>  > 『昼顔』は、なぜ観客の心をえぐるのか

上戸彩VS伊藤歩、狂気の対決に戦慄! 地獄へ堕ちる不倫映画『昼顔』が観客の心をえぐる理由

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 涙目になりながら手で口を抑え、ただ震えてスクリーンを見守るしかないほど、おそろしい映画だ。2014年に放送された、不倫を題材にした人気TVドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』の続編となる映画『昼顔』は、よくある「TVドラマ映画」のレベルをはるかに逸脱し、観客を戦慄させる必見の日本映画である。

 不倫恋愛物語が、やがて泥沼の悲劇になっていくところまではTVドラマ版と同じ内容だ。しかしこの映画版では、そこから何段階もの新しい境地に突入し、観客に未体験のおそろしい感覚を味わわせてくれる。ここでは、そんな本作の凄さを徹底的に解説していきたい。

不倫劇に求められるのは人間の「狂気」である

 TVドラマ版の第1話は、上戸彩が演じる「平凡な」若い主婦、紗和(さわ)が、マンションの高層階のベランダから、今まさに遠くで燃え盛っている火事の現場を、棒アイスをくわえながら眺めているシーンから始まる。まさに「対岸の火事」、「高みの見物」である。この火事は不倫による家庭の不和が原因だということが後に分かるが、その火事場を見つめている彼女は、いつか自分自身が、この地獄の業火に焼かれ、身を焦がすことになるのを、まだ知らない。

 このオープニング・シーンは、恋愛のこわさや残酷さを描くことを得意とした、日本を代表する映画監督・溝口健二による、近松門左衛門の浄瑠璃をベースとした時代劇『近松物語』(1954)の一場面に似ている。不義密通を犯した男女が、市中のさらし者になりながら、死刑場に運ばれていく。名家の若妻は、その様子を家の中から眺めながら、「あんなあさましい目に遭うくらいなら、その前に死んだ方がましね」という意味のセリフを吐く。しかし彼女はこの後、同じように不義密通の罪によって、やはりさらし者となり処刑されるという展開になる。しかし意外にも、市中を引き回される彼女の顔は、恥にまみれた表情ではなく、明るく晴れ晴れとしているのである。つまり彼女は不倫という経験を通して、以前とは全く異なる人間になっているのだ。

 ドラマ版『昼顔』で紗和を不倫の道へといざなう、吉瀬美智子が演じる主婦は、「不倫は究極の恋愛のかたちよ」と言っていた。それは、このように社会の規範を逸脱し死の恐怖をも超えた狂気と、しかし同時に純真さをも帯びた精神性を指しているはずである。三島由紀夫の小説『美徳のよろめき』や、TVドラマ『金曜日の妻たちへ』など、それぞれの時代で「不倫もの」は流行しているが、その源流には、庶民の男女の心中事件を題材とし、愛のために死に向かっていく人間の瀬戸際の狂気を描いた、近松門左衛門による浄瑠璃の世界がある。観客が見たいのは、自分自身は足を踏み入れることを躊躇するような背徳の世界と、その果てにある狂気の姿なのである。なぜなら観客自身の心の中にも、その狂気が、程度の差こそあれ存在するはずだからである。

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