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橘高文彦が語る、32年の音楽人生で得た知恵と覚悟「HR/HMを貫いてきたことに誇りを感じる」

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 現在、筋肉少女帯(以下、筋少)やX.Y.Z.→Aで活躍するギタリスト・橘高文彦が自身のデビュー30周年を記念して、彼がこれまでに在籍した4つのバンド(AROUGE、筋肉少女帯、Fumihiko Kitsutaka’s Euphoria、X.Y.Z.→A)が2015年に単独ライブを実施。その模様がそれぞれライブBlu-rayとして今年7月13日に同時リリースされた。今回リアルサウンドではこのうち、橘高のソロプロジェクト・Fumihiko Kitsutaka’s Euphoria(以下、Euphoria)のライブ作品『橘高文彦デビュー30周年記念LIVE“Fumihiko Kitsutaka’s Euphoria』に焦点を当てたインタビューを企画。同ライブ作品は1994年に結成され、東名阪ツアーを行ったのちにアルバム1枚を発表しただけで活動停止となっていたEuphoriaの、実に21年ぶりとなるフルライブを思う存分堪能できる1枚となっており、インタビューではEuphoriaに対する思いから今後の活動、さらには30周年でキャリアを振り返るライブ4本を行うことになった経緯などがたっぷり語られている。

 また80年代から現代までをサバイブしてきた橘高ならではの逸話やバンドマンあるある、盟友hideとのエピソードのほか、彼自身の過去の挫折や人生観についても触れられており、単なる「音楽インタビュー」の枠を超えた、非常に読み応えのある内容と言える。特に今回は彼のファンのみならず、現在自分の生き方に悩んでいる人にも読んでほしい。きっと生きていく上でのさまざまなヒントが散りばめられているはずだから。(西廣智一)

「自分の中にいる“きったかちゃん”が物事を決めてる」

──Euphoriaは1994年にツアーを行って以来、単独ライブを一度も行っていなかったんですよね。

橘高文彦(以下、橘高):そうなんです。ライブ中にも言いましたが、『Euphoria』というアルバムをリリースした後はちゃんとしたライブを1回もやっていなくて。1996年の俺の結婚式とか、もう7年前になっちゃうけど俺のデビュー25周年のときとかに、ちょっとだけ集まってやっていたんですけど、ちゃんとしたワンマンライブは21年ぶり。だからこれ、デビューライブなんですよ(笑)。

──なるほど、確かに21年越しのアルバムリリース記念ライブですね(笑)。

橘高:21年経ってから「デビューしました!」って。時空が歪みますよね(笑)。

──ちょっと話はさかのぼりますが、橘高さんはデビュー20周年のタイミングで「橘高文彦&フレンズ」名義でアルバム『NEVER ENDING STORY』(2005年)、25周年のときはベストアルバム『DREAM CASTLE 〜BEST OF FUMIHIKO KITSUTAKA〜』(2010年)をそれぞれリリースしています。で、30周年のタイミングでは橘高さんがこれまでに在籍したすべてのバンドでライブを行ったと。

橘高:そうです。25周年ライブのときにも、この4バンドが一堂に会したんですけど、そのときは俺が全バンドの橘高文彦になるというテーマがあったので、1バンド30分強の持ち時間に加え、俺の“お色直し”もあったからトータルで4時間ぐらいやっちゃって(笑)。しかもMCも長かったし、俺の泣きも10分ほどあったから、余計に長引いて(笑)。でも、そこから5年経った今回は4バンドが独立してワンマンライブをやるという。生きてると自分でも想像してなかったような事態がたくさん起こりますね。

──さすがに開催日の間隔を空けているとはいえ、自分がこれまで在籍した全バンドのワンマンライブをやるというのはかなり無茶なことだと思うんですよ。

橘高:俺ね、いつも物事を決めるときというのは、自分の中にいる「俺じゃない存在」が決めてるんです。俺はその存在を“きったかちゃん”と呼んでるんですけど、“きったかちゃん”が観たい、聴きたいというものをやる癖があって。つまりその“きったかちゃん”というのは、中2のときの俺なんですよね。子供のときに考えていた「ロックスターやギターヒーローになって、世界中を駆けめぐって」という無謀なことばかりを要求してくる、すごい厄介な存在なんですよ。

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「彼を満足させないことには自分の人生を肯定できない」

──なるほど。ちなみにリアル中2の頃の橘高さんはどういう子供でしたか?

橘高:実は俺、中学生の頃は不登校で引きこもりだったんです。大阪の進学校に通ってたんですけど、早熟だったもんだから、そこで社会というものが見えて閉塞しちゃってね。その当時、俺は医者になりたくて、このまま医学部を受験してインターンをやって……って考え出したら気持ちが閉じちゃって、学校に行けなくなっちゃったんです。ちょうどそのとき、ロックにどんどんのめり込んでいって、学校に行かないもんだからギターも1日12時間ぐらい弾いてたんですよ。でもだんだんと「これじゃアカン!」と思うようになって。子供でも大人でも、いま同じような経験をしている人に言いたいことなんだけど、環境を変えることってすごくいいことなんですよ。俺の場合は家族会議の結果、東京に出ることになったんです。たまたま兄貴が先に上京していたので、2人で東京暮らしを始めて。

──そうして18歳でAROUGEのギタリストとしてデビューできたわけですね。

橘高:そうなんです。“きったかちゃん”の話に戻りますが、ギターというものにのめり込んだ中2のときの“きったかちゃん”が、例えば今回の30周年のときも「25周年のときは3、40分じゃ物足りなかったな。全部のバンドのワンマンライブが観たかったな。だってEuphoria、デビューライブやってないじゃん」って言い出すんですよ(笑)。「観たい」って言うもんだから、彼を満足させたくてしばらく会ってないメンバーに久しぶりに電話することになって。そういうハードルの高いことばかり、いつも求めてくるんです。だって、彼は「よりすごいギタリストやロックスターでいてほしい」と言って、俺のことをリッチー・ブラックモアやジーン・シモンズ、ポール・スタンレーとか、それこそマイケル・シェンカーと同列で語るんですよ(笑)。

──それはなかなか大変ですね(笑)。

橘高:ただこれは俺の特殊な部分というか、不登校だった時代をなかったものにするんじゃなくて東京に出てきたときにすべてを受け入れていこうという決めたんで、彼を満足させないことには自分の人生を肯定できないというのがあって。きっと“きったかちゃん”というのは俺にとって、いつも俺を応援してくれてる人、そしてこれから出会う人も含めて俺を気に入ってくれる人の、ある意味ボスキャラ的な存在なんだろうな。だからあいつをノックアウトさせるにはどうすれば良いのかって、いつも悩んでるんですよ。上手くいったときって必ず、ファンからのお手紙やメールに「あんなことをするとは、想像以上でした」って書いてありますから、ひとつの指針になるんです。

──ある意味強敵だけど、そこに打ち勝つことが次につながると。その結果、こうやって21年ぶりのEuphoriaワンマンライブが実現したわけですもんね。

橘高:本当に彼のおかげですよ。俺、“永遠の24歳”と自称してますけど、かぞえで51歳ですから(笑)。周りのメンバーも同年代ぐらいだし、X.Y.Z.→Aなんて俺より5、6歳上ですからね。素晴らしいことにそんな大先輩も含めて、一緒にやってきたこの4バンドのメンバーがみんな健在で。それは筋少が再結成した大きな理由のひとつでもあったんだけど、やっぱりやれる機会があるんだったらやるべきだと思う。同じ理由でEuphoriaもやらない手はないなということなんです。

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