橘高文彦が語る、32年の音楽人生で得た知恵と覚悟「HR/HMを貫いてきたことに誇りを感じる」
「止まった時をもう一度進めて、熱量はこのまま1995年に向かう」
──Euphoriaの話題に戻りますが、21年ぶりのライブ映像を観て改めて「1回こっきりじゃ勿体ないな」と思いました。
橘高:俺もそう思ったからステージで言っちゃったんだけど、実はこのときにキングレコードのNEXUSレーベル(以下NEXUS)のスタッフが来ていて(笑)。NEXUSとはPerpetual Dreamerのプロデュースで一緒に仕事させてもらってたし、当日はオープニングアクトとして出演してもらって、Blu-rayにも彼等の映像を入れたかったので、それもあってできれば今回のBlu-rayをNEXUSのほうでEuphoriaを出させていただけたらなっていう思いがあったんだけどね。でもさ、ああやって久しぶりに集まったら「ああ、いいバンドだな」って、リハーサルのときから思っちゃったのよ。「止まった時をもう一度進めて、熱量はこのまま1995年に向かう」感じを、俺自身も“きったかちゃん”も感じたから、NEXUSのスタッフに「2ndアルバム、どうでしょう?」って聞いてみたら、すごく好感触で(笑)。
──(笑)。
橘高:とはいえ、まだ曲も何も聴かせてないわけだけどね。でもこういうのっていつもそうなんだけど、俺は行動よりも先にまず言葉にして言っちゃうんだよ。しかも「このまま終わるのも寂しいから、もしうまくいって2ndアルバムとか出せたらいいね」っていう発言が記録として残ってるわけで。有言実行しなきゃいけないな(笑)。基本的に俺はとても怠け者なんだけど、同時にすごく負けず嫌いで勤勉なの。すごくワーカホリックで負けず嫌いなのに、根は夏休み欲しいと思ってる。だけど夏休みなんてこの10年ぐらいなかったし、筋少が再結成してからは複数のバンドをやって、しかも若いバンドのプロデュースもしてる。それにお客さんを裏切ることは“きったかちゃん”が許してくれないしね。
──では近い将来、1995年当時筋少が活動再開してなかったら出していたかもしれないEuphoriaの2ndアルバムが聴けるかもしれないと?
橘高:そうだね。NEXUSさんがいつまでに出せと言わないんであれば(笑)。かといって5年とかかけないで出るといいなとは思ってます。でも5年後だと35周年すら越してるし(笑)。筋少、X.Y.Z.→A、Euphoriaがパーマネントなバンドになって活動できれば、夏休みはいただかなくて結構なんで。
──バンド名もそのまま「Fumihiko Kitsutaka's Euphoria」のまま?
橘高:いや、以前から2ndアルバムではEuphoriaという名前の、ユニットからバンドにする構想があったんです。これはもう本当にバカバカしい様式美バカの話で(笑)、RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOWは2ndアルバムの『RISING』から、バンド名がシンプルにRAINBOWになったのがカッコいいなと思ったの。本当にそれだけの話(笑)。
──確かにRAINBOWも1stアルバムから2ndアルバムで、プロジェクトからバンドという形にシフトチェンジしましたものね。
橘高:そうそう。リッチー、ロニー(・ジェイムス・ディオ)、コージー(・パウエル)の三頭政治体制が出来上がってね。実際1stアルバムのEuphoriaというのは俺とtezyaと秦野(猛行 / Key)くんが軸だったのよ。そこからツアーで(満園)庄太郎(B)を見つけて、今回はさらに河塚篤史(Concerto Moon)をドラムに迎えた。でも、このライブがダメだったらそこの道は閉ざされたわけ。俺はいつもどこかで試してる部分があるというか、石橋を叩く癖があるんで、ライブが非常にうまくいってることを途中で実感したところでMCをしちゃったんだよね。しかもメンバーに確認してから言えばいいのにさ、後出しじゃんけんで(笑)。打ち上げで「2ndをいよいよ作りたいんだけど、どう?」って言ったら、みんな「イエーイ!」って盛り上がって乾杯ですよ。先日もこのBlu-rayが7月13日に無事発売されたので「ありがとう」メールを送ったんだけど、「次はスタジオで会いましょう」って添えたらみんなから「楽しみにしてます!」って返事が来て。tezyaに関しては「(tezyaのモノマネで)ガンガン攻めましょう!」って返事が届いたから……これ、文字だと俺のモノマネが伝わらないっていう(笑)。
──(笑)。でも現実味を帯びてきたわけですね?
橘高:はい。やっとRAINBOWでいうところの『RISING』を作るところまで来たなと。
「伏せてる目をちょっと上げるだけで見つかるその光」
──さすがにAROUGEまでパーマネントに活動する、なんてことはないですよね?
