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沢田研二と書いてロックンロールと読むーー80年代から現在に至るまでの活動を辿る

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 この1カ月、沢田研二の名前が、マスコミに何度も大きく取り沙汰された。言うまでもなく、10月17日、さいたまスーパーアリーナにおける「ドタキャン事件」によってである。

沢田研二 『OLD GUYS ROCK』

 この件の是非については、ここでは問わない。特に遠方から来られたお客さんにとっては迷惑なことだったろう。しかし、一部報道にあったように、イベンターとの関係など、沢田研二の側にも、それなりの言い分があろう。

 むしろ、私が気になったのは、マスコミがこの事件を取り上げるときの、沢田研二の紹介のされ方である。そのほとんどが「沢田研二という人は、その昔、すごい人だったんだよ」という文脈になっていたのだ。そして、「勝手にしやがれ」(1977年)や「TOKIO」(1980年)の音源や映像を流す。

 そういう報道が繰り返されるたびに、私はこう感じたのだ――「世間の、沢田研二に対する認識って、70年代で止まっているんじゃないか」(ちなみに「TOKIO」の発売は1980年の元日)

 というわけで、ここでは、沢田研二ファンの音楽評論家として、世間の「沢田研二観」に追記したいことを列挙しておく。

 繰り返すが、「ドタキャン事件」ではなく、その「事件」を起こした沢田研二について書く。キャラクターやゴシップではなく、音楽家・沢田研二の凄味について書く。

 まずは、「1980年代の沢田研二」を見つめてほしいと思う。私は、80年代、それも前半の沢田研二をもっとも愛する者である。この時代の沢田研二の音楽を一言で言えば、「大抜擢した若手音楽家とのヒリヒリするコラボレーション」。

 佐野元春、大沢誉志幸、伊藤銀次――80年代に一気に名を成したこれらの音楽家たちは、沢田研二のプロジェクトから世に出ている。これに、編曲家としての後藤次利や白井良明、作詞家・糸井重里らを加えても良い。

 とりわけ佐野元春だ。沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』(1980年)のプロジェクトに呼ばれなければ、佐野元春のブレイクは、少なくとも数年は遅れていたと思う。スタジオの中で自作の歌を狂ったように歌う佐野元春に感化されて、80年代の沢田研二が始まる。

 80年代のアルバムで1枚挙げるとすれば、EXOTICSのタイトな演奏をバックに、沢田研二がのびのびとしたボーカルを聴かせるロンドン録音『S/T/R/I/P/P/E/R』(1981年)。このアルバムに収録されたバージョンの「渚のラブレター」は、ボーカリスト沢田研二の最高傑作の一つだと思う。

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