音楽における「サブカル」とは? 円堂都司昭が戦後カルチャー史から紐解く
――先日、音楽美学者の増田聡氏はTwitterで「subcultureと日本語のサブカルは違う概念だけど混同する人が現代日本では多い」と指摘しています。“subculture”と“サブカル”の違いは何でしょうか。
「先ほどから語ってきたのは、日本的な解釈としての“サブカルチャー”ですが、海外では“下位文化”という意味合いを持っています。人種や民族、地域、所得レベル、性意識、行動スタイルなどの異なる集団が、“主流文化”とは別にそれぞれの文化や趣味を形成する。これが“subculture”ですが、日本の場合、差別などは実際にあったけれど、高度経済成長を達成した70年代はじめから、格差社会が問題になるゼロ年代に入るまで長いこと、わりと均質な社会だと思われてきた。だから、海外とは違って、民族や階層の差であるよりは、消費における趣味の差として“サブカル”がとらえられてきたところがあります」
――70年代以降はどう変わりましたか。
「60年代には新興勢力だったロックなども、70年代以降にジャンルが確立されると、ある種の権威を帯びてきました。自作自演のロックは本当の音楽だけれど、歌謡曲やアイドルはただの商業だと見下すような考えかたですね。そうなると、逆にロック的な意識を批判して、アイドル歌手を肯定する批評も現われ始めた。それまでの価値観からは馬鹿にされがちなアイドルを持ちあげて、価値観を逆転することに楽しみを見出す。こうした批評性を“サブカルチャー”ととらえる人もいました。アイドル自体は一般的な芸能だけれど、アイドル批評は“サブカルチャー”。ジャンルとしてのサブカルチャーと、批評的な態度としての“サブカルチャー”の両方があるわけです」
――“オタクカルチャー”と“サブカルチャー”の関係は?
「60年代以前には、マンガは子供が読むものという一般常識がありました。でも、60年代後半には手塚治虫などを標準とした丸みを帯びたマンガだけでなく、劇画タッチの作品が少年マンガ誌に載る状況があったし、子どもではない青年がマンガ雑誌を読むことも珍しくなくなりました。マンガは、フォークやロックと並ぶ“カウンターカルチャー”、“サブカルチャー”だったんです。
70年代には橋本治が少女マンガ論を発表したほか、男が少女マンガを文学のように読む現象があった。アイドル批評にも似た“サブカル”的態度ですね。75年に始まったコミックマーケットでは、商業マンガのパロディを載せた同人誌が売られましたが、価値観をズラすという意味では“サブカル”的だったし、初期には今でいう“オタク”的感覚と“サブカル”は混ざりあっていたと思います。
でも、80年代になると、青年だからリアリスティックな劇画を読むというのではなく、アニメ的な美少女の絵柄などがマンガ好きの間で一般的なものになる。マンガやアニメに対し、後に“萌え”と呼ばれるような非批評的な楽しみかたが広まった。この時代が、“オタクカルチャー”形成の分水嶺だったのでしょう」
――その分水嶺以降、つまり80年代以降はコミュニティが細分化されていった印象を受けます。
「80年代の消費の爛熟をめぐって“差異化ゲーム”という言葉がありました。生活必需品はもう普及しているから、商品の機能性ではなく、ちょっとしたイメージの違いで売る。簡単にいうと“私とあなたは違う”という価値観で消費を行うのです。例えば、当時は、ロックよりアイドルのほうが偉いとする価値観は、“価値観をひっくり返す”、“既存の価値観を相対化して価値づけを変える”ものでした。そうした考えが広がれば、“みんなが認める”高い価値を持つものは無くなります。90年代以降は“島宇宙化”という表現も使われました。それぞれの趣味に応じた小さなコミュニティ=“島宇宙”が作られ、自分の価値観に閉じこもる状況が生まれた。今もそうした状況は続いているし、ネット上でその価値観のコミュニティに帰属しやすい一方、隣のコミュニティが見えやすくなり、摩擦が起きやすくなりました」