Muddy Watersの記事・ニュース・画像一覧

(0件)

マディ・ウォーターズは、戦後のシカゴ・ブルース・シーンを代表するプレイヤーの1人である。そして彼は、かつて自分が影響された音楽に逆に影響を与えるほどの存在になった偉大なアーティストといえる。——大仰で誇張ぎみのヴォーカルはそれ自身がひとつの楽器であり、スライド・ギターの肉厚な音は、デルタ・ブルースを強く引きずる彼の音楽に新しい命を吹き込んだのだ。
ミシシッピー州クラークスデイルで生まれ、サン・ハウスの音楽を聴いて育ったマディ・ウォーターズは、43年、生まれ故郷を後にシカゴへ向かう。48年「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」と「アイ・フィール・ライク・ゴーイング・ホーム」をリリース。特に前者は、彼にとって初の全米R&Bナンバー1ヒットを記録した。のちのローリング・ストーンズの大ヒット・ナンバー「サティスファクション」にはこの曲の影響が色濃く見られ、実際にバンド名のローリング・ストーンズもマディの50年のナンバー「ローリン・ストーン」からつけられたものであるという。
またマディは、リトル・ウォルター、ジミー・ロジャーズらと共に、ブルース史上に名を残すバンド、“ヘッドハンターズ”を結成。彼の書いた「ルイジアナ・ブルース」「ロング・ディスタンス・コール」「ハニー・ビー」「スティル・ア・フール」の4曲は、51年にまたたく間にチャートを駆け昇った。そして、このヒットは、レナード・チェス(<チェス・レコード>の創設者)が52年のヒット曲「シー・ムーヴス・ミー」に参加するきっかけにもなっている。また、マディの「ユー・ショック・ミー」や「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」のカバーは、ブルースに取りつかれたイギリスのミュージシャンたちを熱狂させ、彼らの新しい神様として崇められることになったのだ。
余談だがストーンズのメンバーたちは、メンフィスにある伝説のサン・スタジオを訪れた時、自分たちの目を疑ったと言う。——それは、何とマディ・ウォーターズ自身がそこで天井のペンキを塗っていたからだ! そこで彼らはフランクなギグを開始し、マディをまじえて「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」をセッションしたのであった。
83年に死去する前から、マディ・ウォーターズはすでに音楽史の伝説だった。シカゴ・ブルースに限ったことではなく、彼のレコードをピックアップしたすべてのミュージシャンに絶大なる影響を与えたのは間違いない——。

「Muddy Waters」の記事は現在ありません。