『ひらけ!ポンキッキ』の背景にある驚きの音楽史とは? 史上初のテレビ童謡研究書を読む

レコード会社学芸部という部署

 焦点を当てられるのは、レコード会社における学芸部という部署だ。レコード会社には邦楽部、洋楽部という区別があるが、学芸部はそのどちらにも属さない、音にまつわる商品全般を受け持つ部署で、童謡やアニメ、映画音楽、落語などは学芸部が担当する商品だった。

『ひらけ!ポンキッキ』の音楽は、ごく初期を除き、小島が参加してからはキャニオンレコードの学芸部が制作を受け持つことになるのだが、フジテレビ系列の会社がいくつも関わっており、経緯がなかなか複雑である。

 そもそも小島が入社したのはキャニオンではなく、ニッポン放送の子会社でテープ販売会社であるポニーなのだ。音楽テープ市場に新規参入が増えてきて苦しくなったために、ポニーをサポートするべくレコード会社のキャニオンが作られたという流れなのだが、なぜそういう話になるのかというと、音楽原盤の問題が生じてきたからで……という具合に、60年代から70年代にかけての音楽産業のちょっと特殊な構造や地殻変動が『ポンキッキ』楽曲の背景には横たわっているのである。そのあたりももちろん本書では詳述されている。

 要点だけ簡単に記すと、『ひらけ!ポンキッキ』の番組を制作していたのはフジテレビ傘下の制作会社フジポニーで、音楽も最初はフジポニーが制作していたが、74年から小島がキャニオンの学芸部ディレクターとして手掛けるようになった。

 小島は71年にポニーに入社、営業を経て73年に企画部に異動となるのだが、同時にキャニオンの学芸部ディレクターも兼任することになる。キャニオンは70年に設立されたものの業績不振で社員の半数がリストラされており、制作部はポニーとほぼイコールになっていたためだ。

『ポンキッキ』楽曲の制作費は、フジテレビの版権管理業務を行うフジ音楽出版から出ていたそうで、版権と原盤も同社が持っていた。フジ系列にはもう一つ、ニッポン放送が作ったパシフィック音楽出版という音楽出版社もあって、85年に両社は合併してフジパシフィック音楽出版となる。

 音楽テープビジネスは60年代に隆盛したのだが、それは、あまりに閉鎖的だったレコードビジネスの隙を突いて市場を広げたかたちだった。原盤の使用権についてもレコードとテープは別だったため、音楽テープは複数のレコード会社と取り引きすることができた。キャニオンが設立されたのも自社原盤をポニーに提供するのが目的だったのだが、そのへんの事情については本書に当たられたい。

 キングレコードや日本コロムビアは老舗の学芸部を抱えていることで知られていた。彼らから見ればキャニオンは商売敵だが、片やポニーは原盤を貸し出すビジネスパートナーということになる。双方に籍を置く小島は、ポニー社員としてキングやコロムビアの先輩ディレクターらと親交を重ねることができ、そこで得たものをキャニオンのディレクターとして制作に反映することができるという特殊な立場にあったわけだ。新興レコード会社であるキャニオンの学芸部の蓄積はゼロ、小島もまた童謡など子供向けの音楽を制作した経験を持っていなかったという。

微に入り細を穿ち歴史の空白を埋める

『ひらけ!ポンキッキ』は新しいタイプの教育番組としてスタートし、当初は有料会員を募って、毎月発行されるテキストや絵本と番組を連動させる仕組みになっていた。番組内の音楽も初期は市販はされず、会員向けのレコードとして配布されていた。小島は3枚目のアルバムから関わるのだが、1枚目、2枚目のアルバムはこれら会員向けの楽曲を集めて作られたものだった。

 1、2枚目の作詞に多くクレジットされている高見映は、NHK『できるかな』のあのノッポさんだ。高見は最初期から長年のあいだ『ひらけ!ポンキッキ』の構成作家を務めていたのだ。

 また、この時点ですでに、伊藤アキラ、吉岡治(オサム)、桜井順といった大御所となる人たちが作家として参加している。歌謡曲の作家陣が多く起用されていたことについて、小島は、「子供向けに作ってないですからね。子供は大人になる通過点でしかないという意識があった。子供だって小賢しいから、物事の本質はわかってるわけ」と述べている。

 73年『ママとあそぼう!ピンポンパン』のオリジナル曲「ピンポンパン体操」が260万枚の大ヒットを記録、それを受けて各局で児童番組が乱立し始める。

『ひらけ!ポンキッキ』も75年4月から「今月の歌」という新曲オリジナルコーナーを開始した。小島が制作に本格的に関わり始めるのはここからだ。『ピンポンパン』は『ポンキッキ』より先に放映されていた、やはりフジテレビの子供向け番組なのだが、局内ではライバル関係にあったのである。

 第1弾シングルは、視聴者のお母さんから募った歌詞を岡本おさみが補作詞し、吉田拓郎が作曲した「たべちゃうぞ」。第2弾が「およげ!たいやきくん」で、これが460万枚という超特大のヒットとなる。この売上記録は現在に至るまで破られていない。「たいやきくん」を書いた高田ひろお(作詞)と佐瀬寿一(作編曲)のコンビは、以後「『ポンキッキ』のレノン=マッカートニー」として主戦力となる。

beポンキッキーズ40th ソングス 「およげ! たいやきくん」

 このあたりから、田中のインタビューは微に入り細を穿つ様相になっていく。曲ごとのデータをあらため、作家や歌手たちのプロフィールや、参加に至った経緯を問い、制作の背景や秘話を聞き出し、歴史の空白を埋めていくのである。

 大衆文化のなかでも、子供向け音楽のようなジャンルはことに軽んじられてきたため、残された資料も限られている。詳細不明の作家や歌手も少なくない。当事者の記憶にだけ留められている情報は、他のジャンルに比してかなり多いだろう。

 たとえば「およげ!たいやきくん」の子門真人の歌は5万円の買い取りだったというのは本当かといったトリビアから、『ポンキッキ』ソングにフォーク系歌手がよく起用されていた理由、クレジットには登場しないが実は関わっていた重要人物の存在などなど、謎や知られざる事実が次々に詳らかにされていく様は圧巻である。

 Charや高中正義がギターを弾いている曲があるというのは初耳だったし、プラスティックスを結成する前の佐久間正英が関わっていたというのもほとんど知られていないのではないか。

 ここ数年で立て続けに復刻された、山下達郎人脈のシンガーである真宮貴子や池田典代が歌唱している曲があるというのも意外だったし、これは『ピッカピカ音楽館』での話になるが、松田聖子の影に埋もれた不遇のアイドル中山圭子(圭以子)が歌唱している曲があるというのも驚きだった。もっとも、この本に書かれていることの大半は知らないことばかりなのですが。

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