ナカコー、なぜ「ストリーミングオンリープロジェクト」始動? 小野島大がその意図を紐解く

ナカコー、ストリーミングのみ新曲配信の意図

 ナカコーが、Koji Nakamura名義での新曲「地図にないルート」を、各ストリーミング・サイト限定でリリースした。自動車メーカー VOLVO公式コラボレーションソングであり、直木賞作家の唯川 恵が初めて音楽作品の作詞を担当するのも話題である。ナカコーとのコラボはもちろん初めてだ。

 エレクトロニック・シューゲイズとも言うべき美しく溶解していく重厚なシンセ・サウンドに、ミニマルなリズムとナカコーが歌うメロディが控えめに表情をつけていくアンビエント〜ドローンなサウンドは、ここ最近のナカコーのNYANTORA名義での音楽性ともリンクするものであり、成熟した大人のための上質なクルマというVOLVOの確固たるブランドイメージに新たな世界観を付け加えることになりそうだ。作曲はナカコーと森 俊之の共作だが、森が歌メロ、ナカコーがトラック全体を担当している。

 VOLVOはこれまで音楽配信サービスSpotifyへの協賛を行うともにに、販売する各車種に同アプリケーションをプリインストールするなど「音楽と自動車の融合」を推進しており、本プロジェクトは、その象徴ともいえる活動であると説明されている。

 そして同曲の別バージョン「地図にないルート feat. moekashiotsuka」も同時配信。話題の女性バンド・羊文学の塩塚モエカが印象的な朗読(オリジナル・バージョンでナカコーが歌った歌詞を朗読)を聴かせる。そして、ナカコーの曲を気鋭のサウンド・クリエイターMadeggがプロデュースした新曲「Open Your Eyes 13 Mar.2017」もあわせ、計3曲が同時配信されたのである。

 この3曲、従来であれば「シングル」もしくは「3曲入りEP」「ミニ・アルバム」などという形態でCDリリースされていたはずだが、実際に各ストリーミング・サイトにおいては「プレイリスト」という形で3曲まとめて聴くことができる。Koji Nakamuraが選曲した3曲から構成される「地図のないルート」というプレイリスト、なわけだ。

 なぜ「シングル」や「アルバム」ではなく「プレイリスト」なのか。最近の例で言えばアメリカのラッパー、ドレイクの新作『More Life』も「プレイリスト」と銘打っている。同作にはドレイクと交流のある若手アーティストが多数参加しており、彼らを紹介したいという思いから、アルバムでもミックステープでもなく、そうした呼び方になったらしい。つまりはドレイクを巡る日常や近況を参加アーティストに託して表現するという作品であり、明確なコンセプトやテーマに縛られたアルバムよりもラフでカジュアルなリリース形態なので「プレイリスト」と銘打ったという事情があるようだ。

 だがナカコーの場合、少しニュアンスが異なる。今回の「地図にないルート」プレイリストは、今後Koji Nakamuraの音楽活動の主軸になっていく”Epitaph(エピタフ)”なるストリーミング・オンリーのプロジェクトの予告編的なニュアンスがあるという。Koji Nakamuraの公式サイトに掲載された文言を引用すると、

「CDリリースやダウンロード販売を想定せず、ストリーミングのみをターゲットとすれば、アーティストは作品の完成をゴールとする必要がない。だから”Epitaph”というプレイリスト(≒アルバム)は、ナカコーの新作でありながら、彼の気分でそこに収められている曲が変わり、バージョンが変わり、曲順すら変わってゆく。DAW+アクセスモデル時代 の新しい表現のトライが、この”Epitaph”となる」(ストリーミングオンリーのプロジェクト”Epitaph(エピタフ)”スタート!!

 ナカコーは何を考えているのか? 本人へのメール・インタビューが実現したので、その発言を引きながら、このプロジェクトの意味するものを考えてみたい。

 楽曲の発表の場をストリーミングに限定し、しかも「アルバム」や「シングル」という既存のフィックスされた作品ではなく、「プレイリスト」という器で提供し、その中身はその時の気分や状況に応じて適宜曲順が変わり、バージョンも変わり、楽曲そのものもどんどん入れ代わっていく、というスタイルは、少なくとも日本のメジャー・フィールドのアーティストの新曲発表の形態としては初の試みだろう。

