フランキー・ナックルズ逝去を惜しむ声続く シカゴ市長「偉大な文化的パイオニアを失った」

 2000年以降も精力的に活動を続け、アルバム『A NEW REALITY』『DubJ's D'Light (aremixed reality)』や12インチ『The Whistle Song Revisited』、『Gimme Gimme(Disco Shimmy)』をリリース。日本にも度々来日を果たし、そのDJプレイでファンを熱狂させた。また慈善事業にも積極的に取り組み、エイズのチャリティや恵まれない子供達の教育を支えるチャリティ活動へ取り組んだ功績から2004年にシカゴでは8月25日を「フランキー・ナックルズの日」と制定、また「フランキー・ナックルズ・ウェイ」と名付けられた道路も生まれた。

 これからの更なる活躍が期待されるなか舞い込んできた突然の訃報。海外メディアではTIMEやエコノミスト、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズ、シカゴ・トリビューンなど大手紙で大々的にその死が報じられた。シカゴ市長のラーム・エマニュエルはインタビューに対し「今日、シカゴは最も偉大な文化的パイオニアのひとりを失った」とコメント。またアカデミー賞は公式声明として「彼の独創的なリミックスやエネルギッシュなパフォーマンスは何十年間にも渡ってクラブミュージックを牽引し、ハウスミュージックをメインストリームの音楽へと導いた」とその功績を称えた。

 また多くのミュージシャンも彼の早すぎる死に悲しみを寄せている。デイビッド・モラレスは「親愛なる友人の死を今は受け止められない」とコメント。ジャイル・ピーターソンは「彼と東京のYellowでプレイできたのは私にとって最高の思い出」と語った。またクエストラブは「彼こそがダンスミュージックのパイオニア」とツイート、メジャー・レイザーは「次なる地で安らかに眠ってください」と哀悼の意を表した。

 偉大なるゴッドファーザーの死。しかし彼の残した音楽はこれからも聴き継がれ、影響を受けたDJたちが今後もハウスシーンを盛り上げていくことだろう。リミックス=再生産された彼のトラックは永遠にフロア上で生き続け、今宵も世界のどこかで鳴り響いているに違いない。
(文=北濱信哉)

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