町田康が証言する80年代ロックの勃興期:関西パンクの熱気とINU『メシ喰うな!』誕生秘話

町田康が語る80年代邦楽ロック

「爆発的に新しいことが起こると思って、いろんなことに手を出していた」

――参考までに、メジャー・デビューで当時何か、たとえば生活や環境等で変わったことはありましたか。

町田:いや、特に。レコード会社と専属契約を結んだだけで、どっかの、いわゆる芸能プロダクションみたいなところと契約したわけではないので、給料を貰うわけでもなく。なので何かが変わるというようなことは全くなかったですね。しかも、バンドもすぐに解散しましたし。レコード出て半年ぐらいでもう解散してましたから、言うほどたいしたことはありませんでした。それにそもそも僕自身、自分のやっている音楽で生活が成り立つと思ってませんでしたし。INUのメンバーも誰一人としてそんなこと思ってなくて、多分一生バイトしながら音楽とかやってくんだろうなと思ってましたね。

――当時はどんなバイトをされていたんですか?

町田:まあいろいろやりましたけど、カフェで働いたり、いわゆるウェイターですね。あと、84年に東京に来てからは、不定期アルバイト。清掃とか、引越しの手伝いとか、金属加工とか、検品とか、そういったことをなるべく効率よくやってました。

――音楽が中心にあるからこそ短期で不定期のアルバイトを重ねていた。ということは20代前半はちょっと貧乏だったというか。

町田:いやもう、ちょっとどころじゃなく貧乏でした(笑)。でもまあ、年も若いですから、そんなに苦ではなかったですね。

――はははは。話が少々前後しますが、先ほど、東京ロッカーズを始めとした関東のバンドの名前がいくつか上がりました。当時、その辺りとの交流も結構あったのですか?

町田:その当時はそんなには交流はなかったです。ただ、その後親しくなった人はいますね。関東のバンドで仲が良かったのは、一緒によく演ったバンドでもあるんですが、フールズとか。アレルギーともよく一緒にやりました。ただ、これも上げるともうキリがない。

――ですよね。ではこの当時、80年代初頭のムードというか空気感は、今振り返ると、どのようなものであったと思いますか?

町田:空気感……まず、景色は今と大分違ったと思いますね。当時の街の写真とか見ても、今と違ってかなり貧しい感じです。一部、原宿とか青山とか、ああいう辺りはきらびやかだったんですけど、あまりパンク&ニューウェーヴ的な場所ではなく。レコード会社やスタジオがあった六本木はたまに行きはしましたが、でもまあその辺にはあまり寄り付かず、もっぱら新宿や渋谷が多かったんですけど、駅の裏とか街の雰囲気は、今の皆さんが頭に思い浮かべるよりももっと昭和な感じだったと思うんです。

――ああ、 新宿も渋谷も、 独特な猥雑さがあったというか。

町田:ええ。たとえば渋谷の屋根裏というライヴハウスが入っていた雑居ビルは、ライヴハウスの下がキャバレーで、その呼び込みの人とかホステスさんたちと一緒に赤い擦り切れたカーペットの階段を上がっていく感じでしたしね。エレベーターなんかもないから、機材も全部それぞれのバンドが手で3階まで運んで……まあ、それが当たり前でしたから、みんな何とも思わず運んでましたけど、そういうこと一つとっても、貧しい時代だったんだと思います。とはいうものの、80年代の初め頃というのは、映画にしろアートにしろ、一挙に新しいものがどんどん紹介され始めた時期で。みんななんか「新しいことができるんじゃないか?」とか、「新しい表現にたどり着くんじゃないか?」と思って、いろんな実験的なことをやっていて、僕らみたいな素人だけではなく、プロの人も実験的なことを始めてみたりとか、そういう時代でしたね。

―― INUのサウンドも非常に実験性に富んでいましたよね。キャッチーな曲もあれば、非常にノイジーな曲もある。しかし一貫して強い印象を与える歌詞があり、そして全体を通じて破壊的な衝撃とユーモアを両立している。当時まさに「なんだコレは!」でした。

町田:時代性もあったのかもしれないですね。前の世代の、政治の季節だったようなものの残滓も少しありつつ……もしかしたら、この時代じゃなかったら、僕らなんかは音楽やってなかったかも、別のことやってたかもしれない。ただ、この時代の、あんまり一緒に出会う感じじゃない人と出会ったりとかは独特のものだったなあと思いますね。

――具体的に言いますと。

町田:音楽をやってる人と映画やってる人が出会ったりとか、音楽とアートで一緒にやったりとか、もの凄くセレブな人ともの凄く貧乏な人が音楽を通じて出会ったりとか、経歴や職業が全く異なる人との出会いがいろんなレベルでひっきりなしに起こっていた。プラスチックスなんて、まさにそれを体現するようなバンドでしたしね。みんな違った職業の人が集まって、バンドを作って。そんな風に、みんなが、文化的に新しいことがはじまるんじゃないかと、爆発的に新しいことが起こると思って、いろんなことに手を出していた。80年代の空気っていうのは、そういう面白い感じだったなあと思いますね。

【続きは書籍でお楽しみください】

(取材・文:中込智子/写真提供:中込智子。1982年、原宿クロコダイルで撮影。町田氏は「FUNA」として出演した)

■リリース情報
『私たちが熱狂した 80年代ジャパニーズロック』
発売:12月14日(月)
価格:¥1,296

■町田 康
大阪府生まれ。1981年にINUでメジャーデビューし、俳優としても活躍。1996年に『くっすん大黒』で小説家デビューを果たし、2000年には『きれぎれ』で芥川賞を受賞。発表する作品はその後もあらゆる文学賞を獲得。近著は、小説家の家にやってきた犬・スピンクの目線で日常が綴られた『スピンクの壺』(講談社) 。

■町田 康『スピンクの壺』 (講談社・2015年)
小説家と妻、そして三匹の犬の共同生活を描いた、町田エッセイの最新作。主人公は、生後四か月で行きどころを失った雄犬・スピンク。小説家の主人と妻のいる家に引き取られた彼は、どこか“犬っぽい”雰囲気を持った主人を「ポチ」と名づけ、生活をはじめる。そこでは様々な出来事、事件が起こり――。

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