橘高文彦が語る、32年の音楽人生で得た知恵と覚悟「HR/HMを貫いてきたことに誇りを感じる」

「いろんなムーブメントのたびに幸せな経験をさせてもらった」

160913_euphoria.jpegEuphoria

──Euphoria 関連では、2005年の「橘高文彦&フレンズ」のときにtezya(Vo / Euphoria)さんと一緒にレコーディングしてますよね。

橘高: 20周年のときの『NEVER ENDING STORY』というアルバムでは、4バンドのボーカリストたち(山田晃士、大槻ケンヂ、二井原実、tezya)と新曲を書いて。その頃はまだ筋少が凍結中で、今だからはっきり言えるけど、大槻と新曲を書くことで解凍に近づけばいいなと思ってた。で、tezyaもそうだし、みんなと久しぶりに会って曲を書いて、レコーディングをしてみたんだけど、そのときはみんなの様子を探ってたところもあったんだろうね(笑)。これが手応えのあるものになったら、準備さえ整えばいつだって先に進めることができるんじゃないかと。

──このBlu-rayを観た後、Euphoriaのアルバムを久しぶりに聴いてみたんですけど、今聴いても古さを感じさせないサウンドに改めてビックリしました。

橘高:当時から温もりのある音作りを意識してたんです。まだPro Toolsは出てきてなかったけど、すでにデジタルレコーディングは始まっていたし、特に1994年当時はいわゆるドンシャリの音が流行ってから、時代を感じさせない温もりのある音は目指してたかな。アナログとデジタルのいいところをそれぞれちゃんと取り入れつつ。特にEuphoriaは当時の海外アーティストから影響を受けつつ、日本の進化した録音技術というものをふんだんに使っていたから、豊かな音にできたのかもしれないね。しかも、でっかいスタジオを2ヶ月も押さえて録音して(笑)。あの時代、アルバム1枚作るのに何千万使ってたんだろうね? 本当、シャレにならないぐらいお金を使ってたよ。

160913_kinsyo.jpeg筋肉少女帯

──録音技術的に、1994年というのは転換期であったと。と同時に1994年って、海外だとカート・コバーン(NIRVANA)が亡くなりグランジブームが終焉を迎え、GREEN DAYをはじめとするパンクや、ヒップホップなどが台頭し、日本では小室哲哉さんプロデュース楽曲が大ヒットし始めたほか、ヴィジュアル系バンドが徐々にヒットチャートに入り始めたタイミングなんです。

橘高:ああ、なるほど。その前に俺たちはバンドブームの衰退というのを経験していて。特に俺は1984年デビューなので、いろんなムーブメント、いろんなブームを経験してるんですよ。80年代前半にはジャパニーズヘヴィメタルがもてはやされ、それがあったから俺もデビューできたわけで。それこそ1981年にLOUDNESSがデビューしたことで俺もデビューできたと、今でも感謝しているんです。で、その後が『イカ天』(1989年2月〜1990年12月にTBSで放送された『三宅裕司のいかすバンド天国』)をはじめとするバンドブームがあって、筋少に入った頃はそのちょっと前のこと。バンドブームが来たときはブームの先頭に立っていて、『イカ天』のプロバンド人気投票で筋少が1位になることも多かったから、よくプロモーションでスタジオ出演したこともあった。で、その後にヴィジュアル系ブームがあったのかな。いろんな友達バンドが解散していく中、確かに1994年の筋少はヴィジュアル系雑誌の表紙も飾った。今その話を聞いて振り返ってみたら、いろんなムーブメントのたびにとっても幸せな経験をさせてもらってきたなと。でも俺、やってることは何ひとつ変わってないんだよね(笑)。

「酔いが覚めると『あのステージも嘘だったんじゃないか?』」

──思えばヴィジュアル系ブームが勃発する前から、橘高さんは今のスタイルでしたものね。

橘高:そうなの。だって俺、当初は日本人として海外アーティストに対してコンプレックスを感じていて、欧米人みたいになりたいと思ったから、彫りが深い人に近づくためにメイクをしてみたり、ヒールの高いブーツを履いてみたり、髪の毛を逆立ててみたりして、外タレに近づくところからスタートしたわけだから。海外ではヘアメタルと呼ばれた時代の人間だったのに、気がついたら海外に逆輸入されて日本のアニメ文化と混ざって、ヴィジュアル系がアニメに出てくるキャラクターみたいになってた。だって俺らの世代、それこそX JAPANとかはその前の世代のグラムロックからの影響だからね。

