『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?

自分が「親」なら……

 どうも著者は、批判や異論、対抗言説があることを承知しながらそれらを振り切り、話を単純にして、あえて極論へ極論へと傾けるように本書を構成しているように思えてならないのだ。その動機には、著者の経歴が影響しているように見える。

 著者の若尾裕は、芸大で作曲を勉強したバリバリの西洋音楽エリートなのである。大学院を卒業して教育系の大学に就職した後、アメリカの音楽療法士ポール・ノードフに出会い音楽療法に転じるのだが、そこから西洋音楽というものへの懐疑を抱くようになったようだ。

 若尾の西洋音楽に対する絶望がいかほどであるかは、「アルテスウェブ」の連載「反ヒューマニズム音楽論」(http://www.artespublishing.com/serial/archives/wakao/)に縷々述べられている。こちらの文章のほうが若尾の西洋音楽に対する考えがよくわかる。

 機能和声についても、「人の情動を社会的に管理するための一種のツール」になった、フーコーのいう「生政治」的な現象として考えるべきものであると、より直截にその危機が述べられている。

「あたかもポピュラー音楽は消費者の意向投票によって決まっているかのように論じられることが多いのだが、じつは消費者が反映させたい情動は、社会という管理のフィルターを通過してできあがったものなのである」

『音楽療法を考える』のあとがきによると、若尾がポストモダン思想やカルスタに開眼したのは2000年を過ぎてからのことらしい。2011年にカルスタを「新鮮」といった理由がうかがえる。

 繰り返すが本書は、日本の音楽教育を題材に、カルスタの定番言説を、平易にかつ極論に振り気味に再説したものだ。

 たとえばこれが『音楽教育のカルチュラル・スタディーズ』みたいなタイトルであれば「ふーん」とやりすごしただろうが、ところが『親のための新しい音楽の教科書』なのである。自分が「親」だとして、このアナーキーな本を「教科書」にするかといわれれば、しないだろう。

 若尾さんは、ポピュラー音楽とリスナーの関係を、入力される刺激とパブロフ反射くらいにしか考えていないみたいだけど、おれがこれまで歌謡曲に流してきた涙は、断じてそれだけのものじゃないのである。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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