石井恵梨子の「ライブを見る、読む、考える」 第11回:Have a Nice Day!
Have a Nice Day!とは一体何なのか? 石井恵梨子が“切実で異様なライブ”について浅見北斗に訊く
――今のハバナイのライブでは、どんなハードコア・バンドよりも激しいモッシュが起きています。これは最初から目指していた形なんですか。
浅見:僕、バンドをやる前に〈Less Than TV〉のイベントを見に行って、そこで暴れている人たちを見て「こういうことを自分でもやりたい」と思ったんですよ。あと『Raw Life』を見に行った時も「凄いな!」と思ったし。
――アンダーグラウンドで、ジャンルレスで、ぐっちゃぐちゃのモッシュピットがあるようなイメージですね。
浅見:そうです。ただ、ライブを始めた2010年頃は「もうライブハウスでモッシュは起きないだろう」っていうのが定説になってたんですよ。閑散としてて、『Raw Life』の頃の勢いはもうない。あと2011年の3・11もあって、停滞してる印象でしたね。だからイベントを自分でやっても盛り上がるのは転換のDJの時。「DJがかけるアイドルの曲とかみんな知ってるから、その時が一番一体感がある」って友達に言われて(笑)。それはあまりにも虚しいじゃないかよ、と。
――確かに(笑)。
浅見:ハバナイの曲がシンガロングできるのは、やっぱりそういう経験があったからですね。最初はもっと速い曲が多くて、それこそ大好きだったデラシネみたいにドワーッとやって一瞬で終わるみたいな。でも曲が強ければシンガロングも起こるし、ちゃんと盛り上がる。それがわかってから曲も長くなってきましたね。瞬間の波じゃなくて、もっと長いピークを起こそうとした結果ディスコっぽい曲が増えてきた感じです。そこは無理に合わせていったわけじゃなくて、僕、もともとポップな音楽が好きなんですよ。それこそ普段はビルボードのトップ40みたいな音楽ばっか聴いてますし。
――ポップもアンダーグラウンドも隔たりなく聴ける。リスナーとして健全ですよね。ハバナイの客層も、いわゆるロック好きが集まるライブハウス・カルチャーとは違うように見受けられます。
浅見:そうですね。たぶんアイドル好きな人たちが半分くらいいて、残り半分くらいが、いわゆるバンドだけじゃなく音楽全般が好きな人。テクノだったりヒップホップも好きだけどバンドも好き、っていう人たちがいて。まぁ総合的にライブハウスのお客さんとは違うでしょうね。
――多くのロック・ファンみたいにバンドを神格化していない。
浅見:ウチの客って面倒くさいことばっか言ってくるんですよ。どいつもこいつも鬱陶しい(笑)。
――お互いに尊重しあってない(笑)。歌詞にも出てくるけど、フロアで踊っている人たちを浅見さんは〈ゾンビ〉と表現しますよね。
浅見:うん。感覚的な言葉だけど……生ける屍のような。パーティーピーポーっていう言葉は相応しくないと思いますね。「そんな楽しいもんかな?」と思う。そんなポジティブなものじゃないです。あと屍のように生きていることを受け入れつつ、それをギャグにしたい感覚もあって。自分ではユーモアのつもりもあるんですよ。パーティーピーポーって言っちゃうと楽しんでることが前提になっちゃうけど、そうじゃない。屍のように遊んでる人たち。もちろんお客さんがみんな社会的に虐げられてるとは思わないけど、ホワイトカラーから見たら蔑まれてる人たち……みたいな。根底的にそういう感覚があるのかな。〈ゾンビ〉っていう言葉は、たぶんそういうことだと思う。
――〈ディストピア〉という言葉も同じくらい頻繁に出てきます。
浅見:はい。これは、今のこの世界のことですね。やっぱり3・11以降、よりディストピアな感覚が広がってると思う。でも極端なことを言うと、もっと状況が良くてみんなハッピーだったらハバナイみたいな音楽って必要とされなかっただろうし。めちゃくちゃロマンティックなもの、キラキラと明るいものって、普通だったら胡散臭く見えますよね(笑)。でも荒廃したディストピアだからこそ胡散臭いものが美しく見える。それは面白いなと。
――〈ディストピア・ロマンス〉ってまさにハバナイですよね。ロマンスだけなら歯が浮いちゃって聴いていられないと思う。
浅見:ほんとですよ(笑)。けっこう今、音楽に対してみんな夢を持ってない、希望がない時代だと思うんです。だからこそ俺はやりやすいかな。もっといい時代だったらハバナイも2年くらいで辞めてたと思う。ここまで続けてこられたのは、音楽が恵まれてない時代だからでしょうね。
――どんな音楽もお金にならないし、特にロックなんて主流から遠のくばかりですよね。それをわかっている浅見さんがハバナイであえて〈ロックンロール!〉という言葉を使う理由は何でしょうか。浅見:……たぶん、ヒップホップやダンスミュージックにもユニティや一体感はありますけど、やっぱりカタルシスを共有できる音楽っていうのはロックンロールだなと思う。The Killersのボーカルの人が「ヒップホップやダンスミュージックにロックは完全に負けてるけど、でも、その場の一体感を生み得るのは自分たちの『Mr.Brightside』だったりオアシスの曲だ」っていうことを言ってて。そうだよな、と思うんですね。たぶん、ロックンロールってある種ルーザーな、負け犬の音楽みたいなところがあると思うんです。根底にものすごく哀しみがあって。それはヒップホップやテクノが持ってないものかなって思う。
――パーティーピーポーじゃなくて〈ゾンビ〉のほうがしっくりくる感覚と同じですよね。
浅見:そうです。まさに。完全にルーザーズ・ソング。ハッピーエンドになれないというか。ハバナイはやっぱりダンスミュージックになれないし、ヒップホップにもなれないし、根底的にはロックンロールなのかな。ロックンロールっていう、現状ものすごく負けてる音楽だからこそ(笑)、自分たちだなって気がします。バンドであることもそうですね。究極的に言えば僕一人でPC一台でもライブできますけど、そうなると今みたいなカタルシスは生まれない。やっぱりロックバンドとしての形が必要だろうなって思います。
――浅見さんって、無邪気にバンドやってる人に比べても、ロックに対する諦念がすごくあるんだと思います。同時に憧れも。
浅見:ははは。そうですね。めちゃめちゃ諦念があって、憧れもある。
――諦念ゆえのナニクソ・パワーもありますよね。「フォーエバーヤング」で全員が〈ロッケンロッケンロケンロー!〉って叫んでる光景も、意味わかんないけど凄まじいエネルギーがあって。
浅見:ははは。死ぬほどダサいですよね! 自分で作ってて思う。歌詞もそうだし、メロディとかアレンジも正直ダサいなと思うんです。でも、フロアにおいて冷静にさせることはいけないと思ってるんですね。ダンスミュージック的な、だんだん高揚していくような起伏じゃなくて、ハバナイの音やライブってどこを取ってもバキバキなエモーションなんです。一歩引いて見たらめちゃめちゃダサいんだけど、そうじゃないとフロアでバキバキのカタルシスは生まれない。自分でもそういう過剰さを求めてますね。じゃないとテンションが上がらないし自分の中にエナジーが生まれない。聴きやすいけど物足りないものじゃなくて、過剰なんだけど常にフィジカルに作用するものを求めてますね。
――嬉しくないと思うけど、それって言葉にすると、ロック・スピリットってことになるのではないかと。
浅見:ははは。すげぇ嬉しくない! ロック・スピリットってダサいですね!