──確かにX JAPANや90年代前半に誕生したヴィジュアル系バンドには、海外アーティストからの影響が色濃いアーティストが多かったです。

橘高:俺たちはハードロック畑の人間なんだけど、そこにグラムロックとかのヴィジュアルの部分を取り入れて合体させたいと思ってたのね。それが当時のオリジナリティだったんだよ。すると、今度は後輩達が音楽性じゃなくてヴィジュアル部分を継承して、それがヴィジュアル系と呼ばれるようになったと。ヴィジュアル系って音楽性を指すジャンル名ではなくて、見た目を指すムーブメントだからね。まぁバンドブームというのも一緒だけどさ。それを横で眺めつつ、時にはそこに混じりながら面白いなと思ってましたよ。で、Euphoriaというのはちょうど1994年、ヴィジュアル系というものがこれから出てくる前夜に誕生したと。そういう意味では先に出しておいてよかったなと。だってそれ以降だったら「ヴィジュアル系がやりたくて出した」みたいに思われちゃうから(笑)。

──Eupohoriaで表現されているサウンド、世界観って後のヴィジュアル系に通ずるものがありますものね。

橘高:ハードロックをベースにしたヴィジュアル系バンドからよく「Euphoriaが好きで聴いてました」って言われるんだよね。そういえばその頃って、hideちゃんがソロで『HIDE YOUR FACE』を出した時期でさ。hideちゃんのソロとEuphoriaは同じレーベルから同じ年に発売されて、レコーディング時期も重なっていたからスタジオでもよく一緒になったんだよ。よく一緒に酒飲んだなぁ。EuphoriaのライブにもhideとSUGIZO(LUNA SEA、X JAPAN)が観に来てくれて、朝まで飲んでたし。彼らと遊びまくった時期がヴィジュアル系の勃発タイミングと重なるのも、面白い話だよね。

──それは興味深い話ですね。ちなみにお酒の席では皆さん、どんな感じなんですか?

橘高:あの頃の酒の席は本当にひどかったよ。みんな負けず嫌いだから「先に帰る」の一言が言えなくて(笑)。先に帰ったりしたら、自分が帰った後に楽しいことがあったと聞くと負けた気になるから(笑)。で、ついに24時間営業の店を見つけてhideちゃんに教えたら、その後その店に行くとやたらとhideちゃんと会ってね。しかも会ったら会ったで先に帰れないもんだから意地になる(笑)。

──(笑)。

橘高:でも俺たち、偉かったよ? そのままツアーをやってたからね。いや、偉くはないか(笑)。で、ライブをやるとさ、最初のMCまでの1ブロック目で発汗してアルコールが抜けて、また飲めるのよ(笑)。二日酔いだから「もう今日は飲まない!」と心に誓ってから本番を迎えてるのに、2曲目を終えた後のMC中にテック(ギターテック)に「今日も行くか!」と言ってる。それがループしてるんだよね(笑)。まぁあの頃は突然いろんなムーブメントの渦中に落とされてストレスを感じてたから、夜は子供みたいになって発散してたんだと思うけど。でも最近の子たちはとってもクレバーで戦略家だし、無駄にアドレナリンを使ってない。なのに俺たちの頃はさ、ステージに上がったらアホみたいにアドレナリンを放出して、ライブが終わってもアドレナリンが出っぱなしだから寝られないのよ。ステージでずっとキャーキャー言われてたのに部屋に戻るとひとり静かだし、寂しかったんだろうね。で、スタッフと一緒に朝まで騒いでるとまだステージが続いているような気がしたし、実は酔いが覚めると「あのステージも嘘だったんじゃないか?」と思うこともあった。それが怖かったから、みんなずっと飲み続けてたのかもしれないね。

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