山下達郎、大野雄二らも愛した名ギタリスト・松木恒秀の功績を振り返る

 日本のジャズ、フュージョン、ポップス界を横断して活躍した名ギタリスト、松木恒秀が2017年6月18日にこの世を去った。いわゆる派手なスター・プレイヤーではなく、ここぞとばかりに腕前を見せつけるような演奏をするタイプではなかったが、その卓越したフィンガー・テクニックは多くのシンガーやミュージシャン、そしてリスナーを虜にしてきた。矢島賢、鳴海寛、松原正樹といった同時代を生きたギタリストの後を追うように鬼籍に入ってしまったが、彼の弾くメロウなフレーズはいつ聴いても新鮮なままだ。

 松木恒秀は、1948年生まれ。小学生の頃からピアノを習うが、友人の影響でジャズやポップスを聴くようになり、ギターを始める。厳格な家庭で育ったが高校には進学せず、16歳からアマチュア・ギタリストとして活動を始めたそうだ。ザ・エム、ジュニア・ボーイズ(後のグリーン・グラス)、稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディアなど数多くのグループやセッションに参加。自身でも松木恒秀バンドを結成してライブ活動を行い、六本木ピットインを根城にテクニカルなギターの腕を磨いていった。この当時の彼のバンドには坂本龍一が在籍していたことでも知られている。

 ソウルフルなプレイで評価を高めた松木は、主にジャズのシーンで重宝されるが、その中でもっとも重要なのが、ピアニストの鈴木宏昌率いるコルゲン・バンドへの参加だ。歌伴や映画音楽が多かったコルゲン・バンドはその後、クロスオーバーの時代の波に乗って音楽性も変化。ハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』やウェザー・リポート、スタッフなどの影響もあり、凄腕のミュージシャン集団、ザ・プレイヤーズとして再スタートする。ザ・プレイヤーズは、1979年にアルバム『Galaxy』を発表し、その後もフュージョン期の名盤に値する傑作を連発。渡嘉敷祐一、岡沢章、山口真文といった名プレイヤーと共に一時代を築き、松木は和製エリック・ゲイルの異名を持つほどソウルフルでブルージーなプレイを確立させた。また、タモリのバラエティ番組『今夜は最高!』に出演して知名度がアップしたことも大きい。

 鈴木宏昌と同様に、松木にとってフュージョン期に重要な存在だったのが大野雄二だ。大野はジャズピアニストやフュージョン系のキーボーディストとしてよりも、映画音楽作家としての方が知られている。その初期の代表作である『犬神家の一族』(1976年)や『人間の証明』(1977年)などに松木は参加し、テレビシリーズ『ルパン三世』でついにお茶の間にも彼のカッティング・ギターが鳴り響くことになった。大野雄二率いるYou & Explosion Bandは、いわゆるセッション・ユニットではあったが、松木はレギュラーメンバーとして参加。その後も『大追跡』、『キャプテン・フューチャー』、『大激闘マッドポリス'80』などのテレビサントラでエッジの効いたギタープレイを披露した。町田義人の映画主題歌「戦士の休息」(1978年)や松田優作のアルバム『Uターン』(1978年)といった異色作への参加も大野雄二絡みの仕事である。

 松木のプレイは、いわゆるフュージョンだけではなく、ポップ・シーンでも活躍することになる。なかでも特筆すべきなのが、山下達郎との邂逅だ。1977年のアルバム『SPACY』で初参加し、翌1978年の2枚組ライブ・アルバム『IT'S A POPPIN' TIME』では全面的にバックアップして数々の名フレーズ、名ソロをものにした。山下達郎自身が名プレイヤーであるが、彼がもっとも大きく直接的に影響を受けたギタリストといってもいいだろう。松木と達郎のコンビはその後も続き、いわゆるメイン・ギタリストではなかったとはいえ、2005年の『SONORITE』までは単発的にではあるが継続した。有名なところでは「あまく危険な香り」におけるメロウなフレージングが挙げられるが、「MONDAY BLUE」、「STORM」、「BLUE MIDNIGHT」といったソウル色の強い渋めの楽曲にフィーチャーされることが多かったのが特徴だ。

 山下達郎以外の日本のポップスに関しては、大貫妙子の『SUNSHOWER』(1977年)や『MIGNONNE』(1978年)、庄野真代の『るなぱあく』(1976年)、高橋ユキヒロ(幸宏)の『Saravah!』(1978年)、りりィの『マジェンタ』(1979年)、佐藤博の『awakening』(1982年)などを筆頭に多数のセッション参加作品がある。とりわけ、吉田美奈子の『FLAPPER』(1976年)や『LIGHT'N UP』(1982年)といったRCAからアルファにかけての諸作品でのプレイは見事で、山下達郎作品と並んで評価が高い。また、お茶の間にも流れるようなヒット曲でいえば、大橋純子の「ペイパー・ムーン」(1976年)、竹内まりや「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~」(1979年)、アン・ルイスの「恋のブギ・ウギ・トレイン」(1979年)などがよく知られたところだろう。

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