 ”Epitaph”なるプレイリスト・プロジェクトの構想を聞いて私が真っ先に思ったのが、去年リリースされたカニエ・ウエストのアルバム『The Life of Pablo』だった。当初ストリーミング・サイトTIDAL独占で配信されたこのアルバムは、発表後もミックスやマスタリング、楽曲などが随時変更され、言ってみればアプリケーションがアップデートで新しいバージョンに更新されていくように、アルバムも更新されていくというスタイルだった。CDやダウンロード配信では、一旦発表された作品はその時点で固定化されてしまい、「リミックス」「リメイク」「リマスター」等の大義名分がなければ、たとえアーティスト本人であっても勝手に改変はできないのが大原則だ。だがストリーミングという新しいプラットフォームを得ることで、それが可能になってしまった。永遠にバージョン・アップしていくアルバムという考え方。もちろんニコニコ動画やSoundCloud等に日々アップされている無数の音源では、制作者がアップした音源を日々アップデートするなどごく日常的に行われていたに違いないが、カニエのような押しも押されもせぬトップ・アーティストがそんなことを考え実行したことに新しさを感じたことも確かである。

 ナカコーはカニエがそういうことをやっていたことを情報として知ってはいたが、中身については詳しく知らなかったという。むしろ今回のプロジェクトはナカコー自身の経験から導き出されたアイデアであるようだ。今回のプロジェクトを始めたきっかけについて、こう語ってくれた。

「自分もSoundCloudやBandcampを利用しているので、ストリーミング形式での音楽発表には可能性があると判断しました。ストリーミング形式に興味を持ったのは震災後です。被災してCDやレコードがなくなり、音楽が聴けなくなってしまうのは嫌だなという単純な想いです。あとはCDメインでのアルバム制作に興味がないのが大きいです」(メール・インタビューでの発言。以下同)

 「CDメインでのアルバム制作に興味がなくなった」のは、いつ、どんなきっかけからだったのだろうか?

「震災後だと思います。それとここ最近のなんとなくの音楽の状況?  CDの売り上げや、ネットのスピード感などそういうのが影響してるんだと思います。ですが、あくまでメジャー・レコードでのCDでの販売に関してそう思っただけです。個人やインディペンデントでもうかなりのことができてしまう今なので、メジャーレコード会社という組織にいるなら違うやり方があるのでは? と漠然と思いました」

 震災によって知った「カタチあるものはいつか壊れ、失われる」という思い。そして、CDなど音楽ソフトセールスの激減と、ネットメディアの急速な普及・進化がもたらした、ここ最近の音楽業界の加速度的な、しかも不可逆的な構造変化が、今回のナカコーの新プロジェクトに結び付いたというわけだ。ここ最近のナカコーは、エクスペリメンタルなアンビエント・プロジェクトNYANTORAでの活動、中村達也やナスノミツルと組んだインプロヴィゼーション主体のバンドMUGAMICHIRUでのライブ、多方面でのセッション/ライブ参加、自主レーベル/ショップmeltintoの運営、さまざまなCM音楽制作など、メジャー契約アーティストの域を大きく踏み越えるような自由で大胆な活動を展開している。言葉を変えていえば、今のナカコーはメジャー契約がなくてもアーティストとして十分にプレゼンスを発揮できる状態にある。だがそれでもナカコーはメジャー契約アーティストとして、まだやるべきこと、発信すべき表現はあると考えているわけだ。それは何かという答えは、こんな発言に表されている。

「ポップスの場合だと、多くの人が聴いた、あるいは共感した時点で、その曲は完成をしたんだと判断します。ストリーミングはそういう判断ができる形式だと思います」

 これは「作品の完成をゴールとしない」となると、音楽制作の作業は何をもってゴールとするのか、という質問に対する答えだが、これがそのまま、ナカコーがメジャーにこだわる理由ともなっている。ポップ・ミュージックの役割とは人々に聴いてもらい、共感してもらうこと。作り手として、より多くの人に届け、聴いてもらい、共感してもらうためにメジャーという組織はまだまだ有用であり、(言葉は悪いが)使い方によっては大きな可能性が残されている。それがたとえばタイアップであったり、各ストリーミング・サービスを横断した”Epitaph”という大がかりなプレイリスト・プロジェクトの実現だろう。実際これはメジャーの組織力やマンパワーがなければ実現困難だったはずだ。もちろんナカコーのアーティスティックなこだわりを受け入れる余裕と度量も必要である。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アーティスト分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる