、もしくはどこかの一点で的確に交差することで、その時々に響きあい、豊かな色彩や手触りが表現されていく。様々な素材による直線や曲線、平面を複雑に組み上げて個性的なひとつの箱を作っていく建築のような作業とも言えるかもしれない。
こういった作業に没頭し、それを形にした時間が確実に岸田繁に影響を与えている。『ソングライン』はあくまでも歌を中心に置いたロックバンドのサウンドだが、そこには「交響曲第一番」で培ったものが息づいている。
岸田は『ソングライン』に関するインタビューで「対位法」という言葉を何度も使っている。クラシック音楽の中でもとりわけバロック期に用いられていた作曲法で、バッハの代名詞でもあるこの手法からインスパイアされたものが『ソングライン』では何度も現れる。ひとつの主旋律に対して、そこに従属するように様々な音が加えられていくのではなく、平等な役割を持ったいくつもの旋律が並行して流れ、重なり合いながら、響きあうこの作曲法の影響は、例えば、「landslide」「ソングライン」がわかりやすいだろう。こういった曲の様々な旋律が絡み合うアレンジは一度聴いただけでは全く掴めない。イヤフォンで歩きながら聴いていると、ふっと気付かなかった旋律が聴こえてきて、それが別の旋律と並走していることに気付くと、曲の別の側面が見えてきて、聴こえ方が変わってしまったりもする。そして、そういった手法をクラシック音楽ではなく、ホーンやオルガンやギターを使いながら、ロックの文脈で聴かせていること、さらに歌をメインに据えたバンドサウンドの中に落とし込んでいることが面白さだろう。そういう意味でも、これまでのくるりの作品におけるクラシックとの関係性とは全く別次元の作品なのだ。
そうやって、『ソングライン』には「交響曲第一番」を作り上げた先にあるものがいくつも鳴っているわけだが、その後、岸田繁は「交響曲第二番」を書き上げた。クラシック音楽を書くという基本的なところは「交響曲第一番」と変わらないし、方向性も近いが、少し雰囲気が違うのと、よりどこか肩の力が抜けて、岸田らしい遊び心が増えたような気がする。
「交響曲第二番」では、バロック音楽や教会音楽的なものがかなり聴こえてきたように思った。そう言った部分において意識的か無意識的かは別にして、「交響曲第一番」では見られなかった岸田繁個人の趣味性がより出ているような気がしたのだ。バロック音楽っぽい箇所からバロック音楽の様式や形式だけでなく、「バロック音楽っぽさ」を遊んでいるような余裕があるとでも言えるかもしれない。例えば、そこで僕は「中世のヨーロッパ的な世界観に合わせてバロック音楽のパロディーのような音をつけた」とドラゴンクエストに関して語っていた作曲家すぎやまこういちのことを思いだす。岸田繁はすぎやまこういちのファンであることを度々公言している。「交響曲第二番」には、そういった「クラシック音楽から直接的に得ていないもの」が入っているような気がするのだ。