橘高:そうなったらすごいことになるけど、ドラム(青柳浩一郎)とベース(福田純)が今はもう引退してますんで、そこだけはありがたいなと(笑)。“きったかちゃん”もいくら中坊でも、その2人の仕事を辞めさせてまでやれとは言わないんで助かってます。ただ、“きったかちゃん”にちょっと言われてることがあって……「(山田)晃士くんと何かやれば?」って(笑)。
──ああ、そう来ましたか(笑)。
橘高:怖いよね(笑)。この4つの作品を同時進行で仕上げるのも大変だったのに。今回は1バンド3時間ぐらいの映像を4バンド分チェックするだけでも重労働で、途中で心が折れそうになるときもあった。でもそこを乗り越えると強くなれたという経験があるんだよね。俺、実はパニック障害というのに悩まされてた時期があって。こういうものは今も完治したとは思わないようにしてるんですけど……きっと同じようなことで悩んでる人もたくさんいると思うけど、さっきの不登校のときは環境を変えた。そしてパニック障害に対するのは……俺の場合は「これはダメかもわからない」というものに立ち向かっていくっていう方法だったのね。
──あえて困難に立ち向かっていくんですか?
橘高:そう。例えばすごい大作を作るとき、何度も挫折しそうになるんだけど、途中で強くなっている自分に気づいて、完成させたときには最初よりはるかに強くなっている。そうすると、次の作品を作ることに対する予期不安がなくなるのね。以前はその予期不安というものに人生悩まされてきたんだけど、予期不安を不安じゃなくてとってもワクワクする予期に変えていきたいなと思って。俺は20代中盤から病と闘ってきたけど、予期不安が来たときは自分のプレイに昇華すればいいと思ってた。だから俺のプレイって何か焦燥感があるように音を詰め込むと、ずっと息を止めてるもんだから「スーッ」と息を吸うところがあって。そこが俺の間(ま)だったりするんだけど、その後に「生」……生きてるってことを実感できたときの喜びがチョーキングやビブラートに表れてたりするんだと思う。そういうところに共感を得てくれてる方もいるのかなと。
──なるほど……。
橘高:俺のプレイってよく「ギターが泣いてる」って言われるんだけど、泣いてるというよりはもがいてるんだよね、きっと。生の喜びっていうのは死の不安がないと得られないもので、パニックというのは死を感じる病なのね。死んだ経験はないはずなのにそれにずいぶん困らされてきたぶん、生の喜びを人より知ることになった。俺、実はそれを表現するためにギターを弾いてるんじゃないかなと思うことすらあって。実は24歳のときに母親が亡くなって、そこに筋少での日々とか毎晩パーティで交感神経と副交感神経を悪くするような生活とかもろもろ重なって発症したんだと思う。“永遠の24歳”というのはギタリストとしての信念を強く持つために、その歳をずっと心に刻もうと思って命名したんだよ。このEuphoriaっていうアーティスト名を付けたのも、それが大きく影響してるし。
──そうだったんですね。
橘高:Euphoriaという言葉には「至福の瞬間」という意味があって、俺がこうなりたいっていう気持ちをEuphoriaって名前に込めている。「自分なんて」「私なんて」と言ってる中に差し込む光、伏せてる目をちょっと上げるだけで見つかるその光がEuphoriaなのね。俺はそれを見つけたおかげで、戦いながらも32年のキャリアを迎えることができた。正直、パニックのせいでこういうインタビューの場にも来ることができないこともあったけど、それを筋少のメンバーは「橘高は怠けてる。ダメな奴ですみません。『踊るダメ人間』とは橘高のことです」とジョークで片付けてくれた(笑)。メンバーはちょっと知ってたんだけどね。そのまっただ中、筋少が2年間の活動休止するさなかに作ったのがEuphoria。だからEuphoriaには「光を探すことを諦めない」っていう願いが込められてるの。ポジティブに聞こえるかもしれないけど、ネガティブな奴がこういうことを言ってるんだからね(笑)。俺みたいな奴にも見つけられるんだよ。不登校でネガティブな俺が言うポジティブだから、信じてもらえたら一緒に「魅惑の楽園」、つまり「DREAM CASTLE」に行けると。「DREAM CASTLE」は「俺なんて」「私なんて」って奴が笑顔で踊れる場所で、それがライブの場なんだと思う。きっとこれは不登校だった“きったかちゃん”に対する俺からのエールでもあるんだよね。いつもやらされる側だけど、「お前、大丈夫だぜ?」って不登校の俺を救うためにもEuphoriaという希望の光に向かって生きていくんだっていう宣言なんです。