SUPERCAR 20th Anniversary Best『PERMAFROST』
チャットモンチーからゆるふわギャングまで スーパーカーが後続に与えた影響を振り返る
スーパーカーのデビュー20周年を記念したオールタイムベスト『PERMAFROST』が4月25日に発売された。解散から10年以上が経過してもなお、愛され続け、語り継がれるバンドの魅力について、本稿では後続バンドに与えた影響から、改めて再考してみたい。
まずはバンドの足跡を駆け足で振り返ろう。彼らのデビューは1997年。メンバーは当時まだ10代で、地元の青森在住だったが、ソニーミュージックへ送ったデモがすぐに関係者の目に留まり、育成期間を経て、シングル『cream soda』が発売された。
1998年発表の1stアルバム『スリーアウトチェンジ』は、The Jesus and Mary Chain、Teenage Fanclub、Oasis、あるいはWeezerやDinosaur Jr.といった、主に90年代の英米のロックバンドからの影響が感じられるもので、完成度としてはまだまだ若さの感じられるものであった。
しかし、中村弘二(以下、ナカコー)の素晴らしいソングライティング、フルカワミキとのツインボーカル、そして、今ではプロデューサーとしてのポジションも確立しているいしわたり淳治による、思春期性をこれまでにない文体で落とし込んだ歌詞によって、デビューアルバムでしかありえない特別な輝きを持った作品となった。
翌年に発表された2ndアルバム『JUMP UP』も、基本的には1stの路線の延長線上にあったものの、シングルの『Sunday People』ではブレイクビーツを用いるなど、徐々に田沢公大の特徴的なドラミングを生かし、打ち込みも駆使して、ダンスミュージック路線へとシフト。文字通り、この先のジャンプアップに向けた基盤となる作品となった。
そして、2000年には現在に至るスーパーカーの「バンドとダンスミュージックの融合」というイメージを決定づけた3rdアルバム『Futurama』を発表。アンダーワールドや石野卓球が出演した『RAINBOW 2000』(1996年開催)に象徴される、テクノやトランスのブームがあり、それをいち早くバンドで表現していたROVOがデビュー時のレーベルメイトだったこと。また、海外では「ビッグビート」、日本では「デジロック」と言われる盛り上がりを受け、BOOM BOOM SATELLITESのようなバンドが出てきていたこと。スーパーカーはこれらの流れを『FAIRWAY』~『WHITE SURF style 5.』という2枚のシングルで、あくまで歌もののポップミュージックとして消化し、アルバムへとつなげてみせた。
その後はよりバンド色が後退し、打ち込みの割合が増え、いしわたりの歌詞も抽象度を高めていく中、エポックとなるシングル『Strobolights』を発表。さらには、ROVOの益子樹、砂原良徳との邂逅を経て、その独自の音世界を4枚目のアルバム『HIGHVISION』へと結実させた。個人的には、ここがスーパーカーの到達点だと思う。
その後は改めて方向性を模索しながら、よりミニマルで、ポストパンク的な色合いもある『ANSWER』を2004年に発表し、2005年に新木場スタジオコーストで行われた『LAST LIVE』で、バンドの歴史に終止符を打っている。