FORWARD・ISHIYAがパンク重鎮を直撃

the原爆オナニーズ・TAYLOWが語る34年のバンド史、そして若手世代へのメッセージ

日本のパンク・シーンを牽引してきたthe原爆オナニーズ。(写真:イシバシ・トシハル)

 結成から34年、現在でも精力的に活動を続ける日本のパンクロック界の重鎮バンド、the原爆オナニーズ。過激なバンド名のため毀誉褒貶を受けつつも、海外で先駆的にライブ活動を展開するなど、現在のパンク・シーンの礎を築いてきた。後進からのリスペクトも厚く、過去には元Blankey Jet Cityの中村達也や、PIZZA OF DEATH RECORDSを率いる横山健も参加、永久メンバーとして名を連ねている。バンドを牽引してきたボーカリスト・TAYLOW氏は、どのような信念のもとに活動してきたのか。洋邦のアンダーグラウンドシーンにも深く精通する同氏に、バンドの歩みや当時のシーンについて、そして新しい世代に伝えたい事を聞いた。聞き手はハードコア・パンクバンド、FORWARDのボーカリストISHIYA氏。(編集部)

the原爆オナニーズの歩みについて

ーー原爆オナニーズが結成したのはいつですか?

TAYLOW:原爆オナニーズ自体は1980年に結成した。その前は前身バンド、THE STAR CLUBのマネージャーをやっていて、そこからボーカルのHIKAGEを除いて全員引き抜いたのが原爆オナニーズ。今のバンド形態になって、「the」が付いたのは1982年からだね。

ーー原爆オナニーズって相当ショッキングなネーミングですよね。名前の由来は?

TAYLOW:当時「スタークラブ改名計画」っていうのがあって、バンド名を変えようって話が出ていたんだ。スタークラブはちょっとビートルズっぽいからヤダねって感じで。その時にギターの良次雄の友達が、SEX PISTOLSをもじって「じゃあ原爆オナニーズしか無い! パンクは」って発案したんだよね。

ーーなるほど、SEX PISTOLSをもじったんですか! バンド名で得した事とか損した事とかはありますか。

TAYLOW:損ばっかりでしょう(笑)。広島では10年ぐらい前にGUY君(広島DISK SHOP MISERY、BLOOD SUCKERレーベル)がセッティングしてくれるまで、全然ライブが出来なかった。83年ぐらいに広島で反戦運動している人達から「どうしてこんなバンド名なんだ」ってクレームの電話がかかってきたこともある。「バンド名が許せない」って。でも、このバンド名の理由を「あなた達と同じような気持ちで、核・反戦について問題意識を持ってもらえればと思って付けています」ってちゃんと説明したら、その場で和解したけどね。

ーーそれだけバンド名のインパクトが凄かったって事ですよね。

TAYLOW:ロックバンドが認知されていないようなところにも、名前だけで広まっていった。反戦・反核って思想以前に、絶対日本人が嫌がる言葉だから。

ーー1stアルバム出るのは、結成から少し経ってからですよね?

TAYLOW:1stの『NUCLEAR COWBOY』は85年だね。それまでは20cm盤っていうミニアルバムだった。それ以来2~3年に1枚ずつリリースして、14~15枚ぐらい出している。

ーーワンマンやった時にとてつもない曲数を演奏したと聞きましたが、楽曲は全部で何曲ぐらいあるんですか?

TAYLOW:100曲以上あって、ワンマンの時はたしか58曲演奏した。拷問だよ、ありゃ(笑)。GAUZEがワンマンで60曲やったじゃん。そこに挑戦しようとしたんだよね。

ーー今のメンバーになるまでどれぐらい移り変わってますか?

TAYLOW:僕とEDDIEが82年からずっとやっていて、ギターは良次雄からSHIGEKI、SHINOBUと変わったぐらい。ドラムは大口ミキオ君からタッちゃん(中村達也)に変わってJOHNNYかな。横山健君も、ちゃんとメンバーとして入った。Hi-STANDARDは終わっていないけれど、止めている間にパンクロックをやりたいって言っていたから、じゃあやってみようかっていう簡単なノリで。

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