上戸彩VS伊藤歩、狂気の対決に戦慄! 地獄へ堕ちる不倫映画『昼顔』が観客の心をえぐる理由

『昼顔』は、なぜ観客の心をえぐるのか

女同士の宿命の対決は衝撃の展開へ

 ドラマ版『昼顔』の盛り上がる箇所というのが、景気のいいギターサウンドで不倫に突入していく「イケイケモード」と、シリアスなコーラス曲が流れ、紗和がナレーションで神様に懺悔する「反省モード」という、交互に繰り返される、不倫における裏表の表現であったように、その続編となる本作、映画版『昼顔』でも、その始まりは意外なほどお気楽にラブコメ調の恋愛表現をともなって描かれていく。

 だが本作では、そんな「イケイケモード」の無邪気さを何十倍も超える地獄へと突入する展開となる。同じように、愛欲の果てにある地獄を描いた『嘆きの天使』(1930)というドイツ映画があるが、軽いラブコメとしてスタートしながら、最終的には目を背けたくなるような修羅場が展開するという点で、本作の構造はそれに近い。意図的に大きな落差を作り出すことによって、観客の心理を翻弄させるというテクニックである。

 ダブル不倫が発覚し、数々の修羅場を経て不倫相手・北野との関係が終結し、夫や友人たちを失って孤独になるという、社会的に「大敗北」したドラマ版の結末を受けて、映画版の紗和は、当初は抜け殻のようになっている。だが新しく移り住んだ海辺の田舎町に偶然、北野が訪れて講演会に出演するということを知ると、彼女は俄然生き生きとし始め、復縁のきっかけをつかむために奔走を始める。

 本作で北野が研究している、ホタルの求愛テクニックに重ねられているのが、紗和の駆け引きのスキルである。彼女は巧妙に「自分のせいではない」状況を作り出し、男を追いかけさせるという、オスを引き込むメスとしての本能的な才能を持っているのだ。純真な北野の関心を惹き、ついには虜にしてしまうことなど簡単である。

 そんな紗和に対し、伊藤歩演じる、北野の妻・乃里子もまた、浮気を見破る天性の才能を持っている「人間レーダー」のような女である。ドラマ版でも、夫の不審な点に気づき、早々に不倫の証拠を集めたように、今回も夫の微妙な変化を見逃さず、信じがたいスピードで不倫を突き止めるという、神速の対応を見せる。

 だが今回はドラマ版のリベンジ戦でもある。いまや独り身になり、家族も友人もなく、失うものなど何もなくなった紗和の、狂気を帯びた捨て身の力は絶大だ。北野は彼自身、何故彼女に惹かれるのか「分からない」と述べるように、寄生虫に操られ行動を支配された哀れな昆虫のように、紗和の願望通りになすがまま操られていくのだ。

 しかし、狂気には狂気。そんななりふり構わなくなった紗和に対抗するため、乃里子もさらなる狂気へと突入する。愛する男のためにどこまで狂うことができるのか。龍と虎、武田信玄と上杉謙信のように、対決を宿命づけられた彼女たちの勝負は、当事者である北野の存在感を希薄にするほど激しさを増していく。最後の最後まで攻守が入れ替わり、勝敗の行方が混迷する、女の勝負がどう決着するのか。その結果はぜひ劇場で確かめてもらいたい。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる